2-78:ワンウェイ・ホーム 下
「や、やめろ! いや、止めてください! 貴方、イグノートゥスですよね!? 僕はヴェクトラ・ノクス星に帰りたいだけなんです……どうか、僕を星に帰してくれませんか!? そうすれば、もう貴方たちに危害を加えたりしませんから!」
「さんざ暴れた挙句に故郷に帰せなどと、斬新な命乞いだな」
「あの、それなら見逃してくれるだけでも良いんです! お願いします!」
「ふむ……貴様のことをどうするかは、我が主にお伺いをたてることにしよう……どうするね、君?」
突然に生殺与奪をこちらに振られるが、自分の意見は決まり切っている。ゴルドヴァッサーの方は、シュライクがこちらを見ている理由が分からなかったらしく、ポカーンとした表情をしていたが――次第に状況を飲み込めたのか、また慌てたような表情へと切り替わる。
「は、ハルト君? 君と僕の仲だろう?」
「つまり、死にたいってことだな?」
「ひっ……ごめんなさい、調子に乗りました! 貴方の下僕にでも何でもなりますから、命だけはお許しを……!」
どれだけ命乞いをされたとしても、コイツを許す気などは起きないのだが、流石にここまで必死だと、ある意味ではこちらが――こんな奴を一生懸命倒そうとしていたのかと――惨めな心地がしてくる。
「ちなみに、コイツをなんちゃら星とやらに返してやることはできるのか?」
「できなくもないぞ。まぁ、対価も相応だがね」
こちらの質問に対し、シュライクは凄く良い笑顔を浮かべた。そういうことなら、少し気が変わった――全てを犠牲にしてでも目的を達しようとするゴルドヴァッサーの願いを全く無視するのも可哀そうだし、本当にはるか遠くの星へと帰ってくれるのなら、これ以上の被害を被ることもないのだから。
「なるほど、それじゃあ帰してやってくれ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 払うべき対価って何か説明を受けてから……うぐっ!?」
全てを言い切る前に、シュライクの影がゴルドヴァッサーを強く掴んだ。
「ははは、我が主の寛容に感涙すべきだよ。ちなみに対価というのは、大したことじゃない……ヴェクトラ・ノクス星までの距離はここから十億光年、それを物理的に渡航するのは肉の器にある人間では本来不可能だ。
が、今の貴様は丁度良く精神体だ。精神体だけなら、混沌の渦へ貴様を送り込んで、そこから直に送ってやることができる……混沌の渦は我々が観測したありとあらゆる空間へと繋がっているからな。
渦を通って行けば、魂だけは故郷に帰ることも不可能ではない……理論上はな」
「あの、魂だけで帰って、蘇る算段は……?」
「無理だな。仮に体よくヴェクトラ・ノクス星に辿り着いたとしても、寄る辺を失った魂はすぐに霧散して終わりだ」
「そ、それなら遠慮をしたいのですが……?」
「いいや、主が善意で君を帰すと言った。もう決定事項だ」
「ひぃ!? そ、それに先ほどから、不穏なワードが……理論上は、とか、体よくとは、とか……渦を通るのって、安全なんですか?」
「なぁに、そこは根気があればどうとでもなるさ。コズミック・タイドを耐え切れる精神力さえあれば、渦へと至って故郷へとたどり着くことができるだろう……主とそこの娘は耐えたのだ、夢見の王ともなれば、きっと余裕で耐え切れるに違いあるまい」
「ひっ!?」
「あぁ、ちなみに……まず、渦へと至る前には、貴様の魂は直に強烈な異界の瘴気に耐えなければならん。そして、渦へ至れば、それ以上の瘴気が貴様を襲う……耐え切れなければ貴様は正気を失った魂として、永久に彷徨うことになる。輪廻の輪に戻ることもできず、気を狂わせ続ける……無限に続く、本当の地獄だ。
たかだかちょっと斬りつけられたくらいで取り乱して、私が入ってくる隙を与える程度の精神力で耐えられるかどうかは甚だ疑問もあるが……貴様自身が故郷を望んだのだ。頑張ってくれたまえ」
「や、やめ……!」
懇願するゴルドヴァッサーの身体を影が両手で掴むと、一気にどす黒い瘴気が巻き上がった。五秒だろうか、十秒だろうか――恐らくゴルドヴァッサーはもっと長い時間に感じているに違いないが――ともかく瘴気は数秒のあいだ立ち上ったのち、すっかりと霧散した。
影が手を開くと、地面に何かが落下する。そこには、何かを小声でぶつぶつと言いながら、力なくうなだれているゴルドヴァッサーの姿があった。
「残念、渦へと至る資格すらなかったようだな。まぁ、我々は善意から彼を送ろうとしたのだ。心を痛める必要もあるまいよ」
シュライクがわざとらしく肩をすくめると、影も連動して動き――そしてその動作が終わるのと同時に、影はすっかりと男の後ろへと戻って行った。
要するに、ゴルドヴァッサーは詰んでいたのだ。混沌の渦に辿り着く前に発狂するか、渦へと至って発狂するか、はたまた全てを乗り越えたとしても寄る辺なく霧散するか――要は発狂か消滅か、いずれかであったのだから。
結局、シュライクの言う「帰せる」とは、あくまで「理論上は不可能ではない」というだけだったのだろう。
しかしまぁ、こう見ると、シュライクは結構禍々しい存在である。自分はどれだけ瘴気を浴びても発狂しないから良いものの、やはり普通の人間がコイツの領域に踏み込んではいけないのだと改めて思わされる――パントエールも同じようなことを考えているのか、どこか引いた様子で男のことを見つめている。
「……アレ、何者なの?」
「話せば長くなるんだが……まぁ、見たとおりの奴だよ」
「全然分からないから聞いているのだけれど……」
「そんなことより、さっきの剣戟はすごかった、助かったよ」
「そ、そう? それなら、いいのだけれど……いや、そんなことよりで流していいことなのかしら……?」
パントエールはそう言いながら、前髪をひっぱり、どこか所在なさげにしている。なんだかあまりにしおらしく調子も狂うが――先ほどの幻覚で精神に異常をきたしているのかもしれない――ひとまず、フィオナたちと約束したように彼女を無事に連れて帰ることはできそうで、良かったということにしておこう。




