1-64:少女の真実 中
「スルト……!」
自分の呼びかけに対し、スルトは答えてくれなかった。前から寡黙で何を考えているか分からない、老人のような見た目の男だったが――正確には人の身に宿った半神半人だ――少なくとも意地の悪い男ではなかったし、言葉数が少ない中にも優しさはあったように思う。
しかし、そんな彼も、もはや自分に向き合ってくれない。ただ姿勢よく後ろで手を組み、遥か彼方を見つめているだけだった。
「スルトも、貴女なんかもう知らないって! 帝国に貴女を売り渡すのだって、全然かまわないって思ってるんだから!」
「私は……帝国に売られるの?」
「そうよ。細かいことは、愚かなクィンティアなんかに教えてやらないけれど……お父様には深遠な考えがある、とだけは言っておくわ」
二人がお父様のところへ連れ帰ってくれる、などというのはそれこそ淡い期待に過ぎなかったのだ。
それなら、せめて――脳裏に二人の顔がよぎる。一人は優しい、花みたいな笑顔で私を包んでくれる女の人。もう一人は、ちょっと怖いけど、温かみもある男の人――ただ、こんなだから、こんな風に逃げ場を探してしまう自分だから、お父様に見捨てられたのだ。
でも、それでも、二人が助けに来てくれたら、などと期待してしまう。そこに、打算的な感情がないといえば嘘になる。お父様のところに帰れないのなら、そのうえで帝国などというわけの分からないところに売り渡されるくらいなら――そういう考えがあるのは否めない。
でも、ここ数日間、充実していたのも事実なのだ。確かに最初こそは血だらけのアザレアにびっくりしたし、化け物と戦わされたり、イグノートゥスに狙われたり、怖いこともたくさんあったけど――それでも、二人がいてくれることに安心感もあったし、たくさん刺激もあった。
自分には知識と記録しかなかった。オリジナルのフィオナの記録と、彼女が読んだ本の知識と、そして――冷たいお父様の記憶だけ。
でも、ここ数日は自分だけの思い出ができた。たくさんの人が行きかう街、初めての買い物、美味しい食べ物――本の中だけでしかなかった体験が、二人と一緒だとたくさんあったから。
「……貴女、まさかあの二人が助けに来てくれることを期待しているのかしら? 見ていたわよ、クィンティア。一丁前にフィオナを名乗って、あの魔術師もどきの男と覚醒者の女に飼いならされて、猫みたいに愛想を振りまいて、随分と楽しそうにしてたわね?」
「それは……私がフィオナを名乗ったのは、怪しまれないために……」
「確かに、私はアオートの胚のクィンティアです、なんて名乗るのは怪しいかもしれない。でも、それならアナスタシアでもアウロラでもジュリアでも、適当な偽名でよかったじゃない。
貴女は、卑しくもフィオナになろうとした。そしてあわよくば、フィオナとして誰かに愛されようとした、違う?」
「でも、でも……私、ハルトと約束した! 次も一緒に連れて行ってくれるって! だから、もしかしたら……」
「誰が貴女みたいな裏切者との約束を守ろうとするものか!」
セスティナの大きな声に、こちらの祈りはかき消えてしまう。それどころか、彼女の憎しみに満ちた目に気圧され、萎縮して黙ってしまう。
「貴女は、お父様を裏切ったのよ! 私も、スルトも裏切った! もちろん、アイツらのところにだって帰れない……誰かに成り代わって可愛がられようとする貴女みたいに嫌な女のことなんか、誰が救いに来るもんですか!
もう、貴女に帰る場所なんかないの! 貴女を愛してくれる人なんて、この世に存在しないんだから!」
「う、あぁ……」
セスティナの言葉に、ただ圧倒されてしまい、心の底に沸いていた僅かな希望も枯れ果ててしまう。別に約束したと言ったって、アレは無理矢理ハルトにそう言わせただけ。要らないって言われるのが怖かったから、役に立つところを見せたかった。そのチャンスが欲しくて押し切っただけで、あんなのは他愛もない口約束で――そうなったら、ハルトたちだって来てくれないと考える方が自然だ。
そう思うと、なんだか悲しくて目頭が熱くなってきてしまう。もう自分に居場所なんかない、どこにも帰る場所なんかない。私が臆病だから、誰の役にも立たなくて、あまつさえ迷惑をかけてしまったから、誰からも求められない――もう自分に誰かに愛してもらうチャンスなんてないんだ。
力なくうなだれていると、後頭部にセスティナの声が――こちらが何も言い返せなくなったので満足したのか――降りてくる。
「私は違うわ。私は、お父様のためにすべてを捧げられる……この身だって、この魂だって。
でもね……もしも私も真実をもう少し早く知っていたのなら、もう少し力を使うことを、躊躇したかもしれない。今となっては、もうすべてが遅いけれど」
誰だってそうなるはずだ――恐らく、セスティナは何も知らないまま力を使ったはずだ。彼女が今目の前にいるということは、まだクアルタのようにはなっていないことは確かなのだろうが――しかし、恐らく、今の口ぶりから、幾分か持っていかれているに違いない。
そう、だから彼女は自分に対して怒りを抱いている。それも仕方がないことだと思う。もしかしたら、逆の立場だってありえたのだから。
「貴女は卑怯者よ、クィンティア! 己の使命も果たさずに、私に真実を教えてくれなかった……辛い役目を押し付けただけの癖に、一丁前に誰かに愛されたいだなんて、片腹痛いわ!
本当は、貴女のことなんかこの場で八つ裂きにしてやりたいくらいよ。冷凍保存されている貴女をみて、何度殺してやろうと思ったか……私と同じ顔をしている貴女、それがのうのうと眠りこけているだなんて、納得できなかった。
あまつさえ、お父様の元で居場所がなくなったら、別の誰かに取り入ろうっていうの!? 本当に卑しくて、いやな女! 帝国に売り飛ばされたら、貴女なんか道具として扱われて終わりよ! フィオナでもクィンティアでもない、ただの道具! 名前のない道具として、その一生を終えないさい!」
そうか、もう私は人ですらないのか。ただの道具として――むしろ、道具として何かの役に立つのなら、役立たずとして死ぬよりは幾分かマシなのかもしれない。




