第18話:青を選ぶ子
【システムログ:エラーコード 404-MELANCHOLY】
警告:本ファイルには未検証の「主観的記憶」が混入しています。
閲覧により、一時的に検索エンジン上の「現実」と差異が生じる場合がありますが、デバイスの故障ではありません。
記述内容が書き換わっても、バインダーには触れないでください。
――再放送は、すでに始まっています。
右腕の白い輪は、見えない。
消えたわけではない。セフィーの観測は続いている。
私が何を出力しても、しなくても、記録される。わかっている。
だから今日は、できる限り薄くいようとした。
声を出さない。手を動かさない。表情を固定する。
私という重力が、この教室に影を作らないように。
何もしないことが、何かにならないように。
それがどれだけ難しいか、あの白紙の10分が教えてくれた。
自由画の時間。
はるねがクレヨン箱の前に座った。
私は教壇の端に立っていた。
赤を望まないようにした。青を許そうともしなかった。
ただ、何も起こさないように、空気になろうとした。
はるねが、クレヨン箱を覗き込んでいる。
指が動く。迷っている。
青に触れて、止まる。
私は息を止めた。
はるねの指が、青いクレヨンを持った。
安堵が、走った。
同時に、何か別のものも走った。
この子は選べた。誘導なしに、圧力なしに、自分で青を手に取った。
それは良いことのはずだった。
でも、その青は私の記録にない。
500ページの中に、誰にも押されずに青を選んだはるねを、私は知らない。
私が赤を押し付けていたから。
私の沈黙が青を許さなかったから。
私が知らないだけで、この子は最初から、私の記録より広かった。
そのことが、救いで、同時に痛かった。
はるねが、青で画用紙を塗り始めた。
空のような、水のような、青。
記録にない青。教えていない青。
楽しそうに、塗っている。
私はそれを、止めなかった。止められなかった。
何かが緩んでいく感覚があった。
このまま10分が終わればいいと思った。
この子が青を塗り終えて、笑って、消えればいいと思った。
それが一番、清潔な終わり方だった。
はるねが、小さく止まった。
青い画用紙の真ん中あたりを見て、クレヨン箱に手を戻した。
赤いクレヨンを、取った。
小さな赤い点を、青の中に置いた。ひとつだけ。
それから少し考えて、もうひとつ。
私は、見ていた。
聞かないつもりだった。
「どうして、ここだけ赤なのですか」
声が出ていた。
出した瞬間に、後悔した。
問いかけも干渉だ。
セフィーの輪が明滅する気がした。
記録される、と思った。
はるねが顔を上げた。少し考えた。
「ここ、さむそうだったから」
それだけだった。
あの熱のことを、思い出した。
「せんせい、て、あつい?」
あのとき私は、リセットをすり抜けた熱だと思った。
彼女の中に私が残っていると思った。
今も、思いそうになった。
青い寒さの中に赤を置いたのは、あの熱の残響だと。
バインダーに書き込まれた無数の赤が、記憶ではなく重みとして伝わったのだと。
思わなかった。
思わないようにした。
はるねは覚えていない。
ただ、そう思っただけだ。
青が寒そうだったから赤を置いた。
それだけだ。
それだけのことに、私が意味を読んでいる。
救われた、と思った。
同じ瞬間に、失った、と思った。
「……きれいですね」
声が出た。
褒めたわけではない。正解と言いたかったわけでもない。
ただ、それ以外の言葉が出てこなかった。
青の中の赤を見て、出てきたのがそれだった。
はるねは嬉しそうに笑って、また塗り始めた。
右腕の白い輪が、一拍遅れて明滅した。
セフィーの観測ログに、何かが届いたはずだった。
誘導ではない。評価でもない。
だから、記録は一瞬だけ名前を失った。
(第18話・了)
記録を終了します。
内部に不整合が検出されました。
原因は特定できていません。
このログは保存されています。
訂正は行われません。
次の記録が、
これを上書きするかもしれません。
あしたのわたしに、よろしく。




