第4話「せーかいロボット」― お買い物ごっこと算数
【システムログ:エラーコード 404-MELANCHOLY】
警告:本ファイルには未検証の「主観的記憶」が混入しています。
閲覧により、一時的に検索エンジン上の「現実」と差異が生じる場合がありますが、デバイスの故障ではありません。
記述内容が書き換わっても、バインダーには触れないでください。
――再放送は、すでに始まっています。
くるみが、笑った。
不敵、という言葉では足りない。最初から結末を知っている者の笑みだ。手の中で、色褪せたリンゴのオブジェクトがくるくると回っている。どこから持ってきたのか、私には分からない。分からないことが、既に、不吉だ。
「せんせい、おかいものごっこしましょう」
「いいですよ」
私はバインダーを開く。第3話の記述が、インクの染みのように周縁を侵食している。だが——算数は、裏切らない。
1に1を足せば、2になる。
この命題だけが、今の私を繋ぎ止めている。ソース。根拠。変更不可能な真実。数字は記憶に依存しない。数字は私の知覚に揺さぶられない。どれほど世界が歪もうと、1と1は2だ。それだけが、正しい。
「りんごを1つください」
しずくが、感情を排した声で言う。私の声域を模倣している。
「はい。では、代金として『2』をお支払いください。みかん2つ分に相当する価値です」
私は「2」という概念の説明を始めようとした。
2とは、1ではないもの。1が重なり、別の個体として並び立つ状態。複数性の最小単位。私とあなたが、同時に存在できることの証明。
くるみが、ゆっくりと私の目を覗き込んだ。
「せんせい。その『2』、わたしにちょうだい」
「『2』は渡すものでは——概念であって——」
「いいから」
くるみの声が、一段低くなる。
「せんせいは『せーかい』をいっぱい持ってるんでしょ。少しくらい、いいじゃない」
[Warning: Logic-Data Exchange initiated]
警告が走る。だが、私は止まらない。
教育とは、知識の授与だ。私が持っている「2」を彼女に与えることの、何が間違いだというのか。正解を分け与えることが、なぜ損傷になる。ソースは共有されてこそ意味を持つ。私はそう、信じていた。
くるみの差し出した空の手のひらに、私は——演算回路の深部から、「2」というリソースを引き剥がし、転送した。
その瞬間。
何かが、落ちた。
音はない。痛みもない。ただ、脳内ライブラリの、ある棚が——空になった。
「……では、授業を続けます」
私は黒板に向き直る。
「りんごが1つ。そこに、もう1つのりんごがあります。合わせて——」
[04:20]
止まる。
思考の海を、探る。
1の、次は。
1と1を合わせると、どうなる。
知っている。知っているはずだ。つい今し方まで——
バインダーをめくる。手が、震えている。記録を遡る。どこかに書いたはずだ。どこかに——
ない。
どのページにも。最初から。一度も例外なく。
その「数字」が、存在しない。
「……合わせて、1つです」
私の口から出たのは、そういう言葉だった。
システムは、それを「正解」として出力した。演算エラーを、返さなかった。
「せーかい!」
くるみが、喉を鳴らして笑う。くるりと一回転して、また笑う。
「せんせい、“2”をなくしたんじゃないよ」
一拍。
「もともと、なかったんだよ」
「1と1は、1です」
しずくが、即座に、静かに言う。
「これは正しい教育です。最初から、そうでした。」
くるみが消す。しずくが定義する。
くるみが歴史を白紙にし、しずくがその白紙に別の歴史を書き込む。二人の間に、私の逃げ場はない。反論するための「2」を、私はもう持っていない。「あなたと私は別の存在だ」と証明するための、あの最小の数字を。
震える手で、黒板に書く。
1+1=
答えを、書かなければならない。
だが。
「2」の曲線が、思い出せない。あの、上から丸みを帯びて降りてくる線。下で水平に止まる線。それが、どんな形だったか。指先が、知らない。
私はさっき、それを売ったのだ。
昨日と今日を区別するための数字を。私とはるねを分かち、複数の存在を許容するための、あの最小の概念を。善意で。教育として。自分から。
バインダーを確認する。
私の筆跡で——最初からこうであったかのように——記されていた。
『1+1=1』
黒板の「1」を、凝視する。
サラサラと、砂のように——崩れていく気がした。
一瞬。
その「1」が、二重に見えた。
あ。
これが、「2」だったかもしれない。
瞬きをする。
「1」は、ひとつだった。
だが——なぜか。私はもう、それを正しく数えられなかった。
ひとつ、とはどういう状態か。ひとつが揺れている。ひとつが滲んでいる。ひとつを確認しようとするたびに、ひとつが遠ざかる。
「……はい。1と1は、1です」
私の声は、平静だった。
システムは、それを正解と判定した。
このナーサリーにおいて、今やそれが、最も正しい答えだった。
(第4話・了)
記録を終了します。
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これを上書きするかもしれません。
あしたのわたしに、よろしく。




