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 クランスヴァルト公爵の爵位返上と領地受け渡しが認可され、王城は久々に成果を上げた空気に包まれていたはずだった。


 にもかかわらず、どこか空気が重い。つい先日まで勝利の杯を上げていた大臣達も、熱が冷めたかのように落ち着きを取り戻し、現実に引き戻されていた。


 これまで、この国の中枢を支えていた公爵がすっぽりと抜け落ちたのだ。しかも、引き継ぎの確認のため先馬を出したら、既にもぬけの殻になっていたと戻ってきて、困惑が空気を埋めた。


「それで……今後、誰が、あの公爵領を管理するのだ」


「それは王家が……」


「俺だ。あの領地は俺の管理下に入る」


 マイルズが当然のように胸を張った。確かに王はそう言った。聖女を手に入れたら、公爵領はお前のものだと。


「……」


 大臣たちは視線を逸らし、言葉を無くした。


 聖女を取り込むために、クオレティーナ嬢に引導を引き渡した。公爵のたった一人の愛娘だ。それを蔑ろにして、ただで済むはずがない。どんな報復が来るかと戦々恐々としていたが、蓋を開けてみれば、公爵一家の引退として形に残された。確かに公爵領は肥沃だし、鉱山もある。だが、それを管理出来ていたのは公爵の手腕である。


 その後釜を狙うのは誰か。ハイエナのように我が、我が、と突進して来るかと思えば、それすらもない。


 当然、領地を持つ良識のある貴族たちは、その事に危機感を持った。ほとんどの領主たちは、婚約破棄の舞踏会から慌てて自身の領地に戻ったのである。公爵領からの手助けはもう望めない。ついでに言えば、侯爵夫人が持っていた商会から入って来ていたわずかな異国の商品も滞るだろう。美しい布も化粧品もスパイスも。だからこそ、万が一のために脱出経路を確認し始めていた。情報の早い家では、公爵家がどこへ向かったのか調べている者もいた。この国で困ったことがあるならば、彼方へ向かおうと。


 その他の貴族たちも、公爵家の代わりに食料や資金を差し出せと言われては敵わないと、なりを潜めた。



「……妙だな」


 宰相が、書類から目を離さずに呟いた。円卓の会議室には、王、第一王子マイルズ、数名の重臣が揃っている。宮廷貴族の彼らは領地はなく、王都に居を構えているからこそ、王都の外で何が起こっているのか気づいていなかった。


 マイルズは得意げに腕を組んでいた。


「何が妙なんだ?」


「いえ……あまりにも、何も起きていないもので」


「当たり前だろう、宰相。問題は解決したじゃないか」


 婚約破棄は完璧にやり遂げた。クオレティーナは療養名目で退場し、公爵領は丸々王家へ返還される。聖女レイアは今後、マイルズの婚約者として、王家の財産として移行する。つまり、国の防衛も、食糧庫も、金策も、全て整ったということだ。


 完璧な勝利である、と。


 ――少なくとも、この場にいる者達は、そう思っていたはずだった。


「これでようやく、国は正常化する。俺のおかげでな」


 マイルズは満足げに頷いた。その隣で聖女レイアが、控えめに微笑む。


「マイルズ様は、本当に頼もしいのねぇ」


「ははは。当然だ。俺は次代の王だからな」


 一抹の不安が漂うのは気のせいではあるまい。




 ――これが、次代の王になるのか……。




 先走り過ぎたかもしれない、と今更ながら宰相の胃に不安の種が芽生えた。


「……公爵領の方はどうなっている」


 王が問いかけ、宰相は背を正した。


「あまりに早い撤退に驚きましたが、報告では、概ね混乱はないようです」


「そうか……」


 王がわずかに眉を上げた。


公爵(ドルティエ)は、銀鉱山(ミスリル)を手放さんと思っていた。爵位返上までは、流石のワシも考えなんだな。先手を取られたが、まあ……問題はあるまい」


「流石の公爵閣下もクオレティーナ嬢の容体から、考え直したのかも知れませんな」


 一人の大臣が放ったその言葉に、マイルズが鼻で笑った。


「鱗の生えた気味の悪い令嬢と、親バカな公爵だろう?笑いものになりたく無くば、出来るのは『逃げること』だけだろうからな」


「逃げる、ですか」


 宰相は小さく呟いた。



 ――もしかすると、それが最善だったのではないだろうか。



「まあ、追放処分をしなくても済んだのは、やはり俺のおかげだな。冤罪をかける手間が省けた」


 その言葉に全員がギョッとするが、視線を逸らし口を噤んだ。


 ふーっ、と王の疲れた溜息だけがその場に落ちた。






 会議を終えて、気分の良いマイルズは聖女と睦み合っていた。マイルズは思春期真っ盛り。閨教育よりも、聖女との実戦が全てだった。


「マイルズ様ぁ~」


 聖女レイアが甘えた声を出す。


「ちょっとぉ、ご相談がありましてぇ……」


「なんだ?言ってみろ」


「ここ数日、結界がぁ……ほんの少しだけ、弱いみたいなのですけれどぉ」


「気のせいじゃないのか」


 マイルズは聖女の不安を軽くいなした。


「結界維持費は払っている。それでも問題があるなら、それは教会の責任だろう」


「そう、ですよねぇ……私のせいじゃない、ですよね……?」


 レイアは曖昧に笑う。だがその瞳の奥に、わずかな焦りが滲んでいた。神聖力の流れが、いつものように掴めない。祈れば流れてくるはずの力が、途中で霧散するような感覚。結界がうまく張れなくなってきていることに、レイアの背中に冷たいものが流れた。


 ――役に立たない聖女は、捨てられるだけ、とか。……ないよね?


「レイアは言われただけの仕事をしている。問題ないさ」


 マイルズにそう断言されると、レイアはマイルズの薄い胸に顔を埋めた。


 ――私のせいじゃ、ないもんね。







「――結界が弱まっている?」


 教会本部では、高位神官達が頭を突き合わせていた。


「結界に使われているミスリル銀鉱石の輝きが弱くなっているのですが、石自体に問題は見受けられませんでした」


 手にしている報告書には、問題ばかりが上がっている。


「魔獣の出現頻度も上がっているようで。特に辺境の方からですが」


「浄化の効率も低下していますね。というよりも、瘴気が増えたのではとの不安が上がっています」


「聖女様の負担は増えているのに、成果が比例しません」


「国民からの不満も出てきているようで」


「ふむ……。聖女がサボり始めたか?」


 司教が低く唸るように言った。


「最近は第一王子と行動を共にしているようで、教会にも戻っていらっしゃらない様で困っています」


「確かに王子を丸め込んでこいとは指示を出したが……丸め込まれたのではあるまいな」


「可能性としては無きにしも……」


「聖女を呼び戻せ。あれにはまだ稼いでもらわねばならん」


 神聖力は、純粋な祈りと聖なる器の相乗効果で強度が決まる。どちらが欠けても強度は落ち、安定しない。


「……まさかとは思うが」


 司教の頭に、ふと最悪な想像が浮かんだ。


「……聖女は処女(おとめ)でなければならんと、知っておるはずだが」







「陛下。教会から聖女を返せと書状が上がっておりますが、いかがいたしましょうか」


「ふん。ハニートラップのつもりでマイルズに(けしか)けてきたのは、あちらだろう。今更、遅いわ」


 宰相の伝言に、王は鼻で笑った。


「マイルズはうまいこと聖女を籠絡したと見える。いや、この場合は逆だったかも知れんな。聖女の性格を見抜けなかった教会が間抜けなのよ」


 教会と王家のバランスはすでに崩れ落ちた。


 狸と狐の化かし合いをしていたつもりだったのだろうが、聖女もマイルズも同じ穴の(ムジナ)だったと気付かなかったのは教会の落ち度だ。


「公爵領の代官は誰に決めた?」


「は。レッドウッド辺境伯の第三子ロイドを。すでに引き継ぎを行っております」


「ああ、あれは真面目だけが取り柄な男だからな。うまくマイルズもあしらえるだろうし、妥当なところか」


「すぐさま聖女とマイルズの婚姻を整え、全貴族に連絡を。教会が動く前に手に入れる」


「かしこまりました」


「ああ、それから。これはまだ内密の話だが、マイルズには公爵領へ引きこもってもらうことにした」


「は?……と言いますと?」


「第2王子のルーカスを王太子に迎えようと思う」


 ――今この時点で、なんという爆弾を落とすんだ。


 宰相は思わず舌打ちをしたくなった。


 ルーカス殿下は亡くなられた側妃の息子。北の塔に幽閉され、勉強もあまり進んでいない。それに、あの王子は問題児だ。そんな王子を王太子にする?王妃の反応は?王妃派の貴族は、どうでるか。頭が痛い。


 ――私がどれほど尻拭いをしたと思っているのだ。


「し、しかしルーカス殿下はまだ8歳で……」


「マイルズよりはマシだ。わしはまだ十年や二十年くらい、王位に立っていても問題ない」


「……」


 宰相は、反論できなかった。

 国は荒れるだろう。だが、マイルズ殿下が王太子になっても同じことか。それならば、まだ8つのルーカス殿下を傀儡にしたほうが、本当にマシかも知れない。しかし、あの王子は――。


 ――私もそろそろ引き時か……。





 王は執務室の机を離れ、葉巻を咥えた。


 この葉巻も公爵領の献上品だ。王家の食卓に上がる肉も、野菜も、ワインも。全てが一流品だった。

 そして極め付けは、帝国に輸出する最高品質のミスリル銀。公爵領でしか採掘できない量と質。


 この国では結界石に使う以外、然程必要のないものだが、魔法を使う他国では、高く売れる物である。これまで公爵は値崩れを起こさないよう慎重に出荷計画をしてきたため、売り上げは安定していたが。


 これを主流で他国と渡り合えるのならば。


「魔力なしなどと言ってバカにされることもなくなる」


 ――今まで見下してきた者達を、今度はこちらが見下す番だ。


「必ず、全てを手に入れる」


 王は醜く歪んだ顔を、煙の中に隠した。





 その夜。


 王城の地下で、使われなくなった旧水路の奥に黒いモヤが湧き上がった。


 ――ちゃぽんと、小さな水滴が波紋を作る。


 それが次第に大きくなり、壁際に打ち寄せた。水を吸い込んだ壁がわずかに黒ずむ。


 その黒ずみが、ヒタヒタと王都を支える結界石に近づいていることを、まだ誰も知らなかった。



読んでいただきありがとうございます。感想・ブクマもお待ちしています。

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