2-59:夢見の世界への潜入 上
「……先ほども主には伝えたが、この神器は我輩の辞書にないものだ。少なくとも、神魔大戦のときには存在しなかった神器だろうし、大陸にもなかったものだろう……これほどの効果のある神器ならば、その存在くらいは我輩の耳に届いていただろうからな。
恐らくは新大陸か何かで偶然見つかった物が、何かの縁で巡り巡ってあのゴルドヴァッサーという男の元に辿り着いたといったところか」
「蘊蓄はいい。それで?」
「まったく、気が早い主様だこと……物事の背景を知ることは大事だぞ? ただまぁ、ご所望の情報に関しては、娘の魂を救い出すことは恐らく不可能ではない、といったところだ」
「方法は?」
「よく見てみるがいい。この神器の中心の目の向こう……まぁ、君たち人間の視力では確認できないかもしれないが、この先に別次元が広がっているのだ。
この神器は人々の魂を、この別次元に捕らえる牢獄のような役割をしており、魂の抜けた器に命令を下すことができる……そんな機能を持っているのだろう」
「つまり、この神器の中に入って行けば、パントエールの魂を引きずり出してこられるってことだな」
「正確には少し違う。あの男の魂も、恐らくこの神器の中にある。それで奴は、魂を捕らえた者の中を自由に行き来できるのだ」
「なるほど、それじゃあこの神器の中にいるゴルドヴァッサーの魂を倒せば、全部が元通りになるんだな?」
「その通り。後は、この神器に入る方法だな。流石にこの中に肉体ごと入るわけにはいかんからな……小娘の協力が要る。
神器だ邪神だとはいうが、これらの力はいずれも混沌の渦に通じている。胚の力があれば、あとは我輩の力で無理矢理に夢見の世界の扉をこじ開け、一人分の魂を向こう側へ送ることができる」
一同の視線がフィオナに集まる。セギュールにもフィオナの力については話をしているので、彼女の力がリスクを孕んでいることは伝えている――大人の視線が集まったせいでフィオナは一瞬だけ居心地が悪そうにするが、すぐに口を引き締めて、自分の方へ頷いた。
「大丈夫、覚悟はできてる」
「フィオナ……良いのか?」
「私の力が誰かの役に立つのなら、いいよ。代わりに、絶対にパントエールを救ってあげて」
それをこちらへ向かって言うということは、夢見の世界とやらに行くのは自分で確定か――いや、実際他に適任もいないか。魔術や邪神関連に一番詳しいのは自分だし、そういった意味ではセギュールより自分の方が適任だ。アザレアはこの地点を守ってもらわなければならないし、フィオナは力を使う関係上、自身では夢見の世界へはいけないだろうから。
身体は結構限界だが、魂だけ向かうのなら問題はないと言える。まぁ、どのみち、自分は行くつもりだったのだが――ゴルドヴァッサーを倒す役目は他の者に譲りたくない。セレスタとその思い出を嘲笑ったアイツを、許すことはできないのだから。
それに、フィオナが「絶対に」というのだから、しっかりとパントエールを救い出さなくては。そう覚悟を決めて少女に頷き返すと、横にいるセギュールから「私からも……」と控えめな調子で声が上がった。
「ハードロック殿、この子をよろしくお願いします」
「俺はゴルドヴァッサーの思い通りにことが運んでいるのが気に食わないだけだ。どのみち、アイツを倒さないとここからも出られないしな」
「それでも……ついででも構いません。どうか、パントエールを、悪夢から救い出してあげてほしいのです」
「……お前がパントエールを救ってほしいってのは、この子がいないと王党派が反帝国である正当性を失うからか?」
「その側面も否定しません。が……この子は私の大切な仲間であり、愛弟子でもありますから」
セギュールはそこで言葉を切り、パントエールの方へと向き直る。その眼差しは、普段は飄々とした彼らしからぬ温かみを帯びている――娘や妹でも見るような、より正確に言えば生徒を見る先生というか、そんな面持ちだ。
そして再び男がこちらへ視線を戻すと、また沈痛な表情へと戻ってしまう。あたかも、これから神の前で懺悔を始める咎人とでも言わんばかりの雰囲気である。
「私の存在が、彼女の負担になっているのは分かっていたのです。いえ、私だけではない。バルトンやアルトワーニュ伯、それにガストン様……彼女の周りの大人たちや、父の遺言が、彼女に対する大きなプレッシャーとなっていて、それで彼女が焦っていることも承知でした。
少し脱線ですが……私が二十歳に満たないときなんて、もっとちゃらんぽらんにしていたものです。ソルヴェーニャ革命が始まって、これで世界史の新しい時代が始まるなどと期待を膨らませて浮かれていました。
特権身分の上に胡坐をかいて、その上で国民に同情的に見せかけて、先鋭的な思想を持っていた自分に酔っぱらっていただけ……それと比べれば、彼女はなんとしっかりしていることか。王国を恨んでいてもおかしくない身の上で、それでもただ一心に民を思い、自ら剣を取って渦中に赴いている。
その期待から、この小さな肩に過大な重荷を背負わせてしまいました……国を背負うならばもっと成長してほしいと、厳しく接していたことも認めます。理想だけで組織は運用できませんし、理念だけで政治は行えないと知ってほしくて……それが、この子の焦りに繋がっていたのでしょう」
「あのな……そんな風に誰かに話して許された気になるのは違うと思うぞ?」
「……はは、これは手厳しい。いえ、貴方の言う通りだと思います」
「まぁ、お前さんの気持ちも分からんでもない。この子が何でも過大に受け止めて、その身の丈に合わない戦いをしていたのは事実だ。
要は、お前ら二人とも歪んでただけだ。それを俺に押し付けられても困る……だから、それは俺に話すんじゃなくて、本人に言ってやれ」
「……えぇ、そうすることにします。繰り返しですが、この子を頼みます、ハードロック殿」
セギュールは改めて娘の方を向き、またどこか辛そうな表情を浮かべた。こう見ていると、穏健派の面々はそれぞれがそれぞれに中々歪んだ感情を持っていたという風に思う。
バルトンの裏切り、アレは彼自身の保身だとかそういうものでなく、ただ生き急ぐパントエールが少しでも生き残れる可能性が高い道を模索した結果のように思う。もっとも、帝国の悪い奴に騙されたというのが前提なのだろうが。




