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2-73:十二年前の惨劇 中

「……セレスタ、セレスタ! しっかりしろ!」

「ハルト……ボクを殺して」


 端的な、しかし衝撃的な少女の言葉に、その傍らに跪くハードロックは息を呑んだようだ。対するセレスタの方は、徐々に浅黒く変色する顔に、確かに気丈な笑顔を浮かべた。


「このままじゃ、ボクは食屍鬼になって、ハルトに襲い掛かってしまう……そうなる前に、ボクを殺してほしいんだ」

「いや、いやだ、無理だよ……そんなことは、できない」

「ハルトは優しいからね……でも、お願いだよ。これは最後のお願い。君がボクを手に掛けたくないのと、ボクが君に襲い掛かりたくないのは一緒。でも、ボクの方がちょっと状況は悪い……だって、ボクはボクでなくなってしまうんだから」

「できない……できないよ。この手で君を手に掛けるくらいなら、一緒に食屍鬼になった方がマシだ」

「あはは、確かに、それなら死んでも一緒って言えるのかも? うぅ、うぅ~って、辺りを徘徊するのも悪くないのかな……でも、それって、本当にボクたちって言えるのかな?」

「それは……」

「少なくとも、ボクは違うと思う。食屍鬼になってしまったら、ボクたちは互いの想いを忘れて、ただ屍肉を求めて彷徨う亡者となるだけ……それは、かつてセレスタとハルトだった、別の何かだよ。

 それなら、もうまだ人間であるうちに……君への想いがこの胸にあるうちに、ボクのことを終わらせてほしいんだ……大好きな、君の手で」

「セレスタ……」


 ハードロックは大きくうなだれて、少しのあいだ横たわる少女を見つめる。そしておもむろに立ち上がり、背後に落ちていた石を――頭くらいのサイズで、重みがありそうだ――拾い上げて、元いた場所へ戻った。


「それでいいんだよ。ありがとう、ハルト……君がやりにくくないように、ボクは目をつぶっているから……」

「……うわぁああああああああ!」


 その先に起こることを注視する勇気は自分にはなかった。職業柄、流血沙汰にはある程度は慣れているといっても、それは敵対関係にあるものとの戦いであるとか、そういった類のものである。


 好き合っている二人の悲劇などを見たいわけではない――それで思わず目を逸らす。本当なら耳も塞ぎたい気持ちがあったが、それは彼の決意と覚悟を否定するようで、そこまでのことはできなかった。


 ただ、いつまでも思っていたような音が聞こえてくるようなことはなかった。覚悟を決めるのに時間が掛かっているのか――そう思い、一瞬だけ瞼をあけて、二人の様子を覗き見る。


 すると、そこには一人分のシルエットが増えていて、ハードロックの後ろに立ち、彼の肩を掴んでいる姿が視界に入る。


「成程、こんなことがあったのか……」


 ゴルドヴァッサーは納得したように頷き、若かりし頃のハードロックの肩に後ろから手をかける。


「なぁ、ハルト君。救いは夢の中にしかない……強情張らずに、望みを言ってみろよ。僕が叶えてやるからさ」


 アイツは、人の悲劇をこうやって繰り返させて、そこに甘言を用いて人を操ろうというのか。なんて卑劣な奴――その術中にはまって現実から逃避しそうになった自分が怒れることではないかもしれないが、それでもこのやり口は卑劣だと思う。


 だが、ハードロックの立場に立てばどうだろうか? もう一度、愛する人をその手に掛けるだなんて、あまりにも辛いことだと思う。もし彼があの男の甘言に惑わされようとも、責めることはできない――そう思いながら石を抱えている彼を見ると、男に掴まれている肩が、にわかに震えた。


「俺の……俺の望みは……!」


 そう言った後、ハードロックは大きく掲げていた両腕を思いっきり下へと振り下ろした。小さなうめき声が聞こえると共に、彼の頬に黒ずんだ血が付着する――てっきり躊躇すると思っていたので、その一撃はもろに見てしまった。


 それどころか、その後の凄惨な光景を見続けてしまった。ハルト・ハードロックは鬼気迫る表情で、何度も何度も石を持つ両手を振り続け、そのたびに返り血が彼の身体を染め上げていく。


 その凄惨な光景と、鈍い打撃音、辺りの臭い――あまりに凄惨な状況に、思わず胃の中のものが逆流する心地がしてくる。


 だが、それでも、その悲劇から目を離せない。十秒だろうか、一分だろうか、ただ延々と繰り返される彼の動きを眺め続け――そして返り血がすっかりと出なくなったタイミングでハードロックは持っていた石をその場に落として立ち上がり、唖然としているゴルドヴァッサーの方へと振り返る。


「こ、コイツ……狂っているのか!?」

「そうだな、狂ってるのかもしれない……だが、仮にそうだとしても、俺がやることは決まっているんだ」


 彼はそのまま、真っ黒に染まり上がった手で異星人を指す。


「俺の望みは、過去を変えることでも、夢の世界に逃避することでもない……この惨事を引き起こした男を、この手でぶっ殺すことだけだ!」


 青年がそう言い切ると同時に、青年の体が一瞬光を放った。光が止むと、そこには自分がよく知る男の姿があった。


 対するゴルドヴァッサーは狼狽したように一歩、二歩と後ずさる。その気持ちも分かる。ハルト・ハードロックの強さには息をのむものがある――彼には何度も決意や覚悟を問われてきたが、彼には実際にその強さがあったことを認めざるを得ない。


 その決意に対して自分が抱く感情は、一言でいえば畏敬だろうか。自分が彼の立場だったとして、最愛の人を――たとえこれが夢の世界であったとしても――もう一度自らの手にかけることなどできはしない。


 そういった意味では恐ろしさを覚えるのだが、一方でそのすさまじい強さには惹かれるものがある。ともかく、今はハルト・ハードロックという男から目を離すことができなかった。


「だ、だから……話が分からない男だね! 一緒にフェルノワールを倒そうと言っているだろう!?」

「馬鹿が! テメェみてぇな三下の下種と組むなんて、こっちから願い下げだ!」

「くっ……こんな頭がおかしい奴を誘ったのが間違いだった! 幸せな記憶を否定するというのなら、君の身体だけ使わせてもらうことにしよう……永久の悪夢に彷徨うがいい!」


 ゴルドヴァッサーが長い四本の腕を曇天にかざすと、空に巨大な魔法陣が姿を現す。そしてその腕が振り下ろされると、周囲にあった黒いヘドロが広がり始め――四方八方から広がってくるそれから逃れる術はなく、自分の体は押し寄せる黒い潮流に引きずり込まれてしまう。


 反射的に目を瞑って息を止めるのだが、そんなことはすぐにできなくなった。自分の五感のすべてを、異常な感覚が襲い始めたためである。

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