望んだ婚約破棄
連載物です。よろしくお願いします。
「――クオレティーナ・クランスヴァルト公爵令嬢。お前との婚約を破棄する!」
王城大広間に、第一王子マイルズの声が響いた。
その隣には、艶やかな黒髪の聖女レイアが寄り添うように立っている。勝ち誇った、というよりもまるで芝居を見ているかのような、興味津々の顔をしてクオレとマイルズの顔を交互に見ていた。
まるで自分は関係ない、といった顔だがわかっているのだろうか、とクオレは密かに思う。
この国は、魔力を"罪"と定めた国だった。
その昔、魔力なしとして迫害された人々が集まって造られた国、メル=ヴォイス聖王国。
認められている神秘の力は、女神の慈悲の神聖力だけ。もし国民が魔力を持っていると分かれば、待っているのは処刑のみ。この国は結界で守られ聖なる力で満ちており、魔の入り込む隙はないと教会は宣う。
だからこそ、クオレは竜皮病に罹った不憫な令嬢を演じていた。
周囲がざわめく。
「まあ、美しかった白銀の髪が平民のような琥珀色に変わってしまわれて……」
「瞳の色はまるで魔族のような赤だ」
「ご病気であんな容姿に変わってしまわれたそうよ」
「鱗が生えたって聞いたが、本当かな」
クオレティーナ・クランスヴァルト。肥沃の大地とミスリル鉱山で国を潤している公爵家の一人娘。
かつては愛らしいビスクドールのような令嬢と称された少女は、一年ほど前に"竜皮病"という不治の病に冒され、容貌が変わってしまった。美しい白銀色の髪はアンバーに、ミスリルのような青い瞳は、赤玉のような色に。そして艶やかだった肌にはそばかすが散り、首の後ろと手首の周りには鱗のような傷痕が残った。
「これは国の方針に基づく決定だ。悪く思うな」
「はい。畏まりました」
14歳の少女の静かな了承の声は、感情を乗せず淡々とホールに響いた。
一切の動揺も、怒りも、涙もない。
その反応に、場が静まり返った。
「……な、何か申し開きはないのか!」
マイルズが苛立ちを隠さず声を荒げる。七年もの間、婚約者だったのだ。もっと感情的になってもおかしくないだろう、と言わんばかりだが、クオレはわずかに首を傾げただけだった。
「申し開きすべき事は、ございません」
それは敗北者の声ではなく、むしろすでに関心を失った者の声だった。
マイルズは知らない。
彼女の病の本当の理由を。
婚約して七年。マイルズは18歳になり、クオレティーナは14歳になった。
まともに顔を合わせたのは、片手で数えられるほどしかない。まだ幼かったクオレが領地に篭り、王都になかなか来なかったせいでもある。最後に会ったのは、彼女が"不治の病"に罹った後だ。
見舞いに訪れた時、マイルズは悟った。
かつて一目惚れした美しい少女は、もうどこにもいないのだと。
王子である自分の隣に立つ資格を失った、不細工な女。鱗の生えた化け物。
「王子であるこの俺が認めたその顔に、傷をつけたお前を許す事はない!病に罹らなければよかったのだ。そんな奇病になど罹らないよう、しっかり管理しておくべき義務を、貴様は怠ったのだ」
病は罹りたくて罹るものではない。それに対し責任だの義務だのを求めるのは理不尽だと思うが、誰も口を開かなかった。
「貴様の代わりに現れたのが、ここにいる聖女レイアだ!レイアが俺の傷ついた心を慰めてくれたのだ!貴様はそのことに感謝を捧げなければならない」
隣で事の成り行きを見守っていたレイアはキョトリと首を傾げた。
「聖女レイア様。マイルズ様のお心をお慰めいただき、感謝いたします」
「えー、アタシ?えっと、どういたしまして?」
クオレは淑女の礼を取り頭を下げるものの、まるで感情がこもっていない。全く理解していないレイアの反応も相まって、ますますマイルズの神経を逆撫でした。
だから、ここで言わなくてもいいことまで、つい口が滑って出てきた。
「慰謝料として、ミスリル鉱山を渡してもらおう!」
ざわり、と空気が揺れた。それは、実質公爵領を取り上げると言っているようなものだ。公爵領は確かに豊かで食糧生産量もどの領地よりも多い。納めている額を考えれば、国庫の半分は公爵領から補われている。だが、それ以上に公爵領を際立たせているのは、ミスリル鉱山だった。
ほぼ外交の無い聖王国だが、ミスリルだけは違う。南の帝国の過干渉を避けるため、ミスリルの輸出は絶対に外せない命綱のようなものなのだ。
婚約を王命で無理やり結んでおきながら、容姿が変わったからといって今度は破棄し、その上で公爵領から鉱山を奪おうとしている。その場にいた心ある貴族家は僅かに眉を顰めた。
「承知いたしました。では、本日これをもちまして、婚約は公爵家の有責という形で、婚約白紙の処理を進めさせていただきます」
あまりにあっさりとした返答に、逆にマイルズの方が戸惑う。
「……そんなに簡単に……本気か?」
何かが噛み合っていない。
自分が婚約を破棄したはずなのに、まるで公爵家側が“整理”を進めているような言い方だった。
だが隣のレイアが微笑んで、手を打った。
「マイルズ様、よかったですねー。レイアねぇ、ミスリルって見たことないんだよね。物語ではよくあったけど」
「……そ、そうか。では、今度ミスリルを見に行こう……」
聖女レイア。
女神が遣わした神聖力を操る、国を守る存在。別世界から渡ってきた女神の愛し子。クオレが"不治の病"に罹る一年ほど前に、異世界から渡ってきたのだという。
今回の婚約破棄は、マイルズがクオレを嫌ったこともあったが、国と教会の相互の利権――という名の欲望のためでもあった。奇病に罹った公爵令嬢とは違い、未来を担うにふさわしい存在である聖女との婚約。それによって教会にも国にも相互利益が上がる。
――そのはずだった。
「クオレティーナ!お前からもレイアに感謝の言葉を述べよ!お前の代わりに、聖女レイアが我が婚約者となるのだからな!」
マイルズが命じるように言う。だがクオレティーナは微動だにせず、静かに口を開いた。
「ご配慮、感謝いたします」
「ふん……。ついでに公爵領も王家へ返上するがいい。見苦しい鱗の生えた化け物など、公爵令嬢の立場すらもふさわしくはないだろう」
マイルズはなんとしてでもクオレの歪んだ顔が見たいがために、容姿を貶めた言葉を吐いた。周囲の貴族たちが息を呑む。
「はい。父よりそのように申し伝えられております」
だが、冷静に返ってきた言葉に、空気が凍った。
「――は?」
マイルズの思考が止まる。
「今頃、陛下と我が父、公爵の間でお話が済んでおりますでしょう。わたくしの療養のため、公爵家は爵位を返上し、国外へ移る予定です」
「国外……だと?正気か?」
今度こそ、広間がざわめいた。
この国メル=ヴォイス聖王国は、神聖教会の影響下にある。国政は王家が担うが、聖なる結界は教会が維持していた。そしてその国を資金面で支えていたのが、クランスヴァルト公爵領だった。その均衡が崩れる。
「……どこへ行くつもりだ?」
「静かな土地へ。島国か、あるいは自然の多い場所へと。母の母国へ帰るやもしれません」
ざわめきが恐怖と困惑へと変化する。
クオレだけでなく、公爵一家がこの国から出ていく。公爵領が消える。それは単なる婚約破棄ではなく国の根幹の一部が失われるということだった。今まで模ってきた国の在り方が変わる。それが何を意味するのか。この国にどういった影響を与えるのか。
それがわからないほど、貴族たちは馬鹿では無かった。
クオレは、そんな貴族たちの戸惑いを肌に感じながらも、静かに一礼した。
「それでは、これにて失礼いたします」
止める者はいない。止める理由も、権限も、すでに存在しなかった。彼女は静かに背を向け歩き出す。
その足取りは軽かった。
まるで、束縛から解放された者のように。
――思惑通り。思ったより、簡単だったわ。
誰にも届かない声が、彼女の内側でだけ響いた。
クオレが王城を去った同時刻。王城の地下水路が微かに震えた。
それは崩壊ではない。
目覚めにも似た、ほんの小さな波紋。僅かに濁る水流。
――ズ、と大地が応える。
まるで何かが移動を始めたかのように。だが、地上の人間は誰も気づいていない。
気づく理由すら、まだこの世界には存在していなかった。
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6月3日、誤字訂正しました。




