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1-23:少女の脱走 上

 気が付くと、いつの間にか自分は森の中にいた。煉獄内にあった鬱蒼とした森ではなく、木漏れ日が差し込む美しい森である。この場に来たのは一度や二度ではない。十二年前のあの日から、何度も、何度も訪れた場所である。


「……随分と楽しそうだったんじゃない?」


 声のした方へと振り返ると、そこには少女が一人、いつもと変わらない姿で小さな花畑の上に座っている。明るい茶色の髪と朗らかな声が印象的な彼女――毎晩というほどではないのだが、何か大きなことがあった時には必ず彼女の夢を見る。


 そして、彼女がずっと側にいると感じているのは、この夢が原因だった。


 もちろん、これが現実ではないというのは分かっている。本物の彼女は、もうどこにもいない。それを認められないほど愚かではないつもりだし、夢の中の彼女を本物と妄信できるほど気が触れているわけでもないつもりだ。


 それでも、こうやって夢の中で彼女を見ることは、自分自身の想いの表れでもあると思う。彼女のことが一番大事だから、自分はこうやって何度も彼女を夢に見るし、彼女のことを愛しているから、ここに来れば心が安らぐ。


 だからこそ、夢から覚めた時の喪失感は大きく、どうしようもない虚しさに駆られるのだが――今はそんなことはいいだろう。木漏れ日で輝く花園に座る彼女の隣に自分も腰掛け、一時の逢瀬を楽しむことにしよう。


「そんなことはないさ……もう大変すぎて、頭を抱えたよ」

「ふふ、確かに抱えてたね。でも、ボクとしては、ハルトの周りに人がいてくれた方が安心なんだけど」

「一人の方が気楽さ。君がいないんだったらね」

「……あのね? もう、ボクのことは忘れてくれていいんだよ? ハルトにはハルトの人生があるじゃないか」

「そんなこと言わないでくれ。君は俺の全てなんだ……今までも、そしてこれからも」

「もちろん、君の気持ちは知っているし、嬉しくも思うけれど……ボクとしては、もう復讐なんかやめて、誰かと一緒にのんびりとして欲しいんだよ」

「君は優しいから、そうやって誰かの幸せを祈れるだけだ。残念ながら、俺はそこまで人ができちゃいない」


 会話をしている内に、段々と胸のうちに怒りが燃え上がって――彼女に対してでなく、それ以外の者たちに対して――たまらなくなり、思わず立ち上がる。


「君が命を落とすきっかけを作った奴が、今もほくそ笑んでいる! 自分の欲望を叶えるために、俺たちを巻き込んで大災厄を起こし、今は王様を気取っていやがる! それを許してのうのうと生きていけるほど、俺は腑抜けちゃいないんだ!

 それに……!」

「……ごめんね、その先は言わなくて大丈夫だよ」


 こちらが言おうとしたことを彼女が中断し、辺りに静寂が戻ってくる。勢いよく立ち上がったせいで舞い上がった花弁が、自分の怒りと対照的に、柔らかな陽光で輝いている。


「そうだったね。ハルトの戦いは、自分の中で整理をつける意味合いがある……でも、これだけは忘れないで欲しいんだ。ボクはいつでも、君の幸せを願ってるって」


 そういう彼女の声は、静かで、優しかった。取り柄のない自分にも優しかった彼女。その温かさが現実にないという虚しさや、夢の中とはいえ、せっかく出会えた喜びを怒りで上書きしてしまった気まずさとがごちゃ混ぜになり――再び自分も腰掛けるが、どうにも彼女の方を見ることができなくなる。


「今日はここまで……さぁ、そろそろ目を覚まして。君の周りが、また大変なことになっているようだよ?」

「……セレスタ? 何を言って……」


 大変なこととは――そう聞こうと思って横を見た瞬間、どこかから鐘の音が聞こえ始める。直後、彼女の顔を真っ黒な闇が覆い始め、そしてその真ん中に亀裂が入り、ギョロっとした目玉がこちらを見つめたかと思うと――花園はどこかへと消え失せて、何かが破裂するような音と、こちらを見つめる目玉の怪物とが目覚めを迎えた。


「やぁ、君。素晴らしい朝だよ」

「……いいや、クソみたいな朝だ」


 シュライクの言葉を受け流しながら時計を見ると、時刻は十二時を指している。どうやら正午のようだ。窓の外の明るさもそうだが、外から聞こえる鐘の音がその証拠――鉄機城の上部に備え付けられている時計塔の音、それが各地に設置されているスピーカーを通して、この帝都に昼食の合図を告げるのだ。


 だが、鐘の音の中に、先ほどあからさまな異音が紛れていた。あれは銃声だ――それも、かなり近くから聞こえた。恐らく、隣室からだ。


 身体には激烈な筋肉痛が残っているが、頭は幾分かすっきりした。アパートに帰ってきてからベッドに跳び込んで、六時間ほどは眠れたようだ。

胚の少女、本格始動まであと3話。

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