1-73:ヴォルテックス・コンフリクト 上
スルトとの戦いは苦しい状況が続いていた。一応は先ほどもらったダメージをごまかしながらもなんとか立ち回れているが、それでもこちらは動きが鈍くなってしまっているのに対し、スルトの側は全く息も上げていない。
こちらがそのうち隙を見せると判断しているのだろう、ただ冷淡に――その戦い方は炎の魔神というのと正反対で、冷たい――距離を離して対処してきている。そしてその判断は正しい。長期戦になればこちらの肉体強化に限界が来るし、そもそもの基礎が違いすぎる。
今まで戦ってきたデミゴッドは、戦い慣れている感じではなかった。シュライク以外のイグノートゥスは比較的新しい神格であり、邪神としての本能で抵抗してきただけ。超越者たる彼らはそれだけで十分な力があるし、本来なら本能だけで周りを蹂躙することができる。そこに付け入る隙があった。
ただ、スルトは違う。一万年前の神魔大戦の生き残りであり、戦いにも理論がある。わざわざ老人に宿っているのは、それが彼の力を最も活かせるからか、または今の世の中で無理に強力な器を用意しなくても十分な戦いができると判断しているのか。どちらにしても、自分にとっては厄介な相手である。
こちらが決定的な行動に移せないまま時間が流れていると、ふと岩場の方で銃声が止んだ。二人の少女のうち、どちらかが勝利を収めたということになるのだろう。
そのことにスルトも気づいたのか、こちらへの攻撃の手が少しだけ緩まり、岩場の方を気にしているようだ。だからといって、こちらから攻め込むほどの隙があるわけでもないのだが。
そこからややあって、祭壇の上に一つの人影が現れる。その少女は背が高い――まさか、フィオナはやられてしまったということだろうか。
「スルト! いつまで遊んでいるつもり!?」
セスティナは腹部を押さえながらも、大きな声で従者を叱責する。対する老人は、半身だけで主の方へ向き直り――横顔から覗く表情は、どこか悲しげに見えるが――こちらへ炎を投げつけながらも主に対して頭を下げた。
「申し訳ございません。ですがこの人間、なかなかやります」
「それなら、力を授けるわ! それで、早く勝負を付けるの!」
「お嬢様、ご自愛を」
「うるさい! 私たちに敗北は許されないの……やるわよ!」
セスティナは叫びながらラバースーツのジッパーをヘソが見えるほどに下ろす。そこから、予想もしていなかったものが現れる。
それは彼女の胸の中心に浮かぶ、こぶし大の腫瘍のようなもの。腫瘍という以外に何とも名状しがたいそれは――枯れ木の枝が密集しているような、はたまた酷いやけどの跡のような、敢えて言葉にすればそんな感じだが――グロテスクに胎動しているのだ。
「な……あれは、どういうことだ!?」
『アレが、アオートの胚が辿る運命だ。心に迷いがある状態で異次元の瘴気を引き出そうとすれば、あのように身体を浸食される。そして次第に身体を食われ、物言わぬ肉塊と化し……最後には、再び小さな胚に戻るのだ』
思わず漏れた自分の声に対し、脳裏に響くシュライクの声が応える。もしかしたら、フィオナはアレを知っていたから、能力を引き出すことができていなかったのかもしれない。
しかし――。
『……そんなこと、聞いてなかったぞ』
『聞かれてもいなかったからな。そもそも、何事にもリスクは付きものだ。刃を持てば己を切る危険性はあるし、銃を持てば暴発のリスクはある。胚の場合は、浸食されるリスクがあるだけだ。
何より……復讐のために小娘を使うというのなら、別に浸食されようとかまわないのではないかね?』
『それは……』
『問答をしている場合ではないな……来るぞ!』
シュライクの言う通り、セスティナの胸から瘴気が一気に噴き出し始め、それは確かな指向性を持ち、スルトの方へと吸い寄せられるように一気に収束していく。男の体が真っ黒な靄に包まれたかと思うと、直後に天井まで伸びる巨大な炎の竜巻が猛り上がった。
離れているはずなのに、少し息を吸うだけで肺が焼けるような心地がする――そして炎の竜巻が晴れると、そこには身体に炎を纏って煌々と輝く巨人の姿があった。
巨人から打ち出される拳が、灼熱の炎を纏って草原を焼く。その巨大な拳を避けるには、もはや身体をよじるなどという次元ではなく、全力で駆けなければならない。そのまま突き出された拳が横薙ぎにされる。その一撃は、ミドガルズオルムで瞬時に大地を抉り、その穴に跳び込むことで躱す。
その直後には、相手の口から――赤々と燃えているために口らしい場所と判断しているだけだが――強烈な熱線が放たれる。それは再び全力で走ることで躱せたが、もし横薙ぎを跳んで躱していたら詰んでいたことだろう。
しかし、あれほど巨大な相手をどうすればいいか。一度似たような巨大な相手と――パンタグリュエルのことだが――対峙したことがあるが、あんな燃える身体を相手にしたことはないし、自分が持てる手段の中であの炎の壁を越えてダメージを与えられるイメージは全くわかない。
強いていえば、断章ノモラスで無理やりに相手の核を狙うことだろうが――やはり変わらず心臓のあたりにあるようだ――そもそもあの高さに接近するだけでも難しいし、なんなら突き貫こうとするだけでこちらの身体が燃え尽きてしまいそうだ。
あとは、時間切れを狙うか。相手の攻撃を避けながら盗み見ると、力を与えているセスティナは表情を歪ませている。異次元から力を供給するのは、それだけ胚に負荷が掛かる行為なのだろう。
だが、そんなことは向こうの方が承知に違いない。スルトは主の負担を抑えようといわんばかりに攻撃を激しくしている。何より、もうパンタグリュエルの持続時間が限界を迎えそうだ。身体強化が切れた瞬間に、自分の体は一瞬で消し炭になってしまう。
どうするか――そう一瞬悩んでいる間に、巨大な岩が宙を飛んでいくのが見えた。それは巨人の身体に激突し、わずかにだがあの巨体をひるませる。岩の飛んできた方を見ると、無数の巨大な亡骸を背景に、アザレアが一人立っていた。どうやらソラ・フィデを岩に絡ませ、それで無理やり巨人に向けて投げつけた、ということなのだろう。




