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2-28:アザレア文字解読初級編 下

「……なんか、同じ文字がないように見えるな……」

「うむ。筆跡が安定していないのだろう。これを解読するのは苦労するぞ、君」


 というか、本来いつも使っているであろう文字が全く読めないだなんてことは稀なはずである。子供が書く文字だって、文脈や大雑把な形から、普通は読めるものだ。それすらできないということは、ストレートに言えば度を超えた悪筆と言わざるを得ない。


 厳しい言い方にはなるが、もしかしたらアザレアは他人に文字を読ませたことがないのかも――もし小さいころにこの文字を親へ見せていれば、多少は矯正されているんじゃないかと思う。


 しかし、このままでは解読が進まない。何か取っ掛かりはないものか――そう思っていると、紙面の右下の方に割と短く浮いている箇所を発見する。何も意識せずに見れば幾何学的な一本の線のようだが、よくよく見ると六つの記号が繋がっているようにも見えなくもない。


「これ、署名じゃないか?」

「そうだな……しかし、これがアザレアと書かれているという保証は?」

「ない。だが、文字数的にはぴったりだ。これを便宜上アザレアと読むところから始めよう」


 だが、本来なら最初と最後が同じ文字になるはずなのに、やはり同じには見えない。これは勘だが、ミミズののたくったような筆記体で書いているせいで、前の文字によって形や大きさが変わってしまうのだろう。


 ともかくこれで、母音二つと子音二つのヒントを得た。これを基に、似たような箇所がないかを探してみる。そして、その仮説から一定の成果を得られたように思う。本文内に同一の子音は確認できなかったが、かなり近い形の母音らしい文字を探し当てることができた。そうなると、その前の子音にも一定の予測が立つ。こんな感じで、文字の対応表を作っていき、判別可能な文字を一つでも増やしていく。


「……やっぱり、探しに行った方が良いんじゃない?」


 そんな声に顔を上げると、フィオナがまた絶妙な表情でこちらを見ている。時計を見ると、もう三十分ほど経っていたらしい。最初の署名らしいところが分かった以外には遅々として進んでいないので、不安がぶり返してきてしまったのかもしれない。


 解読が進まない理由は、アザレア文字が無駄に多くのパターンを持つことが一番である。前の文字次第でまったく形が変わってしまう文字などと考えれば、解読に必要な文字の組み合わせは指数関数的に多くなる。


 その他、多分だがスペルミスも多かったり、他にも恐らくだがほとんど無意味な間投詞なども多いと予想され――話し言葉をそのまま文章化しているのではないか――内容の解読どころか、文字の特定すらほとんどままならない状態だった。


「そろそろ帰ってくると思うんだがなぁ」

「ハルトはまだ三十分しか待ってないけど、私は一時間以上待ってる」

「一時間? あぁ、紙に気付くのに時間が掛かったのか」

「ねぇ、やっぱり探しに行こう?」

「そうだな……」


 確かに、アザレアがあまり長く自分たちと離れているとは考えにくい。彼女が原典派に狙われているという事実もあるし――後れを取るとは考えにくいが――万が一ということもあり得なくはない。


 何より、このままではフィオナが本気で泣いてしまいそうだ。いつもは自分に対して生意気な態度を取っている彼女がここまで悲しそうな様子を見ると、多少は彼女に寄り添ってやらないと、という気持ちになってくる。


「よし、探しに行くか。シュライク、上から偵察を頼めるか?」

「あぁ、そのことだがね。実は……」


 シュライクが何かを言いかけた瞬間、玄関の方で物音が聞こえた。フィオナは表情をぱっと明るくさせ、椅子から立ち上がって廊下に続く扉の方へと移動する。そして扉が開いた瞬間――。


「ただいま戻りました!」

「アザレアぁ!」


 元気に帰ってきたアザレアに――手ぶらなところを見ると散歩にでも行っていたのか――フィオナが力強く抱きついた。


「あ、あら? フィオちゃん?」

「アザレア、どこに行ってたの?」

「えぇっと、図書館に行ってたの。ここからだと近いし、ちょっとお勉強したいと思って……」

「それなら私も連れて行ってくれれば良かったのに!」

「その、フィオちゃんが気持ちよさそうに寝てたから、悪いかなぁと思って。でも……」


 アザレアはフィオナの肩を優しく抱きながら、顔をこちらへ向けてくる。それに対して、未だ解読されていない文字の記された紙を持ち上げ、彼女に見えるようにひらひらと泳がせる。


「……これで伝わると思ったのか?」

「は、はう! すいません、やっぱり読めなかったですよね!?」

「地獄みたいな字を書いているって自覚はあるんだな……」

「は、はい。書き上げたのは良いものの、ちょっと自信がなかったので、シュライクに言伝を頼んだのですが……」

 

 なるほど、どうやらアザレアは書き置きを見ようとしたのではなく、ずっと机の上にいた人形の方を見ようとしたのだろう。肝心の人形はアザレアに対して「あぁ」と頷き返す。


「確かに頼まれた。だが、二人とも我輩に貴様の行き先を聞かなかったからな……放っておいたら小娘はパニックを起こすし、主は文字の解読を始めるし、これはなかなか面白いと思ってな。

 ちなみにこれは言い訳だが、そろそろネタ晴らししようかと思ったタイミングで貴様が帰ってきたのだ」

「もう、面白がってないですぐに伝えてください!」


 アザレアが人形に対してぷりぷりしていると、唐突に玄関の方からチャイムが鳴った。一応、わざわざ来訪を知らせるということは襲撃者ではないのだろうが、相手が誰であれシュライクの存在は隠しておいた方が良い。


 こちらの考えを察したのか、シュライクはソファーの端っこで、あたかもフィオナ辺りが持っている人形かのような――それにしては趣味が悪すぎるか――雰囲気で鎮座した。


 そういえばパントエールが「細かいことはまた明日」と言っていたから、使者でも送ってきたのかもしれない。そう考えて自分が席を立ち、玄関へ向かって扉を開けると、そこには予想外の人物が書類を持って立っていた。


「朝から騒々しいわね……」

「パントエール? どうしてここに?」

「言ったでしょう、明日来るって」

「いや、まさかお前さんが来るとは思わなかったというか……」

「あぁ、そういえば言ってなかったわね。貴方たちの部屋、私の隣なのよ」

「……はぁ?」

「それで、書類を改めて用意してきたから」


 そう言いながらパントエールは――今日はオフなのか多少ラフな格好だ――手に持っていた封筒をぱん、と叩き、そのまま「お邪魔するわよ」と言って自分の隣をすり抜けて居間へと入っていく。その様子を、アザレアが何故だか口をパクパクしながら見つめているのだった。

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