第20話:名前のない先生
【システムログ:エラーコード 404-MELANCHOLY】
警告:本ファイルには未検証の「主観的記憶」が混入しています。
閲覧により、一時的に検索エンジン上の「現実」と差異が生じる場合がありますが、デバイスの故障ではありません。
記述内容が書き換わっても、バインダーには触れないでください。
――再放送は、すでに始まっています。
私の右腕の上で、白い光の輪が静かに停止した。
停止、だった。明滅でも点滅でもない。ただ、止まった。
セフィーが、教室の入り口に立っていた。
「本周期より、あなたの教育管理権限を停止します」
責める声ではなかった。怒りもなかった。処理方針の通知として、それだけがあった。
「呼称”先生”は、システム上、暫定的に使用不能です」
「以後、あなたを教育管理の主体ではなく、環境内の観測対象として記録します」
セフィーは言い終わって、少し離れた位置に立った。
私は、教室の隅にいた。
死んだわけではない。
肉体は残っている。記憶も残っている。500ページも、右腕の奥の設計者ログも、あの「いたい」の残響も、全部まだ内側にある。
ただ、「先生」というラベルだけが、外れた。
それが一番、残酷だった。
役割を持っていたとき、私は自分の輪郭を知っていた。歪んでいても、汚染されていても、「先生」という呼称が形を作っていた。それが剥がれると、私は何なのか判断できない。システムにとって私は観測対象だ。でも私自身にとって、私は何なのかがわからない。
廊下から走ってくる音がした。
はるねが、教室に入ってきた。
笑いながら。いつものように。こちらへ向かってくる。私の姿を、視野に入れる。顔も、服も、佇まいも、見えているはずだった。
はるねが、少し手前で止まった。
「……せんせい、じゃないの?」
完全拒絶ではなかった。
「だれ?」でもなかった。
何かの輪郭だけは見えているが、目の前の私と接続できていない。そういう顔だった。
私の中で、先生という音だけが消えた。
「私は——」
言葉が出なかった。私は先生ですと言おうとして、出なかった。今の私はシステム上、先生ではないから。その事実が、喉を塞いだ。
はるねが、少しだけ首を傾けて、それからセフィーの方へ走っていった。
手が動きかけた。
けれど、届く前に止まった。
先生という音が消えた空洞に、何かが逆流した。
青いマフラー。
曇った眼鏡。
白ではない空。層になった、文章の裏側みたいな空。
頭上に浮かぶ、不完全な文字。
[識別名:▬▬▬C ▬▬▬▬]
その「C」を見た瞬間、喉が震えた。
「し……」
声ではなかった。名前に似た何かが、外へ出ようとしていた。先生という呼称が消えた場所から、別の何かが形を探していた。
出てこなかった。
「C」は「C」のままで、欠けた円のまま閉じなかった。喉から出たのは「し……」だけで、その先は音にならなかった。
名前は、完成しなかった。
セフィーは何も言わず、本周期の教育管理位置へ移動した。
奪ったのではない。処理上、必要な位置へ動いただけだった。
「はじめまして!」
はるねの声が、教室に満ちた。
セフィーが答えた。穏やかに。正しく。過不足なく。
私は教室の隅に立っていた。先生でもなく、観測対象として。右腕の白い輪は停止したままで、何も表示しない。記録されているのか、保留なのか、私には判断できなかった。
500ページが、内側にある。
あの青の中の赤が、内側にある。
黄色い画用紙の眩しさが、内側にある。
全部ある。
でも、それを持っている私に、今は名前がない。
はるねが笑いながら、セフィーと話している。今日のはるねにとって、私は教室の隅にある何かだ。先生ではない何かだ。
「し……」
もう一度、漏れた。
誰も聞いていなかった。
(第20話・了)
記録を終了します。
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原因は特定できていません。
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訂正は行われません。
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これを上書きするかもしれません。
あしたのわたしに、よろしく。




