1-25:少女の脱走 下
「俺は無事なんですが……実は、強盗が押し入りまして」
扉の向こうで白髪の婆さんが、驚いたように目を見開いている。その背後にはアパートの住人たちが数名。脳内で聞こえるシュライクの言う通りに少し身をずらして窓が割れているのが見えるようにすると、婆さんは口元を手で押さえながら、部屋の状況とこちらへ何度か視線を往復させる。
「ちょっと、大丈夫だったの!? 発砲音も聞こえたし……!」
「向こうもパニックだったらしく、弾丸は当たりませんでした。それで、犯人は窓を割って逃走したんです」
「えぇ、ここ三階よ!?」
「俺もそう思ったんですが……」
そのままゆっくりと室内へ戻り、婆さんにだけ手招きをして窓の所まで移動をする。婆さんはおっかなびっくりに割れた枠から少し身を乗り出し、下に散らばっているガラスを眺めているようだ。
「恐ろしく身軽なやつらしく、もう走り去って行ってしまいました」
「はぁ……確かに、影も形もないわね」
「しかし、なんでウチが狙われたんでしょうか?」
今のも、シュライクの言う表現をそのまま一言一句口にしただけだ。しかし、今のにどんな意味があるんだろうか――ややあってから、婆さんは納得したように手を叩いて、目を輝かせながらこちらへと振り返った。
「……分かったわ! ハードロックさん、家を開けていることが多いし、何かいつも色々と買い込んでいるみたいだから、それできっと前から目星を付けていたのね!
この辺り、確かに治安もよくないし……ハードロックさん、災難だったわねぇ」
興奮してまくし立てていた婆さんは、何故か最後には同情的になっていた。
『人間、他人に言われたことは本当かどうか疑うものだが、自分で導き出した答えに対しては盲目的に信じたくなるものだ。外側に割られたガラスを見せて、後は推理させれば、自分で自分を納得させてしまうものなのだよ』
確かにそういうものかもしれない。推理自体はそう難しいことをしたわけでもないし、何なら子供でも思いつきそうな内容だが、婆さんは謎を解いた満足感でうんうんと頷いている。
なんなら、アパートの器物を破壊したことも――まぁ壊したのはあの女の子だが――お咎めなさそうな雰囲気である。廊下の野次馬達も、婆さんの推理がそれなりに筋が通っていたおかげか、納得してくれたようであった。
「……それで、そっちの女性は誰なの?」
「あぁ、それは……」
そう、もうひとつ、アザレアの件が残っている。アザレアはどうしたら良いのか、おろおろとこちらを見ているが――しかし、シュライクからの続きが一向に脳裏に響いてこない。
『……おい、続きはなんて言えばいいんだ?』
『そこまでで大丈夫だ、後は勝手に納得するよ』
言われるがまま黙っていると、しばし気まずい雰囲気が流れ――そしてややあってから、婆さんは再び手を叩いた。しかし、今度はなんというか、同情的というか、どこか下世話な感情がこちらを見る目に浮かんでいる。
「なるほど、なるほど……お楽しみのところ、災難だったわねぇ。でも、ちょっと安心したわぁ。ハードロックさん、なんだかそういうことにまったく興味がないのかと思ってたから」
一瞬、婆さんが言わんとするところの意味が分からなかったのだが、「そういうこと」でなんとなく察しがついた。
『おい、メチャクチャに勘違いさせてないか?』
『行きずりの女を拾ってきたという点に関しては、そう違いもあるまい。それとも、恋人とでも言った方が良かったかね?』
『いや、それは勘弁だな……』
『だろう? 我輩なりに気を使ってやった結果だ。今後も出入りすることに関しては、気に入ったとでも思わせておけばいい……さて、そろそろ聴衆にも撤収してもらうとしよう』
シュライクとの念話が切られると、廊下の方からかつん、かつんと乾いた音が響いてくる。そして、野次馬達の間から、一人の男が現れる。自分はその男の外見に馴染みがあるのだが――背が高く、肌は浅黒く、背広とコートをばっちり着こなした男だ。
どこか知的だが威圧感のある雰囲気に押されたのか、はたまた手に持った手帳に――なんであんなものを手に持っているのかは謎だが――押されたのか、聴衆は素直に道を譲り、分かれた人海の合間を縫って男が部屋へと入ってきた。
「警察だ。別件での調査中に、こちらから激しい物音がしてね……事件かね?」
「ちょっと刑事さん! 強盗ですって! 早く犯人を捕まえてあげて!」
「えぇ、もちろん。しかし、現場の確保も大切なのでね……あまり人が多いと証拠が消えてしまうかもしれないので、皆さんには撤収願いたいのだが?」
男がそう言いながら辺りを見回すと、聴衆も婆さんも部屋からはけていってくれた。もうミステリーはなくなったので、後の面倒ごとはお役人に任せようという判断なのだろうが――聴衆が去って自分が扉を閉めると、アザレアが例の変形する球体を手に持って男の方を睨んでいた。
「ずっと、どこからか邪悪な気配を感じるとは思ってましたが……ご主人様、その男から、いいえ、その邪神からお離れください」
「くっくっく……いやぁ、見上げた忠誠心。貴様が眷属と化すのに我輩も力を貸しているのだが、まったく敵視されてしまっているね。
ほら、君、どうにかしてくれたまえよ。従者同士のいざこざを解消するのは、主の役目じゃないのかね?」
男の姿を取ったシュライクは――この外見は、自分が初めてコイツと出会った時と同じものだ――半笑いを浮かべながらこちらに流し目を送ってくる。
「アザレア、そいつは味方だ」
「で、でも……非常に邪悪な気配を感じます。傲慢で、狡猾で、残忍で……人の不幸を蜜とするような、そんな悪辣さを感じるのです」
「素晴らしい観察眼だが、そいつがいないと困るんだ……少なくとも、今のところはな。それに、今はあの子のことが優先だ」
「はっ、そうでした! 私、探してきますね!」
「俺も行くよ……この辺りはかなり入り組んでいるから、一人じゃ帰ってこれないだろう?」
「でも、お身体は大丈夫ですか?」
「よくはないが、さっきよりは動ける……喋ってる時間も惜しい、早く行こう」
玄関に掛けてあるコートを取り、そのままアザレアと共に部屋を出る。自分たちの状況が気になる奴がいるのか、扉からこちらを見ている住人もいるが、このまま自分たちが出かけても、シュライクが部屋に残っている風に見せかければ――恐らくもう室内であの体は土に還っているだろうが――現場確保をしてもらっているという面目も立つだろう。
「しかし、どうやって探しましょう? 近くに行けばあの子の気配を感じることもできると思うんですが、流石に人が多いと、なんとも……」
アパートを出て、少女が走り去っていった方角へ移動を始めたタイミングで、後ろからアザレアがそう声を掛けてきた。確かに、入り組んでいる居住区の中で女の子一人を探すなんて至難の業だ。
「確かに結構すばしっこそうだが、あの子はお金も持っていないし、そう遠くには行けないはずだ……あとは、シュライク」
「あぁ、任せたまえ」
その声がポケットから聞こえ、ただちに人形が宙へと舞い上がっていく。
『上から人混みを見ても細かくは判別できないが、あの小娘は別だ。胚がもつ特有の力場が、我々イグノートゥスには見えるからな……先日の小屋が襲撃されたのは、そういう意味合いもあるのだろうな』
「……だそうだ」
「えぇっと……はい?」
そういえば、コイツの声は自分にしか聞こえないのだった。小さなセクトは街中にも存在する――そのため、「要は、急いだほうが良さそうだってことだ」とだけ返し、迷路のような住宅街を走り出すのだった。
次回、胚の少女本格始動




