公爵家の離脱
「――お嬢が帰ってくるぞォォォ!!」
クランスヴァルト公爵領、屋敷前。
その声を合図に、空気が一気にざわめいた。
公爵夫人のマリオンは、落ち着いた様子で門前に立っている。
その背後には、仕事を放り出した鉱夫たちが整列していた。全ての領民にすでに話は通っている。クオレが何のために王城へ向かったのか、公爵が王と何を話してきたのか。
そして、全ての領民はすでに準備を整えていた。
あとは、公爵とクオレの帰りを待つだけ。だからこそ、皆そわそわとして、朝から全く落ち着きがない。
「お前たち、準備は出来たの」
マリオンが横目で一人の鉱夫――いや、鉱夫に扮していた冒険者を見た。
「勿論でさぁ!最も俺たちの荷物なんて大したことないけど」
「一年もあったんだ!俺たちはいつでも出ていけるぜ、マリオン様」
「……本当、長かったわね。ようやく婚約が破棄されるのかと思うと。ハァ、感慨深いわ」
「お嬢、一発くらいぶん殴ってるかな」
「そんなことしてたらここに帰ってきていないわ」
不敬罪で首チョンパよ、とマリオンは扇子を首の前で横に振った。
首を長くしてまっているのは、鉱山夫に扮していた冒険者たちだ。魔力持ちの男どもである。
この国の法によって、本来ならば処刑されるべき魔力持ちは、少なからず生まれていた。せっかく生まれて来た赤子を殺せる親は少ない。国を逃げ出すか、子供を差し出すか。そんな選択を強いられた国民は皆、公爵領に逃げ込んだ。なぜなら、公爵領では密かにそういった人間を受け入れ、訓練を施し魔力の隠蔽を図ってきたからだ。
神聖力など、聖魔法にすぎないと言ったのは、連合国からこの国に嫁いで来たマリオンに他ならない。
メル=ヴォイス聖王国から南にある連合国では魔法が盛んだった。魔素があれば、魔法は使える。彼方ではそれが常識だった。とはいえ非魔力保持者というのはどの国にも生まれてくる。そういう体質として生まれてくるのだから、仕方のない事ではあるが。
この国ができた経緯に、魔力非保持者の迫害の歴史がつきまとう。メル=ヴォイスは二百年ほど昔、魔力なしによって作られた国なのだ。
マリオンも魔力なしとして生まれてきた。魔力を持たない人間は故郷では住みづらかった。見識を深めるために国を出たマリオンは、商人として旅を続けていた時に縁があって今の夫、ドルティエに出会ったのである。彼は魔力持ちでありながら、ひたすらにそれを隠して生きてきた。公爵家の一員として、誰にもいえない秘密だった。家を出ることも考えたが、マリオンに逢って考えを変えたのである。
非魔力保持者の国で魔力保持者を保護する。
マリオンの助けもあって、魔力持ちは皆公爵領に隠れた。表面では魔力を隠し、使わない。だが身体強化などは仕事中に利用した。畑を耕すのも、鉱山を掘るのも。皆がそれぞれ使える能力を磨きながら、公爵領を支えていたのである。
クオレは魔力なしで生まれてきたはずだが、事件が起きたのは約一年前。
ミスリル鉱山で異常を感知した際、クオレも一緒にいた。父と鉱夫たちと共に視察のつもりだった。一瞬の間に、クオレが噴気孔から出た気に当てられ絡め取られた。
落ちたのではない。
絡め取られて龍穴に引き摺り込まれたのだ。
見つかったのは三日後。川の下流だった。
「あの時は、本当に終わったと思ったな」
「まさか龍脈に落ちたとは、思わなかったしな」
龍脈。生きとし生けるもののエネルギー源と言われるが、本当のところそれが何なのか、誰もわかっていない。魔力の元とも呼ばれる。それは、皆がなんとなく納得した。
クオレが魔力保持体に変えられたからだ。
見つかった時は、全身が鱗に包まれていて二本のツノが生えた竜体だった。当然、それがクオレだなんて誰も思わなかった。だが、その子竜がクオレの身につけていたタリスマンを握っていたことから、目を覚ますまで様子を見た。もしこの竜がクオレを襲ったのだとしたら、と。
しかしマリオンだけが、この子竜は自分の娘だと言い張った。「姿形が変わっても、母にはわかるのです!」と言い切って屋敷へと慎重に運んだのだ。
数時間のうちにそれが正しかったことが証明された。尻尾も鱗も、ツノも全て落ちて中からクオレが――白銀色の髪が琥珀色に変わり、瞳は空色からルビーのような赤に変わった姿で――現れた。
その時から、公爵領は国を捨てることを考えていた。
きっと隠しきれない。王子の婚約者のクオレが、魔力保持者であり、竜に変わったなどと。
そして、時は満ちた。
「ただいま帰りました――っ!!」
一気に空気が跳ね上がる。
「お嬢だ!」
「無事だ!」
ひらりと手を振りながら、小柄な少女が馬を走らせてくる。
明るく燃えるような琥珀色の髪は風に靡く松明のようだ。陽の光にあたって太陽のように見え、銀の鱗が手首を飾るブレスレットのように光を弾く。
公爵家の太陽。クオレの存在が皆の心を暖めた。
「みんなー!退屈してたー!?」
王城で何の感情も見せず、淡々として受け応えていた姿は、ここでは見当たらない。
「お嬢ォォォォ!!」
堰を切ったように鉱夫たちが駆け出す。
「待て待て待て!!お前たち落ち着け!!」
父ドルティエが必死に止めるが、もう遅い。筋肉の壁が狂犬のように突撃してくる。
「ヤるの!?やる気なの!?多人数戦!?」
「戦うな!!迎えろ!!」
混乱の中心で、クオレは楽しそうに剣を抜いた。
「やっぱり?やっぱり戦うのね!?」
「こらこらこら!真剣で遊ぶな!!」
ドルティエの叫びは届かない。
――数十分後。
軽い殴り合いと剣戟(と呼ぶには雑な何か)が終わり、全員が並ばされる。切り傷、擦り傷、打撲で全員ボロボロである。
「治癒――っ!」
クオレティーナの声とともに、光が広がる。
「「「チューーーっ」」」
「洗浄――っ」
「「「アッハーン」」」
風と光と泡が舞い、全員が綺麗になっていく。鉱夫たちの謎のお色気ポーズに意味はない。クオレが面白がったので定着しただけである。気持ち悪い、といって笑い転げるクオレのために。
ドルティエは遠い目をした。
「……毎度思うが、これ、ほんとに治癒と浄化魔法なんだよな?」
一瞬でどんな怪我も治し、浄化をこなす。過去には、治癒魔法も浄化魔法も聖女の専売特許だと思っていたが、それが教会の嘘だと皆知っている。適合能力さえあれば、治癒も浄化も結界も、魔法で補えるものなのだ。何人かは町医者として密かに使っている者もいるし、簡単な浄化ならば、農民でも使える。マリオン曰く、連合国では、日常で使える微力魔法は、"生活魔法"といって便利に使われているらしい。
それを知った上だとしても、クオレティーナの魔法は、規模が違った。エリア魔法で領民全員治癒しても魔力切れになったこともない。それが発見された時の竜化現象とどう関係しているのかはわからないが。
だからこそ、皆心酔しているのだ。龍脈に触れて、戻ってきたクオレのことを。
「お母様、ただいま帰りました!」
クオレティーナは敬礼した。カーテシーではない。軍式である。
マリオンは満足そうに笑う。
「王都はどうだった?」
「予定通り。問題なしです!」
「そう」
短い会話の中には、待ちきれない希望が含まれていた。
応接間にて、公爵夫妻が娘の報告を聞いていた。
王都での《《婚約白紙》》の一部始終。ミスリル鉱山の譲渡、公爵位の返還。聖女レイアの反応とマイルズの宣言。
「思った通りの馬鹿だったわね」
マリオンが静かに言う。
「私の方も、王も宰相も目を白黒させていたな」
ドルティエは短く答えた。
父は父で大人同士の話し合いがあった。爵位の返還までは考えていなかったようで、宰相は唖然とし、王は引き止めようとしたが、差し出された条件に国王は否とは言わなかった。
――それに。王には、毒を一滴落としてきた。あれが効き始めるのは、いつになることやら。タダでこの領地を明け渡すと思ったら大間違いだ。せいぜい疑心暗鬼になってくれ。
くく、とドルティエがほくそ笑む。
「お父様。また悪いお顔をされてますわ」
「いいのよ、クオレ。お父様の楽しみを奪ってはダメよ」
横で見ていた母娘が、ボソボソと扇子の向こう側で反応する。
「でも予定通りでした。準備は万端です」
クオレが微笑む。
「全員、撤収準備は完了しているわ。明日早朝にでも行けるわよ」
マリオンの言葉に、ドルティエが満足そうに頷いた。
「鉱夫たちも?」
「全員よ。誰一人残りません」
マリオンも嬉しそうに両手を合わせる。
「領民も?」
「置いていくわけないだろう。ほぼ全員が魔力持ちだぞ」
クオレティーナは少し目を輝かせた。
「ほんとに全員ついてくるんだね……」
「当然でしょう」
マリオンが微笑む。
「あなたがいる場所が、私たちの中心なのだから」
「責任重大ね」
クオレは薄く笑う。
「お前は自由にすればいい。皆も自由についてくるだけだ」
ドルティエも微笑んだ。ようやく、自由になれるのだ。
――その夜。
鉱山の一角で、小さな崩落があった。山の息吹が細く長く、最後の息を吐き出すかのように窓を叩いた。
風が止まり、木々が沈黙する。
クオレはふと目を開けた。
「……決行は、明日――」
ざわりと山が震えた。
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