1-41:ジョナサン・ミラー 中
「転勤なんだってな。どこへ行くんだ?」
「イースタシアって知ってるか?」
「いや、知らん」
「お前さんは、本当に帝国周り以外の世情には弱いな……大陸のはるか向こうの大海に浮かぶ絶海の孤島さ」
「左遷か? 仕事、サボりまくってるもんな」
「失敬な、そうじゃねぇよ……この塩の大地ほどじゃないが、似たような場所ではあるんだ。元々は海産物を取るための中継基地として使われたんだが、地下資源が豊富ってことが判明してからは、一気に工業化が進んでいる。
今はアルヴィオン連合王国の勢力が最も強いが、その海に接する多くの国がそこの所有を狙ってるって話だ……連邦共和国も、そこを狙ってる」
アメルキア連邦共和国は、ミラーの出身国である。アメルキアは大陸における革命や戦争には消極的な姿勢を見せている――逆に、イースタシアとやらは立地的に近い。要するに、優先順位の問題で、そちらへ派遣される形になったということか。
そういえば、原典派はアメルキアに多い。もしかしたら、アザレアもそこの出身かもしれない――辺りを漂う煙を見ながらぼんやりとそんなことを考えていると、煙の主がその奥で少々申し訳なさそうな顔をする。
「そんなわけで、お前さんの面倒は見られなくなりそうだ」
「ここまで世話になったな、ミラー」
「気にすんな。オレはオレのために、お前さんを利用してただけだしな……ところで、そっちの方は、最近調子はどうなんだ?」
「別に……何も変わらないさ」
「本当か? 女をたらし込んでるって噂だぞ?」
突然の発言に、思わず口に含んでいた酒を噴き出してしまいそうになる。ある意味では、この耳の速さがコイツが記者として優秀たる所以なのだが、変な噂が立つのは本意ではないので訂正することにする。
「勘違いしないでくれ……成り行きで拾っただけだ」
「ま、そうだろうな。だが……人生、やり直せるならそれに越したことはないぞ。未練の一つでもなきゃ、それこそ酒とこいつに逃げるしかなくなる」
ミラーは指の隙間に挟んだ紙巻のそれをこちらへちらつかせながら笑った。人をからかうような、それでいてどこか諦観の念が籠っているかのような不思議な笑みである。
「はぁ……そんな無駄口を叩くためにわざわざ呼んだのか?」
「オレは割と本気だぞ? ま、お前さんの人生、お前さんの好きなように棒に振ればいいとは思うが……年上のオッサンからの忠告だと思って、胸に留めておいてくれればいい」
「余計なおせっかいだ」
「そうだろうな」
男はそう言いながら、こちらに見せびらかしていたそれを咥えて、おもむろに大量の煙を吐き出した。
自分たちは、互いの事情をよく知りはしない。向こうが欲しいのは鎖の魔術師や帝国の情報であり、自分の事情ではなかった。もちろん、聞かれはしたが、みだりに話すことでもないと思っているので断った。そして、コイツもそれ以上は聞いて来なかった。
こちらとしても、ミラーの人となりに興味がある訳ではない。情報の提供で利益があるから、たまにこうやって酒を飲んでいただけである――そして、それは今も変わらない。だから、こちらも相手の事情を詮索するつもりもないし、それでいいと思っている。
ふいに、ミラーは耳を貸すように、というジェスチャーを取ってくる。ここは、こういったときのための席である――聞かれたらマズい話をするために、奥まった仕切りのある席を取っているのだ。
「近々、ヴェルー海峡に連合国軍が総攻撃を掛けるって噂がある。もしそこを突破されれば、帝国としては苦境に立たされる……何せ、この内海の船の行き来が妨害される形になるからな。
最悪の場合、食料の輸入ができなくなるかもしれん。ただでさえ、長年続いている戦争のせいで食料品が高騰気味だってのにな」
ミラーはそう言いながら、小皿に乗っていた最後の豆を一つ口へと運んだ。割と顔が近いので、酒と煙草の匂いが鼻につく。
「何故それを俺に?」
「分からんか? 連合国が、本格的に動いているってことだ……近いうちに、ここの状況も変わる。チャンスが来るのかもしれないし、逃すのかもしれない。どっちに転がるとしても、それはお前さん次第ってことだ」
ミラーが煙を吸い込むのに合わせ、背後からあわただしく誰かが入ってくる気配がした。音のする方を見て、ミラーはさっと顔を青ざめさせ、こちらの身体を使って隠れるように机に突っ伏す。
「おいミラー、何かあったのか?」
「しぃ、しぃー……静かにするんだ。ついでにできれば動かずに、そのままでいてくれ」
男は伏したままの姿勢で口元に人差し指を当てて黙るように促してくるが、時すでに遅しだったというか、店に入ってきた誰かがこちらに向かってづかづかとまっすぐに歩いてくる。
ただまぁ、そこまで警戒することもないだろう。それは――。




