2-1:第六階層の資材置き場にて 上
気がつくと、一人森の中にいた。そしていつものように木漏れ日の中を進み、いつものように彼女のいる場所を目指していく。これが夢であると分かっていても、ここが彼女に会える唯一の場所だから。
そしていつも通りの場所、森の中の静かな花園に彼女は座り込んでいた。茶色の髪にその横顔は隠れていて、彼女の表情は見えなかった。
「セレスタ……」
「……どうして……私を殺したの?」
いつもと違うか細い声、いつもと違う雰囲気に、どこかぞっとしたものを覚える。いつもの彼女は朗らかで、明るくて、優しい。今の彼女は、弱々しくて、暗くて、恐ろしい――だが、彼女の誤解を晴らさなければ。彼女は自分のすべてであり、彼女から否定されてしまっては、自分は無価値になってしまうのだから。
「違うんだ、俺は、君の無念を晴らすために、フェルノワールを倒そうと……」
「フェルノワールが近くに現れたというのに、取り逃がした……」
「すまない、あと一歩のところまで追い詰めたんだが……」
「言い訳は聞きたくないわ」
セレスタはそこで言葉を切って立ち上がり、こちらへ振り向いて――その顔を見てぞっとする。前髪に隠れてその瞳こそ見えないが、それ以外の部分に関しては皮膚が剥がれ落ち、黒い腫瘍のようなものがぼこぼことできて爛れている。
彼女は花園から――いや、花園も徐々に黒く蠢く沼のようなものに変貌している――こちらへ向けて歩き始める。歩いているという表現も怪しい。足を使ってこちらへ進んできてはいるのだが、重心を失ったように体を揺らし、痙攣しながら、ゆっくりと黒い泥をまき散らしながら、こちらを追い詰めるように進んできている。
「フェルノワールを殺せないというのなら……私の無念を晴らせないというのなら……アナタなんか無価値なのヨ、ハルト」
「すまない、次こそは……!」
「それだけじゃない……私を殺シたのは、アナた……どうシて、わタしハ死んデ、あナたは生キテイルノ? アナタなんか、アいツを殺すために、存在が許容されているだけの存在に過ぎなイのに……」
「アイツを殺したら、俺も君の下へ行こうと……」
「フェルノワールを殺せないトイうのなら……貴方が代わりに死ンデ」
その声はセレスタのものではなかった。人間のものですらないといっていいかもしれない。この世のものと思えないような音。高低が混在していて不安で不快な音。しかし、同時に一度聴いたら耳から離れないような声。
そして、手が伸びてくる。その手は顔と同様に黒くただれて、今にも落ちてしまいそうなほどに気色が悪い――ことの異様さに身動きも取れず、ただ彼女の伸びてきた手に首を絞められてしまう。
「コこで死ネ、今死ね、スぐに死ネ……」
「違う、セレスタ、俺は……!」
「死ね、死ネ、しネ、シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ!!」
あぁ、これは報いなんだ。愛する彼女をこの手にかけて、のうのうと生きている自分に対する罰なんだ。それならば、これは受け入れなければならないこと――どのみち、首を絞める力は恐ろしいほどに強く、抵抗することも逃げることもできない。
それなら――。
「ハルト!」
凛とした声が聞こえると同時に、いつの間にか誰かに右手を握られていた。そして、首を絞める力が緩む。こちらの手を握った者に引かれるまま、しばらく森の中を逃げるように走り回った。
自分を救ってくれたのも、やはり茶髪の少女だった。そして、走っているうちに徐々に思い出してくる。この夢を見るのも初めてではないこと。もう一人のセレスタ、自分を殺したがっているもう一人の彼女が、時折夢に現れることを。
しかし不思議なことに、自分を襲ってくる彼女については、夢から覚めるたびにいつも忘れ去ってしまっている。そのせいで、自分はこうやって何度も何度も追い詰められ、首を絞められ、そして毎回、もう一人の彼女に救ってもらっているのだ。
「アイツに惑わされたらダメって言ってるじゃない」
「すまない……」
走ってきたせいなのか、セレスタは膝に手を置いて息を荒くしている。そして少し落ち着いてから、彼女はいつものように花園に座り込んだ。
その間、自分は逃げてきた森の方を見る。もはやいつもの穏やかな森にしか見えないが、彼方には腐食してぐずぐずに崩れ落ちた死の森があるはず。アレは何なのか? もっといえば――その答えを知るため、花園で膝を抱いている少女の方へと視線を向ける。
「なぁ、アイツは何者なんだ? セレスタの姿をしている彼女は、一体何者なんだ……?」
「……アレは、ハルトの罪悪感が見せる過去の亡霊だよ」
「そうか……それじゃあ、君は? 君は本物のセレスタなのか?」
花園にいる君は、あの恐ろしいもう一人の彼女のことを偽物とは言わなかった。同時に、今目の前にいる彼女は、本物といえるのだろうか?
君のおかげで、何とか生きることを諦めずにいられているけれど、それでも君は――。
その答えを聞くのが恐ろしくもあったのだが、それでも聞かずにはいられなかった。本当は、自分の死を望んでいるセレスタこそが本物で、今目の前にいる君は、自分が都合よく解釈している偽物かもしれないと思ってしまったから。
そんなこちらの心境を慮ってか、木漏れ日の君はゆっくりと首を横に振り――うつむいたまま、しかし柔らかな声で諭すように話し出す。
「それは、きっと、君が定義しなきゃいけないことなんだよ、ハルト」
「……どういうことだ?」
「本物か偽物かを決めるのは……うぅん、自分にとって大事なのかそうじゃないのかを決めるのは、結局君でしかないってこと」
「難しいことを言うな……」
「あはは……ただ一ついえることは、彼女は君を責めるけど、ボクは君の味方ってこと。もちろん、自分で自分のことを味方っていう奴は怪しいかもしれないけれど……まぁほら、どのみち夢の中でしか出てこないんだし、どっちにしても現実の君には実害はないからさ。
そういう意味じゃ、優しいボクと話してる方が、こわーいセレスタと話をするよりも建設的だと思わないかい?」
「……そうかもしれない」
「それに、ほら……」
セレスタはこちらから顔を背けて、森の奥の方を見やった。そちらから、微かに音が聞こえてくる――そして、その音は徐々に鮮明になってくる。その声は「ご主人様、ご主人様」と繰り返している。必死で、心配そうな声色だ。
「……ね? 今の君は、一人じゃないんだ。現実の味方が、君の側にいるんだからさ」
「アザレアに世話になってるのは認めるし、助かってるのも事実だ。でもやっぱり、俺には君しかいないよ」
「うぅん……まぁ、そういわれて悪い気はしないけど……ボクはアザレアのこと、結構いいと思ってるよ。確かにドジなところはあるけれど、一生懸命で可愛いじゃない?
あ、勘違いしないでほしいのは、ボクだってハルトのことを大事に思ってる……でもさ、やっぱりボクはあくまでも夢の中の存在であって、現実の君を助けてあげられるわけじゃない。せいぜい、こうやって夢の中で話をすることくらいしかできないから」
「でも……彼女がついて来てくれるのは、俺に洗脳されているからだ」
「……それもきっと、君が定義をしなきゃいけない問題だと思うんだけどね。ともかくさ、そろそろ起きてあげたらどうだい?」
「そうだな……ひとまず、今日のところは起きることにするよ」
「うん……あ、そうそう、最後に一言。君の身体はぼろぼろだから、起きたらすっごい痛むと思うけど……男の子なんだから我慢するんだよ?」
「それって、どういう……!?」
痛むと言われた瞬間から、身体に猛烈な痛みが走り始める。いや、そうだ、自分はアイツに撃たれたのだ。そうじゃなくても、限界を超えて戦った反動もある。これは、その痛みか。
冷静に思い返せば生きているだけで不思議なくらいだが――ともかく痛みの波と共に、辺りが光に包まれ始める。この光の引力に引かれれば、彼女との逢瀬は終わりを迎えるだろう。
「ねぇ、ハルト……価値って、本物にしかないのかな?」
身体が光に包まれた瞬間、微かにそんな声が聞こえる。その言葉の真意が何であったのか分からないまま、全てが光に包まれて――目を開けると身体が激痛を思い出すのと同時に、ピンクがかったブロンドの髪の女が、心配そうにこちらを覗き込んでいるのが視界に入ってきた。




