1-5:邪神イグノートゥス 中
木偶人形との会話を切り上げ、移動に専念する。ピラミッドは階上ではなく、むしろ地下へと伸びている。上方への階段もあるようだが、その先は狭い空間であり、セクトが根城とするには広大な下層の方が都合が良かったのだろう。こちらこそがまさしく地下迷宮というべき構造であり、石造りの狭い回廊が様々に分岐しながら繋がっている。
しかし、どこまで進んでも亡骸亡骸亡骸――こういった複雑な構造なら迷うのが普通だと思うのだが、如何せんここに棲息している眷属たちの御頭がよろしくないため、本陣から続々と先行した原典派どもの元に押し寄せているのだろう。そのため、亡骸の多い道を進んでいけば自然と正解のルートを辿れるし、ついでに途中で伏兵に襲われるということもない。
むしろ恐ろしいのは、脇道の奥にも眷属の亡骸が転がっている点だ。アレは迎え撃つのではなく、わざわざ殲滅しに行った証拠であろう。もちろん、先に一体でも多く潰しておけば後から背後を取られる心配は無くなる訳だが、どちらかと言えば信徒を一体も残さないという執念めいたものすら感じる。
「……音が止んできたな。君が先に行かせた連中は、そろそろ最奥に到着した頃だろう」
「それじゃあ、少し急がないとな」
「ちなみにだ。君はこれから、残ったイグノートゥスかあの女か、どちらかと戦う必要性がある……算段はあるのか?」
「さぁ。あの女の実力だって底は見えていないし、この先に待ち構えている邪神の実力だって分からないんだ。それなら、出たとこ勝負に賭けるしかない……強いて言えば、漁夫の利になることを祈ってるよ」
一応、自分もまだ切り札を残している。そして自らの適性を考えれば、これだけの眷属を相手にしてまったく疲れた様子の見えない覚醒者とやらを相手にするよりは、相性的にはイグノートゥスを相手にする方がまだマシとは言えそうだ。
そうなれば、原典派どもがイグノートゥスに敗れたところで乱入するのが理想と言えそうだが、アイツらもセクトを潰すプロ集団であることには変わりない。そうなれば、奴らがもみくちゃやっている間に、上手く目的の物をかすめ取れるのが一番だろうが、そううまくいくとは限らない。
そんな風に思っていると、闇を裂くような男の悲鳴が石畳の迷宮に響き渡った。その悲鳴に、足を少し速めることにする。邪教と原典派の決戦が始まったのだ。乱入するかは見てから判断しようと思うが、逆に言えば見なければ状況を判断できない。
立ち位置が良ければ、それこそ目的の品だけ奪って退くこともできる。自分の場合は邪神は倒した方が得もあるのだが、それでも今回の件は何かとイレギュラーもある。一番の目的の品が手に入るのなら、他のものを得ることは諦めるという決断も必要だろう。
と、そんな自分の考えは、あえなく崩壊することになった。重苦しい空気の淀む通路の奥から、凄まじい勢いで黒い塊がこちらへと吹き飛んできたのだ。それはこちらの足元付近で落下し――先ほど自分に銃口を向けていた若い男が、血だらけのぼろ雑巾のような状態になっていた。
「たす、たすけ……!?」
男はこちらを視認して手を伸ばすが、すぐに言葉を失ってしまう。男の体は宙に浮き、辺りの石壁に凄まじい勢いで叩きつけられている。あたかも浮遊しているかのように錯覚したが、彼の足に黒いうねうねした触手のようなモノが巻き付いており、それが身体全体を振り回しているのだ。
「ちっ……!」
反射的に腰から剣を引き抜き、男の体を蹂躙している触手を切りつける。ゴムかと思うほどしなやかな触手は、こちらの斬撃の威力を吸い込んでいくが、そのまま力いっぱいに振りぬくと、なんとか切断することができた。
「ふむ、助けるとは……漁夫の利を狙っているのではなかったのかね?」
「助けを求められたのを無視しちゃ、寝覚めも悪いからな」
人形の質問に答えながら、再び落下した男の方を見る。あまりにダメージを受けすぎていて、もはや助からないかもしれないが、一応まだ息はあるようで、ぴくぴくと床の上で痙攣している。
「ほぅ……もう一匹、ネズミが迷い込んでいましたか」
「……アトラク・ナクア!」
契約の名を呼ぶと目の前に黒い瘴気が噴き出し、それが一瞬にして蜘蛛の巣状の結界となり、通路に壁を作る。割とスカスカではあるが、それはわざとである。巨大な質量を迎え撃つのなら、こちらの方が柔軟性があるからだ。
そして結界は目論見通り、奥から飛来してきた触手を見事に防いでくれた。その代償に、鼓膜に地獄のような金切声が響き、それが原因で頭に鈍い痛みが走る――封印したイグノートゥスの力を引き出すのには、体のどこかに負荷が掛かる。
とくに、強力に使おうとすればするほど、その反動は大きい。また、異界の力を引き出している以上、徐々に身体にその代償が蓄積していくが――自分の場合は体質的に特殊な所もあるため、そのリスクを抑えることはできているものの、反動そのものを無くすことはできないので、術を連発することは難しい。
しかし、こうなっては悩んでいる暇はない。敵はこちらにも照準を定めた。背中を見せれば死ぬのは自分。出し惜しみはなし。胸の魔導書に意識を向け、剣を持ったまま最奥を目指して走り始める。
「深淵の縁より目覚めよ、早贄の一柱! 力を貸せ、パンタグリュエル!」
力強き巨躯を持つ邪神の名を呼ぶと、全身に溢れるほど力がみなぎり始める。こいつは後で大きな反動が来るタイプであり、タイムリミットをオーバーしたらこちらが終わり――アオートの胚だけ奪って離脱するのか、この先に待ち構えている怪異を倒すのか、いずれの選択肢を選ぶとしても制限時間は数分だ。
身体能力と同時に強化された反射神経で、正面から襲い掛かってくる野太い触手を掻い潜り、開け放たれている扉を通り抜け、開けた空間へと飛び込む。
中は予想した通りに凄惨な状況だった。壁のそこかしこに通路と同じようなシミが飛び散り、そこら中に何かの亡骸が転がっている。その中には、先ほど見た中年の方のローブ姿が混じっている――この空間内で、立っているのは自分を含めて三人しかいない。
片方は司祭風の衣服を身に纏った小柄の男。体の色素は薄く、瞳も青白い、禿頭の中年で、通路に伸びて行った黒い触手はやつの衣服の下から伸びている。
もう一人は、長いストールをマフラーのように首に巻いている女だ。ローブは身に着けておらず軽装だが、手に巨大な鎌を持っている所を見るに、先ほどの女に間違いないだろう。
「……ハルトさん!? ロープで繋がれてたはずじゃ……!?」
こちらの名を呼ぶ女は相変わらず仮面で表情は見えないが、あからさまに驚いたような声を上げている。顔は見えなくても、なんとなく動きや言動で感情が分かる奴だ。一方、男の方はこちらを不思議そうな表情で見つめてくる。




