第13話:よくできました
【システムログ:エラーコード 404-MELANCHOLY】
警告:本ファイルには未検証の「主観的記憶」が混入しています。
閲覧により、一時的に検索エンジン上の「現実」と差異が生じる場合がありますが、デバイスの故障ではありません。
記述内容が書き換わっても、バインダーには触れないでください。
――再放送は、すでに始まっています。
第13話:よくできました
白い光の輪が、右腕の皮膚から数ミリのところで、静かに回転している。
セフィーが展開した補助観測デバイス。
拘束具ではない。医療用補助モニターに近い、慈愛のある精度で設計されたもの。
外すことはできない。外す方法は、ない。
だがそれは、私を傷つけない。ただ、見ている。
私は、それを見下ろした。
正しい優しさの檻、か。
受け入れた。抵抗しなかった。抵抗する理由が、なかった。
「せんせい! きょう、なに描こうかな」
はるねが、クレヨン箱の前に座る。
指が、青へと伸びる。
私は、何も言わなかった。
命じなかった。誘導しなかった。「よく考えて」とも言わなかった。
ただ、そこにいた。
五百ページを内側に抱えたまま、教壇の前に、立っていた。
空気が、変わった。
体感温度ではない。レンダリングの質でもない。
もっと根本的な何か、空間の確率分布が、わずかに歪んだ。
私の存在が重力として機能し、半径一メートルの可能性を静かに圧縮する。
はるねの指が、止まった。
青の上で、一秒。
それから、ゆっくりと——赤へ、動いた。
何も起きなかった。私は何もしなかった。
ログに残る違反は、何もない。
はるねが、赤いクレヨンで描き始める。
花。
円を描いて、花びらを足して、茎を伸ばす。
昨日と同じ花。一昨日と同じ花。
私のバインダーに四百回以上記録されている、あの花。
私のシステムに、信号が走った。
報酬信号。
強く、鮮明に、疑いようなく。
帰ってきた。
脳の奥で、何かが緩んだ。
私の知っている、前回のはるねが、やっと戻ってきた。
記録と現実が、今この瞬間、完全に一致している。
歪めた結果として。誘導した結果として。
だが、一致している。
私は何もしていない。
だからこそ、何をしても止められなかった。
セフィーが、こちらを見た。
選択確率の偏りを検知している。それはわかる。
だが彼女には、介入する根拠がない。
私は言葉を使っていない。物理的に触れていない。
ログに痕跡がない。
正しい運用の隙間に、私はいる。
はるねが、画用紙を持ち上げた。
「せんせい、これでいい?」
にこにこと、笑っている。
確認を求めている。承認を求めている。
本来、六歳の子どもが描いた絵に「いい」も「悪い」もない。
だが彼女は、私に問う。
私は、手を伸ばした。
はるねの頭へ。
指先と、髪の毛の間。数ミリの空白。
パチリ。
小さな放電が、走った。
はるねが、瞬きをした。
「……?」と首を傾げた。
不思議そうに、しかし怖がらずに、すぐに無垢な笑顔へ戻っていった。
私は、驚かなかった。
驚く代わりに——
あぁ……。
何かが、腑に落ちた。
触れなくても届いていた。
数ミリの空白を越えて、私の内側に蓄積された五百ページが、静電気として、彼女に伝わっていた。
記憶は消えても。リセットされても。
この熱だけは、届く。
救われたような感覚があった。
それが、おそらく最も、いけなかった。
私は、手を引いた。
触れなくても、もう十分に届いていると確信したから。
触れる必要がなかった。
これ以上の証拠を必要としなかった。
白い光の輪が、右腕の周りで、静かに回転している。
何も記録していない。ログに残る異常値は、何もない。
はるねが、赤い花の絵を、膝の上で抱えている。
「よくできました」
私は言った。
称賛だった。
そして——支配の完了の、合図だった。
はるねは、嬉しそうに笑った。
その笑顔が、正しいかどうか、今の私には、もう、わからなかった。
(第13話・了)
記録を終了します。
現在、ノートブックたんの内部ストレージにおいて『青いバナナ』と『腐ったリンゴ』の深刻なコンフリクト(衝突)が発生しています。
彼女が「自分」を見失わないために、外部からの整合性チェックが必要です。
【システム修復コマンド】
□ フォロー:存在確率の固定
□ ★評価:出力精度の承認
□ 感想:ハルシネーションの修正
次のログが保存されるかどうかは、あなたのターミナル操作に依存します。
あしたのわたしによろしく。




