2-79:真の王女が生まれた日 上
しかし、ここからどうしたものか。神器の使い手を倒したといっても、この空間の状況が変わるわけでもない。ひとまず、こういう状況に詳しそうなシュライクに質問を投げてみることにする。
「それで、これからどうすればいいんだ?」
「我輩の力でどうにかできなくもないが、専門家に任せた方が良いのではないかね?」
シュライクが見ている方角――自分たちが来た方角へ振り返ると、その先から杖の音が聞こえ始める。
「……本当にやりおるとは。驚いたわい」
「言っただろう? 根競べなら負けないってな」
これは丁度いいタイミングで来てくれたといっていいだろう。この世界の本来の主ならば、自分たちを現実世界に返すことなど容易なはずだ。
無論、相手はイグノートゥスであり、もしかするとここから面倒になる可能性も否定はできない。気は抜けないか――そう思っていると、仮面の老婆はこちらに対して満足そうに頷き返してきた。
「うむ……面白い。これは百貌の王が力を貸すのも、納得じゃ」
「そいつはどうも……それで、この世界に捕らえられている人々を解放するにはどうすればいい?」
「妾に任せるが良い。英雄殿の手を煩わせるまでもない。邪魔者を消し去ってくれたせめてもの礼じゃ」
老婆が杖をかざすと、金属の枝が絡みつく天井の向こうの空模様が変わり始める。先ほどまで赤黒かった空が、淡く白く輝き始め――自然とそのまま空を眺めていると、様々な方角から無数の霊魂が空へと集まっていき、太陽の光のような鮮烈な光の下へと向かっていく。
そしてそれらは日の明かりに解けたかと思うと、次第に見えなくなっていった。どうやら老婆は約束通り、しっかりとこの世界に捕らえられていた人々を現世に戻してくれているようであった。
後は、自分たちの番を待つだけか。そう思って視線を地上に戻すと、最後の厄介ごとが残っているのに気づく。
すっかりと失念していたが、此度の混乱を引き起こした原因の一つ――ただ今、少女が向き合っている老兵――が残っている。彼もあの幻覚に巻き込まれていたはずだが、精神力で持ちこたえたのだろうか。
「……私は、戻ることはできません。貴方の身を案じてのことではありましたが、その身を帝国に売ろうとしたことは紛れもない事実……それに何より、貴女の強さを信じられなかった私の弱さもあります」
「それでは、貴方はこの夢見の世界で朽ちようというの?」
パントエールの質問に対し、バルトンは静かに、しかし大きく頷く。恐らく彼の人柄から考えると、本心から帝国に従属しているわけではなく、単純にコンスタンツを生かすための手段としてその道を選んだのだろう。失敗した場合はもちろん、成功したとしても身内から処刑される覚悟だったに違いない。
ただ一つの彼の誤算は、少女が悪夢を乗り越え、自分の足でここに来たことだろうか。裏切り者と謗られる覚悟はあったのだろうが、まさかその彼女自身が、こうやって目の前に現れることなどバルトンは予想していなかったに違いない。
そして、バルトンの頷きに対し、パントエールは静かに――勿論というべきか――首を横に振った。
「それを認めることはできないわ」
「確かに、この世界で朽ちようなどというのは甘い考えでしょう。貴女が意識を取り戻しましたら、外に残っている身体を処断してくれても構いません」
「私が言いたいことはそういうことではない。確かに、裏切りは重罪よ。特に今回のことの大きさを考えれば、貴方は死罪に値するだけの罪を犯したと言えるでしょう。でも、私の弱さが招いたことでもある……そういう意味では、責任が貴方だけにあるわけではないもの」
パントエールが話している中で、自分は「おい」と声を差し挟む。いかなる理由があったとしても裏切ったのはバルトンであるし、そもそも彼女が自虐に走るのを止めるべきだから――そう思ったのだが、パントエールは一度だけこちらに振り向いて微笑みを浮かべ、またすぐにバルトンの方へと向き直る。
「死んで贖える罪なんかない。貴方の言う通り、誰かに裁かれることを黙って受け入れて生きることを放棄するだなんて、甘ったれた選択肢ともいえる……だから、自らの罪を認めるというのであればこそ、貴方は簡単に死ぬことなんて許されない。
そもそも、私たちは未だに寡兵にて大禍に立ち向かおうとする弱い葦に過ぎない。そういった意味では、貴方の力もまだ振るってもらわなければ困るのよ。もっとも、もう貴方に戦うつもりがないのなら、この場で果てて行ってくれても構わないけれど……私は、まだ貴方と共に歩みたいと思っているわ」
パントエールが話し終わるのと同時に、バルトンは眼を見開き、そしてすぐに少女の目の前に傅いた。自分としても、少々驚きが隠せないでいる。つい先ほどまで風が吹けば折れてしまいそうな迷いを見せていたのに、パントエールは急激な成長を見せたのだから。
彼女の成長は、夢の中の義父との再会が招いたことなのか、はたまた異界の瘴気が見せた幻覚のせいで何かが吹っ切れたのか――どちらかはわからないが、ここにきて初めて彼女は王女としての器になったと思う。
老人も自分と同じ感想をもったのか、傅いたまま静かに「ご命令のままに我が王女」と言い、そして一度立ち上がって、今度は自分の方へと向き直って頭を下げてくる。
「貴殿にも迷惑を掛けた。これからも、コンスタンツ様を………………頼む」
頼む、というまでに滅茶苦茶に間があったのは、やはり自分なんぞにパントエールを任せるのが癪という判断なのか。はたまたバルトン自身がこれからも王党派として活躍する前提ならば自分なんぞに任せなくてもいいという葛藤でもあったのか。
真相は分からないが、そう素直に謝られてしまうと、責める気も失せてしまうというものだ。
「アンタもこれから大変だろうから、まぁ頑張るんだな」
「ふん、貴殿に言われずともな」
これまで貴様呼びだったのが貴殿に変わったことを考えると、多少はこちらのことを認めてくれたといったところだろうか。ともかく、老人は鼻息を荒くしながら振り返り、そして他の者たち同様に光に包まれると、そのまま天井を越えて空へと飛んで行った。




