1-59:虚空の鎖 下
「さて、鎖の魔術師の構成員っていうのは、その多くは奴隷や戦争捕虜だ。そうでない場合は、病人や精神疾患者、それに貧しい家庭から口減らしに出されるなど、ともかく世間に居場所のない連中がメインだ。
そうじゃなくても、鏡に反応した者なら、どうにかこうにか連れ込むケースもあったようだな。
結社の一員となった人物は、まず最初にその証として額に烙印を押される……こんな風にな」
フィオナになんどもダサいだの変だのと言われ続けたバンダナを外し、彼女に額が見えるように前髪をかき上げる。
「鎖と蛇の刺青……それで、鎖の魔術師なのですね」
「どっちかと言えば、結社名からこの烙印にしたんじゃないかとは思うがな。ともかく、こいつを押された人間は、もう組織から抜けることはできず、一生を山奥で過ごすことになる。
そして鏡の前に連れていかれて、前世の魂を引き寄せることになる……それで思い出せるのは、主に前世で使っていた文字に関する情報に限られる。今は滅びた過去の文明に生きた人物の知識は、この世界のバランスを覆しかねない危険なものもあり得るから、制限を掛けていたんだ。
場合によっては、文字情報や僅かな言語に関する記憶から、前世の知識を思い出す奴も稀にいるが……それでも、鎖の魔術師はその脱退を許さない。もし外で影響力を持とうとすれば、同じ魔術師によって消されることになる。
それで、烙印を押された者たちは、神器の解読に一生を捧げることになる……こんな感じで、神器に刻まれた暗号を解くためにな」
論より証拠、見せた方が早いだろう。バンダナを巻きなおすついでにノモラスとマッチを取り出し、マッチに火をつける。それから、ノモラスを掲げ、鍔の中央に嵌められている宝石へ、その火を近づけた。
すると、宝石が淡く輝きだし――そこから発せられた光が階段の壁を照らし、そこには自分が長い時間をかけて解読したノモラスの暗号が現れた。
「か、壁に文字がびっしり……それも、見たこともないような……」
「この分量を読み込み、かつ抽象的な内容を理解し、分解して、やっと生体認証と詠唱とのアルゴリズムを理解できるようになる。
もちろん、組織内で解読のノウハウは蓄積されているし、これらの文字情報はこの世界の言語に一度翻訳されて、複数人で解読に当たることが多かった。ただ、場合によっては一生をかけても解読しきれない、なんてこともざらだったみたいだな。
ちなみに、ノモラスの言語は特殊なんだ」
「えと、どういうことでしょう?」
「どこにも存在しない言語で書かれてるんだよ、コイツは……シュライクの造語だ。それだけじゃない、コイツの恐ろしいところは、仮に読めたとしても読み進める中で、精神を発狂させる呪いの句なども入っているところだ」
それこそ、解読されることを望んでいなかったと言わんばかりなのだが――もし本気でそれを望んでいたのなら、そもそも暗号を仕込まなければ、もしくは神器など作らなければ良かっただけだ。だから、シュライクの「これを解読できる執念を持つ者を期待していた」には一応の説得力はある。
「えぇっと、どこにも存在しない言語で書かれているってことは、つまり……ご主人様は、ノモラスを解読するために呼び寄せられた魂ではなかった、ということですか?」
「あぁ。稀にだが、カルマの鏡の誤作動で、いずれの神器にも適性のない魂が引き寄せられることがある。そういうやつは、落ちこぼれとして鎖の内で雑用係にさせられる……俺はそれだったんだ。
鎖に拾われる前の俺は、ご多聞に漏れず元々は奴隷だった。帝国が大陸を席巻してからは、人権だなんだと奴隷制が見直されることになったが、俺が買われたのはその前だったからな。
貧しい村に生まれて、金がないからって理由で両親に奴隷として市場に出されたんだ。十三の時、適性ありと勘違いされて、二束三文で鎖に買われたってわけだ……俺は前世の記憶はほとんどないタイプだが、この世界よりは文明が進んでいた世界から来た、とは思う」
一度カルマの鏡を通して前世の記憶を見た人間は、時折フラッシュバックのように前世のことを思い出すことがある。自分が見るのは、光を放つ箱、そこから伸びる空中に浮かぶカラフルな映像や文字など、確かにこの世界の技術では実現できていないようなものが出てくる。
同時に、前世の自分はあまり充実もしていなかったのだろうとも――機械的なもの以外に記憶にあるのは、部屋の壁ばかり。恐らく、ほとんど外にも出ずに、一人でいることが多かったのだろう。それで折角思い出した前世の文字もこの世界に来てから全く利用していないのだから、本当に自分の前世は全く役に立っていないという他ない。
なお、シュライクは自分の前世の世界についての知識があるらしい。自分が朧げに覚えている断片的な情報なので正確かは不明ということだが――自分の前世は遥か過去、それこそイグノートゥスが「まだ肉体を持っていた時代」にまで遡り、彼らの後発として文明を築いた種族であったらしい。
その中でも蒸気機関の発達したこの世界よりも、更にあとの時代から来たのだろうと。ちなみに、前世の世界はすでに滅亡しているのだそうだ。自分はその滅亡とやらに巻き込まれて死んだのだろうというのがシュライクの意見だった。
「……虚空の鎖に入ってからも、落ちこぼれの俺は楽じゃなかったが、それでも村にいる頃よりはマシだった。主には雑用だったが、組織内にある図書や、懇意にしていた術師の本は自由に見れたからな……全く学もなかった中で、多少の勉強ができたのは幸せだったと言える。
ただそれでも、やはり自分の神器や専門領域を持てない構成員の立場は弱い。また、組織にいる頃は暗号の解読にも成果を上げることはできなかったからな。俺はいつでも蔑まれる立場だったんだ。ただ、二人の人物を除いては……」
「二人……一人はセレスタさんですよね。もう一人は?」
「もう一人は、レオン・カウフマン。俺にこの世界の文字の読み書きを教えてくれた人であり、ノモラスとエヌの写本を授けてくれた人物だ。彼とは同郷のよしみでよくしてもらっていた」
「え? それじゃあそのカウフマンさんも、神器の解読はできないのでは?」
「いや、異世界では一つの世界に複数の言語や文字が存在する場合がある。今は考えにくいが、この世界にだって元々はたくさんの文字や言語があったし、俺の前世も複数の言語がある世界だったんだ。
だから、彼には解読できた神器はあったし……それも天才的な頭脳の持ち主で、自分の神器はたったの一か月で解読しきって、多くの魔術師たちの研究を助けていた。だから人望もあったし、立派な人だったよ。
それで、セレスタは……」
そこで、思わず言葉に詰まってしまう。彼女のことを思い出さない日はないというのに、意外と言葉で伝えるとなると難しい。彼女を大切と思う気持ちは今も変わりないが、
「セレスタは、カウフマンの研究室の助手だった人物だ。俺がカウフマンと懇意にしていたので、あわせて次第に仲良くなっていったんだ」
「なるほど……それで、どんな人だったんですか?」
起きている時は無暗に思い出さないようにしている。それこそ、やりきれなくなるだけだから。そのせいだろうか、何度も夢には出てきている彼女のことだが――いつも近くに感じているはずなのに――あえて思い出そうとしないと、上手く言語化できそうにない。
ただ、彼女のことを話さないと、アザレアは納得してくれそうにない。そのため、無理やりにでも記憶の糸を辿って、在りし日の彼女の姿を、なんとかその脳裏に捉え始めた。




