1-12:契約 下
「やろう。どうすればいい?」
「ほぅ。この女を眷属にしたくなったか?」
「そうじゃないさ。考えてみれば、眷属にするだけして、あとは放置すれば良いだけだ。俺はこいつに何も命令しないし、連れまわしもしなければいい。そうすれば、こいつは自由の身になる。
原典派の所には戻れないだろうが、それでも誰かに利用されたまま人生を終えるよりは、少しでも自由を謳歌してほしい……少なくとも、悪い奴じゃなかったみたいだしな」
「成程、成程……それが君の選択か。釣った魚に餌をやらないのもどうかと思うが、まぁそれも良かろう」
「もったいぶってないで、方法を教えろ、シュライク」
「我々は自らの一部を生物に授けることによって眷属を増やす。普通はイグノートゥスが持つ意思や自ら発生させる瘴気でそれを為すのだが、君にはそれができないわけだ。そうなると、そうだな……体液を飲ませて、それを代わりとするのがいいか」
「体液ぃ?」
「そうだ。唾液でもいいし、なんなら精液でもいいぞ?」
「はぁ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまうと、シュライクは一つ目をにんまりと細めて、すぐに女の方へと視線を移す。
「ちょうど、今の呆けた状態ならば噛みちぎられる心配もあるまい? 幸いにして、人として器量も良いし……まぁ、君にそういう趣味が無ければ、出すのに苦労するかもしれんがね」
「馬鹿なことを言うな……体液なら何でもいいんだろう? それなら、こうすることにするよ」
グローブを外しながら女の前に跪き、懐から短剣を取り出して、その先端を左の親指に押し付ける。そして短剣を仕舞ってから、右手で女の顎へ手を添え、血の滴り出る親指をぶつぶつ言っている女の口の中にそっと押し込んだ。
彼女の方も何かを咥えていると安心するのか、虚ろな目のまま丁寧に傷口を舐め取り、そしてこちらの指を吸い始めた。
「ふむ、つまらん……まぁ、血は血でなかなか強力な触媒だ、悪くはない」
「強弱はどっちでもいい……それで、この後は? まさか、今度は犯せとでも言うんじゃないだろうな?」
「当たらずとも遠からず、精神を犯すという意味では同じようなものかもしれんが……おぉっと、そう怖い顔をしないでくれたまえ。
やり方だが、私の力を通じて干渉する。写本を握りながら、女の額に手を掛けろ」
言われた通りにするために、女の口から手を引き抜き、服の下に隠していた魔術書を外へと出す。凧型の形を持つ、平行な辺のない四角形からなるくすんだ宝石型のネックレスである。
「そして、次のように吟じるのだ……」
「……汝、病める時も健やかなる時も、我が忠節な僕としてつき従え」
「はは、結婚式みたいで笑えるな。実は言葉など要らないのだが」
「おい」
先ほどの詠唱を口にするのは抵抗があったというのに――ただ冷静に考えれば、本来は言語など遥か昔に捨てたイグノートゥスは眷属を増やすのに詠唱など用いないはず。そうなれば、今回も不要であったのは当然だった。
シュライク曰く「ただ、この女を従えるという君の宣誓は必要だった」と。恐らく、これは事実だろう。そもそも彼女を本気で眷属にしたい訳でもないのだから、無理やりにでも言葉にしなければ、この儀式は成り立たなかったわけだ。
ともかく、そんな苦労の甲斐もあってか、確かに契約は成功したようだ。自分の掌に纏った赤い光が女の顔を照らすと、徐々にその血色が良くなっていき――そして最後には女は瞼を閉じて、静かに寝息を立て始めたのだから。
「成程、初めての試みであったのだが……人の眷属は人か。考えてみれば当たり前であったな」
シュライクの呟きに対し、自分も改めて眠る女の顔を見つめる。確かに、眷属となれば邪神に近い性質に変容するのだが、今回は自分が術を掛けたおかげか、彼女は人の姿を保っていた。これなら日常生活に問題もないはずだ。
「……それで? 胚の方はどうするのだ?」
「一旦、後で考えることにする。ひとまず、連れて行きたいが……」
立ち上がるだけで痛む体を押して、ストールを女の肩に戻してから、眠る少女の頬を軽くたたいてみる。が、まったく反応はない。呼吸は穏やかだし、何か呪われているとか、毒に侵されているとかはなさそうだ。あれほどの轟音の中でも起きなかったのだ、強力な睡眠薬か何かで眠らされているのかもしれない。もっとも、胚とやらに薬が効けばの話ではあるが。
仕方がない。ここでコイツを連れて行かなければ、苦労した甲斐が――イグノートゥスを一体捕らえることはできたが――なくなってしまう。気は進まないが――再三繰り返しているように、滅茶苦茶に痛む体を押して、細く小さな少女の体を抱え、のろのろとした歩調で石造りのピラミッドを後にすることにしたのだった。
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