1-62:木漏れ日の君の記憶 下
「いいえ……そんなことはありませんよ」
アザレアは、ただいつものように微笑みを浮かべてそう呟いた。本心では分かっていた。彼女には自由な意思なんかなく、自分が何を言っても、彼女は絶対にこちらのことを否定しないと。
そして、その事実に甘えている自分がいる。その事実が、また自己嫌悪へと繋がる。勝手に彼女を眷属にしておいて、何度も突き放してみせて、それでも健気についてくる彼女に甘えている。そんな自分に、また苛立ちと吐き気とが集う。
そんなこちらの負の感情を慮ってか、はたまた別の感情を抱いているのか――アザレアは口元に微笑みを浮かべたまま、しかし目にはどこか悲しい色を纏わせながら小さく首を横に振った。
「ご主人様の悲しみと怒りを理解できるだなんて、言えません。共感できるなどというのも、おこがましいことだと思います。それでも、アナタにどんな過去があっても、アナタが何を思っていても……私がアナタにお仕えしたいという事実は変わりません。
もしアナタが世界を恨むと言っても、もしアナタが世界を滅ぼすと言っても、私は変わらず、アナタのお側に仕えます」
「……お前が俺の眷属だからか?」
「そうかもしれません。私は、私の心をコントロールできるわけではない……でも、それって、私だけの話なんでしょうか?
ご主人様だって、きっとそうなんだと思います。どうしようもない怒りややるせなさは、自然とあふれ出てくるもの。そういった意味では、私が眷属であるとか、そんなことは関係なく……人は自分の心すら、自由にできないものだと思うんです。
私が、アナタにお仕えしたいという思いも、それと一緒……などというのは、少し傲慢なのかもしれません。でも、アナタが私を救ってくれなかったら、今私はこの場にいませんから。アナタに救っていただいた命は、アナタのために……ただ、それだけです」
微笑みながらも、彼女はそう強く言い切った。不思議と、何も言い返すことはできなかった。自分の怒りとお前の気持ちを一緒にするな、という気持ちがなかったわけではない。ただ、同じくらい、その想いがどうしようもないものであるということは否定できなかったのだ。
そうしてしまえば、自分は自分の怒りの正当性を失ってしまうことが、怖かったのかもしれない。
こちらが何も言い返せずにいると、アザレアは瞼を閉じながら、彼女の言葉を続ける。
「しいて、一つだけ私の願いを言わせてもらうのなら……アナタの未来にも、光があってほしいと、そう願います」
「俺はアイツを殺したら、死んだっていいと思ってるんだ」
「だからこそ、私がアナタの代わりに願うんです。別に、今すぐに考えを改めてくれだなんて思いませんし、復讐を止めてくれなどとも言いません。
ただ、もし私がお仕えする中で……それでもし、少しでも考えが変わってくれたら……そのときは、そのために生きてほしいんです」
「……約束はできない」
「はい、大丈夫です。私が言ったことを、胸の片隅にだけ置いておいてくれれば……そして、一歩後ろでも、二歩後ろでも構いませんから、私を側に置いてください。そうさせてさえいただければ、ご主人様の背中は、私が必ずお守りしますから」
もし、もしも、出会い方が違ったとしたら、アザレアは自分に対してどう接していただろうか? もし主従関係などではなく、眷属としての契約などなく、何もない状態で出会っていたとするのなら――それでもこの女は、自分に対して変わらない献身を見せてくれただろうか。
いや、そんなことはない。絶対にないと断言できる。かつて自分に好意を寄せてくれたのは、セレスタだけだった。経験則ではなく客観的に見ても、自分には他者から好かれる要素など何もない。見た目も能力も性格も、すべてにおいて良い点がないのだから。
だからこそ、自分にとってはセレスタの好意が尊かった。特段優れているわけでもない、ありのままの自分を受け入れてくれる相手がいる。その事実が救いだった。そしてそれが、愛する者を失ってしまったという無力感とやるせなさとなり、それがそのまま奪うきっかけをつくった者に対する怒りとなった。
それでも――仮にその好意が偽物であったとしても、アザレアがいてくれていることで救われてしまっている自分がいる。そんな救い、自分には受け取る権利などないと分かっている。彼女の好意に甘えるべきではない。
しかし、連れ去られてしまったあの子の場合は――フィオナの場合は、その限りではないと思う。
アザレアが側にいてくれれば心強いのは、何も自分だけでない。あの子には、救いがあったっていい。この復讐が終わったら、せめて二人には自由に、幸せになってもらうように。そうすることが、私怨に付き合わせている二人にできる、せめてものことだろう。
「フィオナを助け出してやらないとな……力を貸してくれるか、アザレア」
「勿論です。アナタの往く道が私の道……私はアナタのアザレアですから」
アザレアは口元に微笑みを浮かべたまま祈るように両手を組み、ゆっくりと頷き返してくれたのだった。




