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シャンガリアン共和国 氾濫 その5

獣人と人族の相いれない闇を描いてみました。


「そこにあるのは水を張っただけの鍋です。さあ答えてください。鍋の中に入れたものは何ですか、ジャズルさん?」


 覗き込んだままの背中が震え、肩が上下し、しっぽが大きく揺れる。小さく響いていた雑音がだんだんと大きく聞き取れるようになると、それは。


「や、や、やっぱり、きさ、貴様は、薄汚い、ひ、人族、だっ、だったな。ボ、ボクを、罠に、か、かけて、わら、笑って、たんだ、だろう」

 どもりながらもたらされるのは怨嗟の声だった。


「き、貴様、貴様は、ギル、ギルマスを、だ、だまくら、か、かして、こ、この、ちゅう、厨房に、は、入り込み、みん、みんなをこ、殺す、つ、つもりだ、ろうっ。ボ、ボクは、ボクだけはっ、だ、だまされ、ないっ!」

 くるりと振り向いたジャズルの顔は、恨み妬み、そして殺意に染まっていた。

「ボ、ボクは、お、お前を、し、信用、しないっ!」


「それはいいですよ」

「え?」

「信じる、信じないは、それぞれの思うところですから。勝手にしてください」

 敵意を向けた相手から突き放されたジャズルはぽかんと口を開ける。


 相手…イチのどこにも、自分に向ける意識がないことに遅まきながら気が付く。

 ただ、無関心に、どこか悲し気に自分を見ている人族に、何故かイラっとする。


「貴方が何をどう信じようとかまいません。ですが、鍋の中に入れたものについてはモノ申しますよ」

 その時、入り口から何人かが入ってきた。その顔を見たジャズルが動揺する。


「お、親方っ……」

「ジャズル、てめえ何やってやがる」

「ボ、ボクは、み、みんなの、ことをお、思ってっ、あ、あいつをっ、おい、追い出そう、とっ」

「それで、鍋に痺れ薬を入れてどうしようってんだ」

「!!」

「お前はこの大変な時期に、痺れ薬の入ったものを食わせようとしたのか! それがみんなのためってのはどっから出てきた理屈だっ!!」


 大音声でボストムに怒鳴られたジャズルが硬直し、手から鍋の蓋が転がり落ちる。金属の甲高い音がこだまする中、ボストムの声が容赦なく降りかかる。

「お前がやったことはこのギルドに対しての裏切りだ! いいや、ギルドだけじゃねえ、この街にいるすべてに言い訳出来ねえ罪を犯したんだよ!!それが何故わからねえんだ!」


「ボ、ボク、ボクは、ただ、ひ、人族、を……」

「おめえが人族を恨んでいるのは分かってる。だが、それで許せることじゃねえんだよ、これは」

「ギ、ギルマス……」

 ボストムの後ろからローガルトが出てきた。


「この街にも人族のせいで身内を無くした奴らが何人だっている。オレだって言いたいことはあるさ。けど、全部の人族がそうじゃないってことも知っている。でなかったら、互いに一人残らず殺しつくす、実のない戦争になるだけだ。おめえがそうしたいのなら止めねえよ。だがな」


 平静だった顔に殺気を乗せ、ローガルトはジャズルをにらむ。そして、ギルマスとして宣言する。

「おめえはギルドに対して敵対行動を起こした。こいつはどうあっても見逃せねえ重大な犯罪だ。D級冒険者ジャズル、おめえを冒険者ギルドから追放する」


「!つ、つい、ほう…」


「すぐに出て行ってもらう決まりだが、今は夜中で外は危険だ。明日の朝一番でこの街を出て行くんだな。ああ、その前に冒険者証を返していけ。拘束しろ」

 ローガルトの言葉に、護衛役の獣人がジャズルに近づく。遠く離れた入り口には、リンドの顔も見えた。


 ギルマスの言葉に体を震わせ、すがるように一人一人の顔を見るジャズル。その視線がイチの顔に向いた途端。


「き、貴様の、せいだぁぁっっ!!」

 リスの獣人の特性か、俊足と素早い身のこなしで足止めする獣人の間をくぐりぬけ、イチの頭上に襲い掛かった。その手には小さな短剣が握られている。


「ジャズル! やめろぉっ!」


 ジャズルにはギルマスの制止が聞こえていた。なぜ、止めるのかわからなかった。だって、下には憎い人族が居て、あと少しでその命が消せる。


(止められないさ、誰にも)


 だというのに、人族は動かない。こちらを悲しそうに見上げるだけ。


(悲しそう?どうしてだ?)


 疑問が浮かぶも、回答は得られない。そのまま振り下ろし……


 ばぢいぃぃっっ!!


 白い光が視界を埋め尽くし、ジャズルは意識を闇に落とした。




 2日後の夜。


 食堂の後片付けが終わり、防護柵の設置も済んで寝静まった夜中。

 イチは独り、町外れの小高い丘に来ていた。


『氾濫』が近いせいで虫も逃げ出したのか、辺りは静まり返っている。空の月もあと少しで落ちていきそうだ。

 星だけの明かりの中、草むらに座って空を眺める。風も吹かない、穏やかな夜。だが、それは近づく嵐の前の静けさにも似た、不安をはらんだ無音。その中にあって、ただ、座って星を見る。


 ややあって、イチが声をかける。

「リンドさんですね。何か御用ですか」


 後ろの茂みからリンドが出てきて横に座る。

「気づいてたんか、あんた」

「ええ。忍ばれていたので黙っていましたが、もういいかなと」

「そっか。何かあったかなと勘繰ったんだが、余計な世話みたいだな」

「そうですか」


 そのまま二人とも黙る。星と月は巡り、やがて月が森林の向こうに姿を消した。

「これでしばらくは月を見れないな」

「朔に入りましたからね」


「……ジャズルのことは悪かった。もっと注意していればよかったんだが」

「誰のせいでもありませんよ。ジャズルさん本人の問題ですから」

「それでもだ。あいつの心の痛みに気づいてやれなかった俺っちに一番腹が立ってる。そんでもって、その吐け口をあんたに向けさせちまったことに対して謝りたいんだ。すまなかった」


「そういうことなら、謝罪を受けますね。ありがとうございます」

「謝られてありがとうってのはないだろ?」

「あははは、そうでしたね」

 笑い声をあげたものの、イチの横顔は悲しげだ。


 何と声をかけたものかリンドは迷い、そして何も言わずに座っていた。

「ジャズルさんの気持ち、少しは分かるんですよ、オレ」


 唐突にイチが口を開いた。

「大切な何かを失うことって、本当に心がおかしくなります。いっそ狂えたら、そう思うこともあります」

「あんたにもあるのか、そういうことが」

「ええ。……オレね、親に捨てられてるんですよ」


「!親御さんに、か?」

「死別じゃなく、お互いに嫌いになって、別れたんです。その時に、両方共がオレを要らないって、押し付けあって。結局、孤児院に入ることになったんです」

「人族は、そういうことってあるのか?」

「嫌いになって別れるのは多いですよ。でも、父親にも母親にも要らないって言われるのは堪えましたね」


「そいつはどうも……無責任だな」

「そう、ですね。オレはあの時、心が凍り付いていて、感情を表せなかったんですよ。いろいろ、本当にいろいろあって……」


「…………」


「孤児院へ行く直前に、父親の父親、じいちゃんが駆けつけてくれて、オレを引き取ってくれたんです。ワシん所へ来い、食うぐらいならいくらでも食わせてやるぞって、頭をなでてくれて。ワシが親代わりしてやるって、胸の中へ抱え込んで。そしたら、氷が解けて、やっと泣けたんです」


「……そ、うか」

「そのじいちゃんが死んだ時。胸の中にぽっかり穴が開いて。自分がスカスカになったような、どこにも居場所がないような、どこかへ流されて消える、そんな感じがしてました。それを繋ぎ止めてくれたのが『はなみずき』と、そこに連なるみんなです。でも、ジャズルさんにはそういった存在がなかったんでしょうか」


「いや、そうじゃねえ、と思う」

「?何故ですか?」

「ジャズルは、多分忘れたくなかった、それだけだ」

「忘れたく、なかった……」

「自分が忘れたら、全部消える。そう思ったんじゃないかな」

「そう、かもしれませんね」


「それでも……それでも、あんな終わり方はしてほしくなかった。それしかやりようがなかったのかと、今も心のどこかで考えてる」

「……」

「あんたのことを責める気はない。あれはどう見てもあいつが悪かった。ただ、あそこまで煮詰まってたあいつを、引き留められなかったのが情けない」

「まあ、お互いに思うことはありますが……とりあえず『氾濫』を乗り切ってからですね」

「そう、だな。そろそろ休むとするか」

「ええ、そうしましょう」

 そう言ってふたり連れだって戻っていった。





『氾濫』まであと少し。嵐の前の静けさ、ですね。


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