2-67:夢見の廃村 下
自然と、自分も少女も接近してくるものに警戒する形になる。普段でも警戒するような怪しさに加えて、この世界で明確に自分たちの方へと向かってくるものがいることに違和感を覚えたからだ。夢見の世界において、他の住人たちは自分たちのことなど意に介していなかった――彼らは自分の夢を見ることで満ち足りており、周囲のことなど気にしていないからである。
それに対し、近づいてくる何者かは、明確にこちらを意識して向かってきている。距離が縮まってよくよく見ると、どうやら真っ黒なぼろぼろのローブを身に纏った老婆のようだった。
老婆と思ったのはその背丈の低さと腰が折れ曲がったような姿勢、それにがちゃがちゃと装飾の付いた杖を突きながら歩いているせいである。しかし断定しきれないのは、その者がフードの下に仮面を被っており、顔が見えないせいである。
いや、アレを仮面といっていいのだろうか? 本来的な仮面とは、何かの顔を模したもののはずである。顔を覆っている面という意味合いではアレは仮面なのだが、何とも形容しがたい、渦を連想させるような柄のお面が、見る者をなんとも不安にさせる。
「……お主ら、この世界を支配している魔術師を探しておるのじゃろう?」
面の下から聞こえてきたのは、またなんとも異様な声だった。高いような低いような、くぐもったようなかすれたような、そんな声。ともかく聞き取りにくく、傾聴しないと聞き漏らすような声である。
「貴女は、どうしてそれを……?」
パントエールは少し身を乗り出して、来訪者とコミュニケーションを取ろうと試みている。自分としては、コイツの正体には何となくだが当てがあり、意思疎通などは無駄であると判断しているが――案の定、仮面の老婆は杖を振って装飾で音を立てながら、少女の方ではなく明後日の方を見つめ始める。
「この世界は、数百年前に一度閉じられた世界。終わった夢の国じゃ。が、数年前に再びこの世界への扉が開かれた。
この国を治めていた元の主は、ただ人々の夢を観察するのが楽しかっただけ。人という存在の様々な願望を観測することが目的だった。だからこうやって、人々の望みが叶う国を作った。
そのために一人の人間を見出し、それらの人々を操る力を与える代わりに、夢を見る人々を集めさせた……それがこの世界の成り立ちじゃ」
「何を……?」
パントエールは生真面目にも相手の真意を理解しようとしている。それは不毛なので、彼女の前に一歩踏み出し、自分の方が老婆風の何かに返事をすることにする。
「……それで? 今回の神器の持ち主が気に食わないから、俺たちをけしかけて倒させようってところか?」
「まぁ、そんなところじゃ……もっとも、倒せればの話じゃがな」
「アイツを倒さないと戻れないんだ。倒してみせるさ」
「倒せるのか? 既にここは奴の領域。この夢見の世界は、奴の思うように作り変えることができる。見た目も、音も、臭いも……物理法則ですら、ここでは奴の思うがまま。それでも、人である貴様に倒す算段があるというのか?」
「算段なんかは特にないが、ひとまず諦めだけは悪いからな。なんとかなるんじゃないか?」
発狂するまでひたすらに悪夢を見せる、そういった手合いの相手は初めてではない。逆説的にいえば心さえ折れなければ何とでもなる。
物理法則を無視するといっても、それはあくまでもこの世界の中だけの話である。精神的な世界において何が起ころうとも、肉体が破壊されるわけではない。肉体が破壊されなければ、何度だって立ち向かうことができる――心さえ折れなければ。
こちらの返答に対して驚いたのか、老婆は一瞬だけ息を吞むようなそぶりを見せる。いや、実際のところはこちらの返答など分かっていて、敢えて試したという方が正しいか――老婆はすぐに満足したように、杖をじゃらつかせながら首を縦に振る。
「成程、成程……面白い。百貌の王も信頼しているみたいだし、ワシもひとつ貴様に任せてみるとするか」
そこで言葉を切り、老婆は冷たい風の吹きすさぶ方角を杖の先端で指し示す。
「あちら側に墓地がある。その中でも最も立派な墓の下に、魔術師の領域に通じる隠し通路が存在している……健闘を祈るぞ」
老婆はそう言って振り返り、再び杖を突きながらもと来た道をゆっくりと戻って行った。
「……ねぇ、あの人誰だったの?」
「この世界を作ったイグノートゥスだろう。自己紹介してくれたわけじゃないから、絶対とは言えないがな」
しかし、あの老婆がイグノートゥスだとして、その場合は一点疑問が残る。この世界の創造神であるあの老婆の力は、本来ゴルドヴァッサーを上回っているのではないか?
それなら、わざわざ誰かをけしかけるようなことなどしなくても済むとも思うが――そのあたりは、長らくこの世界を放置してしまったが故に、老婆は影響力を失ってしまい、簒奪者を追い出せなくなったと、そんなところか。
もしかすると、本当はいつでも追い出せるのだが、それでは面白くないから、誰かをけしかけようとしているだけなのかもしれない。いや、もしかすれば、もっと別の理由があるのかもしれない。イグノートゥスというのは、そういう連中である――人の理で測ることのできない連中なのだから、考えるだけ無駄なのだろう。そう思いながら老婆の指示した方角へと足を進めることにした。




