2-38:ヴィンセント・フェルノワール 下
自分が主にカウフマンの下で暗号解読の勉強をしていたのは以前アザレアに話した通り。そんな傍らで、時折フェルノワールを見かけたときの所感としては次のようになる。
奴は虚空の鎖内で、自らの仲間を募ろうと演説をしていた。ともに革命を戦い抜くものを、虚空の鎖の中から探そうとしていたのだ。
根拠地ソルヴェーニャにはたくさんの兵たちがいるはずだが、鎖の魔術師はまた別軸の強さがある。神器は全てが戦闘向きというわけではないが、それでも現在の人類が生みだせないような凄まじい能力を秘めた秘宝なのであり――百眼アルゴスなどがその筆頭だろう――それを使いこなせる魔術師や、これから見つかる神器を解読できる人員を確保したかったのだろう。
フェルノワールがいないときには、彼の支持者であるジャン=バティスト・マルテルや――元大元帥だが今は故人だ――現行の大元帥でもあるシャルロット・サンドヒルを中心に鎖内での政治が行われていた。
ただ、それはソルヴェーニャにおける革命の熱狂と同じように、本来的な意味でのフェルノワールの支持者というより、比較的若い魔術師たちが、情熱の発散として、伝統のカウンターとしてフェルノワールを信奉していただけのように思う。
また、下っ端の中でも若い連中の多くはフェルノワール派に付くことが多かった。神器がなくとも、立身出世する覚悟のある者をフェルノワールは歓迎したからだ。また、ごく稀にだが、フェルノワールが外の世界で回収した神器を読める者もいたようであり、鎖内で腐っているよりはとフェルノワール派に参加する傾向にあった。
自分がフェルノワール派に参加をしなかったのは、それ以前にセレスタやカウフマンと出会っていたからであり、もしそうでなかったら今頃自分は帝国で兵卒でもやっていたかもしれない。
とにもかくにも、フェルノワールは年に数回だけふらっと現れたと思えば力強い演説を行って味方を増やしていた一方、カウフマンはフェルノワールに対して冷ややかだった。伝統的なイデオロギーの破壊には理解を示す一方で、結局は力や財のあるものが新たな支配層になるだけだと揶揄していた。
どちらかと言えば、フェルノワールがカウフマンを――それも個人をだ――強く警戒していた、というのが正しいように思う。とくに万人の平等という地点を目標にしたところが、フェルノワールの実践する私有財産の不可侵という点と競合するし、人々の平等という点を強調するばかりで着地点の見えないカウフマンの考えを非現実的だと断定しつつ、耳馴染みよく聞こえるその理論を警戒していたのだ。
ここまで話して周りの顔を伺うと、みな何か考え込むように真剣な表情をしていた。それぞれの思想について、色々と思考実験をしているのかもしれない――が、ただ一人だけ頭を押さえてうんうんと唸っているピンク髪が存在する。
「……アザレア、大丈夫か?」
「は、はい! その、お話が難しくてよく分からないというのが正直な意見といいますか……私は今のことだけで手一杯ですから、なんだか皆さん凄いなぁと思いまして」
「俺だってあんまり変わらないさ。カウフマン派っていっても、良くしてもらってたからそこにいただけで、あの頃はあの人の言っていることも、フェルノワールの言っていることもよく分からなかったから。
いや、今ですら、本当はよく分かっていない……カウフマンもそうだし、悔しいがフェルノワールだって天才だ。天才の思い描く世界観を、凡人が十全に理解するなんてできないんだろう」
「はぁ……私から見たら皆さんも十分天才ですけれど……と、怪しい気配を感じます!」
アザレアはそれだけ言って渓谷の奥へと駆けていき、影から現れたばかりのモンスターを有無を言わさず一刀両断していた。人は自分の得意な領域でのびのびとやるのが良いのだろう、彼女を見ていると本当にそう思う。
「……さて、話を戻そうか。ただ、互いの派閥の緊張は、保守派の存在によって表面化することはなかった。あの日までは……」
そこまで言いかけて、急に気分が悪くなってくる。あの日のことは自分にとって決定的な出来事であり、脳裏から離れるものでもないが、いざ誰かに話そうと思えば様々な感情が渦巻いてくる――悲しみや憎しみ、酷い不快感、それに怒り。そういった感情が渦巻いてきて、上手く話せる気がしない。
「……すまん、自分で話しておいてなんだが、あの日のことはあまり話したくない。代わりに、きちんと虚空の鎖の崩壊に関する顛末を話す。
ある日、虚空の鎖の本部が、異空潮流……強烈な異界の瘴気に包まれて、各地で天変地異が起きた」
「大災害のきっかけは、そこにあったのね……それで?」
「フェルノワールの行動は、まるでコズミック・タイドが来ることを知っていたかと思えるほど速やかだった。連れてきたソルヴェーニャ革命軍の兵たちと内部の派閥を使って謀反を起こし、主要な文献や未解明の神器を持ち去り、そして可能な限りの魔術師たちを連行し……厳格な保守派はその襲撃で敗れ、襲撃を逃れた者や、カウフマン派の者たちは、その後に起こったコズミック・タイドに巻き込まれて、屍食鬼と化した。
あと、アンタらも知っている歴史だ……ヴィンセント・フェルノワールは鎖の魔術師の部隊を使って周辺国を平定し、王剣デュランダルを携えて帝国の初代皇帝に就任し、その根拠地をこの塩の大地に移した……これが十二年前の話だ」
「そう、それで貴方は……」
パントエールはそこで言葉を切って、首を横に振った。
「話してくれて感謝するわ、ハードロック」
「別に、何か進展につながるような話題があったとも思わないがな……だがまぁ、何度も言うけれど接点もなかったんだ。細かいことは、イリスに聞いた方が早いんじゃないかな。アイツ、情報通だったらしいし」
「それもそうね……今度、彼女にも話を聞いておくことにするわ」
そこまで話したタイミングで、ちょうど次のジョウント装置を発見し、その日の探索はそこでお開きとなった。




