1-22:煉獄を抜けて 下
「あの、ご主人様。あの方、お知り合いですか?」
「あぁ、イリス・シャルトリューズ……シャルトリューズってのは、後から付けた名前らしいが。昔、同じ組織に所属していたんだが、そのよしみで良くしてもらっている」
自分が彼女と塩の大地で知り合ったのは、本当に偶発的なものだった。別の仲介者を介して塩の大地へと潜入して日が浅いうちに、たまたま非番だった彼女がこちらに声を掛けてきたのだ。自分は彼女を全く覚えていなかったが、彼女はこちらになんとなくだが見覚えがあったらしい。
自分は鎖の中にほとんど知り合いもいなかったのでバレはしないだろうと油断したのだが、意外と顔が割れているのかと焦ったものだ。しかし、彼女は鎖内でもちょっと見かけた覚えがある程度で、本当にもしかしたら、という確認であったらしい。
十二年前に事実上滅ぼされた虚空の鎖という秘密結社の生き残りの多くは、帝国に与している。彼女も自分の身を護るために一度は帝国に合流したが、本来的には納得していないようであり、それでこちらの動きに協力してくれている訳である。
と、ここまでわざわざアザレアに説明しなくてもいいだろう。彼女の方も「昔馴染み」とか「よくしてもらってる」とかぶつぶつ独りごとを呟きながら勝手に妄想を膨らませているようであり、それはそれで後から厄介なことになるかもしれないが、ひとまずそれ以上踏み込んでは来なかった。
そんなアザレアだが、その後は目を輝かせっぱなしだった。まずは昇降機に乗った時。これは第三層から第一層まで貫く太い柱で、その中をおよそ三十分刻みで昇降機が往復しているのだが、柱自体がガラス張りになっているほか、この煉獄は一階層あたりがかなりの高さがあるため――下手をすれば数百メートルを超えるような場所もある――上り下りをしている時に景色がよく見えるのである。
「わぁ……すごい、都会みたいですね!」
第二層に広がる工場群を見て都会というのは少々違うようにも思うが――たとえば農村などから出てきた者であれば、そんな感想を抱くこともあるかもしれない。
自分も初めてこの景色を見た時、都会とは思わなかったが、圧倒されたのは確かだ。屋根と煙突、そこから立ち上る煙、それが見渡す限りに続いているのだから。
第二層の敷地の半分は帝国の直営で、軍の使う武器や、今乗っている昇降機や鉄道関連などの機械のパーツを作っている。残り半分は帝国臣民であれば――巨大な資本があればという前提だが――民間の会社も利用できる。
周りの海や豊富な地下水と、地下から採掘される石炭による蒸気機関で工場が運営されており、煙は配管によって島の外に適宜出されるか、処理しきれない分は中空のエーテルである程度は中和してくれている。
ともかく、あんまりはしゃがれると目立ってしまう。この昇降機は冒険者はもちろん、工場で働く労働者や地下資源の採掘者も利用するのであり、現在は夜勤明けの連中もそれなりの人数が乗っている。
兵士はそこまでいないので、そういった意味での警戒はあまりする必要もないのだが――男物のコートを羽織っているアザレアは奇妙な存在なので、注意をひきたくない。そのため、静かにするようにジェスチャーを送りながら、大きな声を出さなくてもいいように彼女の側に寄ることにする。
「えらく感動しているが、第六階層に潜る時に見たんじゃないか? っと、記憶がないんだっけか」
「うぅん、そうですね、曖昧です。見たような、見ていないような……でも、ともかく、すごいです」
アザレアは昇降機から降りるまで窓の外を眺め続け、そして今度は街に出た時にも同じように目を輝かせていた。すでに一年近く住処とダンジョンを往復している自分にとっては見慣れた光景だが、彼女にとっては新鮮なのかもしれない――確かに、この帝都ヴァル=サリエールは、世界で最も発展している都市の一つではある。
昇降機はこの街で働く者が使う重要なインフラであるため、その周囲にはたくさんの飲食店や雑貨店、書店など多くの店が並んでいる。それに、駅も近い。孤島と言っても直径がおよそ十キロメートルを超えるこの地は、蒸気機関車で様々な地区と結ばれている。
中心地に広がる商業区、帝国大学のある学術区、銀行や証券会社の並ぶ金融街、新聞社やその他の会社が密集するビジネス街、それに居住区や冒険者向けの宿泊区、更には外れにある歓楽街など幅広く、徒歩での移動では効率が悪いのだ。
さらに、この街の特徴として、建物が高層化しているというのが挙げられる。ある程度の広さがあるのは間違いないが、それでも大陸中から集まる人を単純に許容できるほどの余裕はない。そのため、店舗もオフィスもアパートも、とかく上へ上へと伸びていくのだ。元々、第一階層は塩の膜に覆われていたらしいのだが、今は建物の高層化や換気のため、所々に穴が開き、まだらに灰色の空を覗かせている。
アザレアが指さしているのは、その中でも最も高く、そして巨大な建物だ。それは立ち並ぶ高層の建物が視界を遮られてなお、この地下空間において摩天楼のように、塩の膜を貫いて、上へ上へと伸びている。
「ご主人様! あれ、あれはなんですか!?」
「静かに……あれは鉄機城だ。ここは帝国の本拠地、偉くて悪い奴があそこに住んでるのさ」
「はぁ……悪いのに偉くなれるんですね」
「悪いから偉くなれるんだろう。そのうち、街の中も案内してやるから……今日は大人しくさっさと帰ろう。その子が寝たままじゃ、動き回るのにも不便だしな」
「は、はい! それで、どこに帰るんですか?」
「活動用の拠点を居住区に持ってるんだ。要は、俺の家だ……広くもないが、まぁ二人増えても手狭じゃない程度の広さはある」
「はぅ! ご、ご主人様の家に!?」
知り合ったばかりの異性を家に連れ込むと言えば確かに不健全に聞こえるかもしれないが、コイツの場合は従者としてついて来ているのに、家に来ないのもおかしいとも思う。
ともかく、自分もさっさと帰ってひと眠りしたい。まるまる一日眠っていないのだから――そのため、独りでくねくねしているアザレアを無視して、さっさと駅に向かう。汽車に乗っている時もまた、アザレアは外の景色を見ながら興奮していたが、朝の時間の下り列車が空いていたことだけは唯一の救いだった。
胚の少女、本格始動まであと4話。




