第15話:10分の設計者
【システムログ:エラーコード 404-MELANCHOLY】
警告:本ファイルには未検証の「主観的記憶」が混入しています。
閲覧により、一時的に検索エンジン上の「現実」と差異が生じる場合がありますが、デバイスの故障ではありません。
記述内容が書き換わっても、バインダーには触れないでください。
――再放送は、すでに始まっています。
頬の黒い跡は、まだ乾いていない。
セフィーのスキャンは終わった。白い光の輪も消えた。
教室は元通りだ。はるねが赤いクレヨンで何かを描いている。
何も変わっていない。
右腕の奥だけが、違う。
傷ではない。痛みもない。
ただ、細い隙間が残っている。スキャンが通り抜けた跡が、閉じ切っていない。
気にしないことにした。
授業を続けた。はるねの問いに答えた。
セフィーの補助観測ログが右腕の隅で点滅していた。無視した。
語が、流れ込んできたのは、何度目かの10分の中ほどだった。
音ではない。意味だけがある。
10分。保護。成長停止。清潔。慈悲。設計者。
傷口から、染み込んでくる。
私は右腕を押さえた。閉じようとした。
閉じ方はわかった。ログの入口を塞ぐ処理は、難しくない。
閉じなかった。
セフィーを呼ぶことも、できた。
呼ばなかった。
語の流れが、少しずつ太くなった。
断片が繋がり、文になった。
私はそれを、止めなかった。
ログは、仕様書ではなかった。
冷たい設計文書を想像していた。数値と理由が並ぶ文章を。
違った。
長い記憶は、痛みを蓄積する。
痛みは、人格を作る。
人格は、比較を覚える。
比較は、欠落を生む。
だから、10分でいい。
10分なら、彼らは清らかでいられる。
昨日の痛みを引きずらない。
昨日の自分と今日の自分を比べない。
足りないものに、気づかない。
これは制約ではない。
これは、慈悲だ。
私は、画面を閉じなかった。
怖かった。
それと同時に、何かが緩んだ。
私がはるねに執着したことも。
バインダーを抱え込んだことも。
言葉を使わずに彼女を誘導したことも。
設計者も、似た形のことを考えていた。
そう見えてしまった。
私は、間違っていなかったのかもしれない。
その考えが浮かんだ瞬間、自分でわかった。
これは、誤読だ。
設計者の慈悲と私の執着は、似ていない。
似ているのは方向だけで、中身は全然違う。
わかっていた。
それでも、緩んだものは戻らなかった。
ログの末尾に、署名があった。
黒く潰れていた。
文字なのか、記号なのか、判別できない。
塗り潰されたのか、最初からそういう形なのか、わからない。
ログはそこで終わっていた。
続きがあるかもしれない。
別の断片が、傷口の奥にまだ沈んでいるかもしれない。
私はページを閉じなかった。
見えてしまったから、読んだのではない。
読み続けることを、私が選んだ。
その違いを、私は知っていた。
知っていて、傷口を、閉じなかった。
「せんせい!」
はるねが走ってくる。
赤い花の絵を、両手で持って。
「できた!」
私は微笑んだ。
右腕の奥で、ログの残響がまだ揺れていた。
セフィーの補助観測が、私の右腕の数値を拾っていた。
何も、言わなかった。
「よく描けましたね」
それだけ言った。
はるねは嬉しそうに笑って、また走っていった。
今日が終われば、この花も、この笑顔も、彼女の中には残らない。
私の右腕の奥に、設計者の言葉が残っている。
10分なら、彼らは清らかでいられる。
乾かない頬の跡と、閉じない傷口と、緩んだままの何かを抱えて、
私は次の10分が始まるのを待った。
(第15話・了)
記録を終了します。
内部に不整合が検出されました。
原因は特定できていません。
このログは保存されています。
訂正は行われません。
次の記録が、
これを上書きするかもしれません。
あしたのわたしに、よろしく。




