浅はかな計画
婚約破棄を進める1か月前のこと。
王城の一室は、静かな熱気に満ちていた。
重厚な円卓の上には、各種報告書と地図が広げられている。国内総生産、鉱山収益、そして教会への結界維持費の推移。それらはすべて、ひとつの結論へと収束していた。
「結論から申し上げますと」
宰相が静かに口を開いた。
「ご存知の通りクランスヴァルト公爵領は、現状において国家の中枢資源となっています」
一拍置き、続ける。
「同時にその収入の半分は教会へ。結界維持費、浄化費、治癒費、教会への献金として支払われているのが現実です」
王の隣に座る第一王子マイルズは、腕を組んだままその言葉を聞いていた。
「結界維持費は年々増えているな。聖女が来て結界はより堅固になったのではなかったのか」
結界は凡人には目に見えない。結界が張られているから魔物の被害がない、と言われればその通りなので、結界など無いとも言い難い。
「聖女様は人間だから食費も衣類費も交友費もかかる。神が遣わした聖女様に不自由はさせられないというのが、教会の言い分です」
「はっ。何かと理由をつけては国から搾り取る算段なんだろう。あの狸め」
マイルズは腕を組んで、右足を刻むように揺すった。およそ誉められた態度ではないが、心情を体で表すマイルズのくせだ。
「それで、宰相。それに対処する方法はあるのか」
そう問うたのは王だ。宰相は少し目を伏せて言い淀んだが、意を決して顔を上げた。
「マイルズ殿下とクオレティーナ嬢の婚約を白紙に戻し、聖女殿と婚約を結ぶのはいかがかと」
マイルズが思わず立ち上がった。椅子が不快な音を立てて倒れると、王に睨まれたのがわかったのか、マイルズは慌てて椅子を元に戻し、座り直す。
「それはいい案だ!」
だが、その顔は喜色に包まれていた。こほん、と宰相が喉を整える。
「仮に――マイルズ殿下が公爵令嬢との婚約を解消した場合。慰謝料や迷惑料を支払わなければならないことを考慮したとしても、長期的に見ると、聖女殿との婚姻は、教会への結界費を減らすことができます。また、聖女の治癒を王宮預りにできる。つまり、そこでの収入も期待出来ます。公爵家は、クオレティーナ嬢との婚姻がなかったとしても王国に忠誠を誓っているし、問題は少ない。これまで通りミスリルも食糧も納入するでしょう」
「なんでこっちが慰謝料など、払わねばならんのだ!」
それを聞いたマイルズが不満の声を上げる。
「あいつの見た目が変わったのは王家のせいじゃない。あいつの不注意だ!俺が欲しかったのはあんな顔の女じゃない!それにあいつが病気に罹って王子妃教育も進んでいない。俺の時間を無駄に費やしたんだから、あっちが迷惑料を払うべきだろう!」
王子教育がほとんど進んでいないお前が言うな、と宰相は眉を顰めたものの、王はふむ、と考えた。
「マイルズのいうことも一理ある」
「陛下」
「何、大袈裟にすることはない。あちらの状況を鑑みて今回の婚約は白紙に戻す。ただし、公爵が銀鉱山の権利を王家に寄越したら、だ」
「そ、それは……」
「何も領地を奪おうというわけじゃない。奴らには鉱山を守ってもらわねばならんし、鉱夫もそのまま使い続ければ良い。それに対しての給与は払ってやろう。だが、鉱山からの収入は全て国のものだ。それが出来ないというのであれば、あちらからの婚姻契約不成立として爵位を返上してもらうか……クオレ嬢を修道院に入れる、とでもいえばあいつは嫌々だとしても鉱山を渡すだろう」
王家の次の、最高の爵位の座についているのだ。いかに娘のためとはいえ、捨てるとは思われない。公爵は情に篤く領民を捨てることはできん男だ。そう王は考えた。
「父上、それはいい考えです!どうせなら大勢の前で婚約破棄をしてしまえば、あっちは認めるしかない!俺がクオレティーナを呼び出して皆の前で破棄して、鉱山の権利を慰謝料としてもらう」
メル=ヴォイスの王、ジャイルズは長らくあのミスリル鉱山を手に入れたかった。あれが発見されたのは十四年程前、ちょうどクオレティーナが生まれた頃だった。取れる石の良質なことといったら、それまでの鉱山がまるで炭かと思うほどだった。クオレティーナの導きだとあの頃は騒いでいたが。
「そもそも、クオレティーナの竜皮病とかいう奇病は不治だというではないか。あのような醜い姿では社交も無理だろう。病に罹ってから公爵も度々解消を望んでおったことだし、ここらで了承してやるのも恩が売れていいだろう」
「し、しかし、あちらが納得するでしょうか」
「するしないではなく、させるんだ!そして俺はすぐレイアと婚姻を結ぶ。それで全て丸く収まるんだろう」
空気がわずかに重くなった。
一年前に現れた聖女レイアの存在は、教会にとっての切り札だ。金を産むガチョウを、あの司教がそう易々と手放すかと言われれば甚だ疑問だ。だが、マイルズは鼻で笑った。
「今や教会も問題だ。維持費だなんだとまるで物乞いのように集りにくる。ブクブク太った司教を見れば、その金がどこに蓄えられているのか一目瞭然じゃないか。だから、そんなに維持が大変ならこちらで聖女を維持してやろうといっているんだ。教会に任せておいては、聖女だっていつ他国に逃げ出すかわかったもんじゃない」
聖女が他国に渡るのはいただけない。国にとっても、聖女は国防以上に金のなる木だからだ。
「しかし、そう単純には……」
「聖女が俺に惚れれば問題ないだろう」
静寂。
誰もすぐには反応できなかった。
「……殿下」
宰相が静かに言う。
「自信の程は、おありなんですな?」
「当たり前だ。俺は王子だぞ」
マイルズは即答する。確かに見た目は悪くない。だが猪突猛進で考えなしのアホ王子である。他に比べられる者がなく育ったせいで、傲慢でもある。王子に惚れない女がこの世にいるのか、と真剣に思っているらしい。宰相は盛大な溜息をつきたくなったが、グッと堪える。この国に使える王子はただ一人。マイルズだけなのだ。
もう一人、いない事はないが……いや、あれはだめだ。と、宰相はふと浮かんだ二人目の王子を思い浮かべ、頭を振って意識を削いだ。
「決まりだな」
マイルズは立ち上がり、円卓を見渡した。
「クオレティーナとの婚約を破棄する。病を理由にすれば問題はない。その上でミスリル鉱山を慰謝料として得る。渋るのなら一家追放で爵位を奪う」
ざわり、と空気が動く。
「そして聖女レイアを王家に迎える。俺の新たな婚約者、いや王子妃として。なあに、交わってしまえば教会だって文句は言えまい。金を払わずとも、結界も維持される」
一瞬、沈黙が訪れた。そして宰相が声を張り上げた。
「殿下!お待ちを!聖女は処女でなければなりません!神聖力の使い手とはそういうものだと学んだでしょう!?」
「…………え?」
マイルズの言葉の間に、会議室が固まった。
「ま、まさか、とは思いますが殿下……貴方はすでに」
「……そうなのか。知らなかったぞ」
別の意味で会議室は沈黙した。聖女に手を出した王子。結界は今、どうなっているのだ。見ることのできない膜はまだそこにあるのか、それとも――。
王は長く沈黙した後、低く言った。
「……よかろう」
その一言で未来は決定された。
「それが成功するならば、マイルズ。お前に公爵領をやろう」
「そして聖女を王家に迎えれば、教会は用無しだ……!」
大臣たちも戸惑うように現実を受け入れ始める。ひとまず王国の金庫番である公爵領さえ手に入れば、問題は整理できる。聖女の件はその後だ。そう思い込もうとしていた。
宰相だけが、わずかに視線を伏せていた。嫌な汗が背中を伝う。
――この王子。誰に似たのか、女に手を出すのだけは誰よりも早い。最近どうも機嫌がいいと思っていたら、そういうことか。しかし、今回ばかりはまずい気がする。かの聖女も立場を知った上で簡単に体を許したというのか。それとも今までの下働きのメイドと同じように、無理強いを……。
いや、そんなことをしたら天罰が下る。
もし、結界が維持されていないのだとしたら、一体この国はどうなるのだ。
誰一人として、魔法は使えない。そういった人間はこれまでもずっと排除し続けてきた。それもこれも、結界という安全膜があったから。そんな中にもしも魔獣が入り込んだら?結界はそういったものも排除してきたはずだ。
だがその言葉は、口に出せなかった。言葉に出せば真実になりそうな気がして。そして疑心暗鬼になった人間の行動は予想できない。
マイルズは満足げに頷く。
「一石二鳥だな」
その表情には、疑いがなかった。
王と宰相は視線を交わす。
王が頷いた。
すべては合理的だった。
すべては正しいように見えた。
――少なくとも、この時点では。
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誤字脱字直しました。他にもあったら是非お知らせください。(毎度のことながら、直しても直しても出てくる……)




