シャンガリアン共和国 氾濫 その4
獣人との軋轢が垣間見えます。
狸の獣人はイチの挨拶に目を丸くし、次に大口開けて笑い出した。
「がっはっは。神聖な領域とはまた。俺らの作る物はざっかけないもんだよ。腹が膨れりゃいい、口に入りゃ良い、食あたりしなけりゃなお良い、ってなものばかりだ。買いかぶりしないでくれよ」
「いいえ、食事は生命の維持に必要不可欠なものです。それを担っているなら神聖なところですよ。断りなしに入り込んじゃいけない場所です」
「ほう、お前さんの信念てことか。そりゃあいいや。
挨拶が遅れてすまねえな。俺っちはボストム、そっちにいる細っこいのはリンド、こっちのちんまいのがジャズルだ。これで厨房を回してるよ」
「皆さん、少しの間ですがよろしくお願いします」
イチが頭を下げると残りの二人も小さく会釈しているが、明らかに警戒している。
「何をどう作るんだい、ここで?」
「ええ、日によって変わるかと思いますが、大体汁物を作らせていただこうかなと考えています」
「ほう、汁物か。いいね、うちはどうしても肉が多くてな。のどに詰まると言われるんだよ。汁が入るととおりが良くなる。お前さん、結構腕があるな?」
「いやあ、まだまだですよ。これほどの大人数を作ったことがないので、少々不安ですけどね。今夜の分は仕込み済みですので、味見をお願いします。塩加減なんかの都合もあるので」
そう言って、大なべから少し器に取り、まずは自分が一口。毒見を兼ねて味を見た後、ボストムに回す。
「丁寧なこった。どれ。……ふむ。この味付けは豆の発酵物かい?」
「流石ですね。オレの故郷では『味噌』と呼んでますが、豆だけではなくて麦やコメなんかでもできます。オレは大豆しか知らなくて、これから勉強です」
「ほぉう。結構手間がかかってそうだな。だが、いい味だ。煮込みでもイケそうだな」
「やれますね。ただこれを煮込みに使うとかなり味が濃くなるので、あとでのどが渇きますよ」
「使う量の配分が肝、か。面白れぇ調味料だな、おい」
あとの2人にも勧めたが、横を向かれる。
「今夜はこれをサイドにつけます。どうでしょう?」
「これなら味が競合しねえな。いけるだろうよ。酒はどうする?」
「本当は禁酒、といいたいんですが無理なことは分かります。なので、エールをジョッキ1杯までとしたいんですが」
「そいつはきつかねえか?」
「リリカさん、あの件はお話しても?」
ずっと見守っていたリリカを見ると、頷いて賛同している。
「あとでギルドマスターから公表されると思いますが、先に言っておきます。『氾濫』が起きます」
「「「!!!」」」
「その圧力に対抗するため、これからいろいろなことが同時進行で進みますが、オレの短期割込みもその一環だと考えてください。酔っぱらっているような暇はないんです」
「エールくらいなら酔う奴ぁいねえと思うがよ」
「それでもです。アルコールは判断を鈍らせます。その自覚のない人たちが酔った状態で戦うことこそが一番怖いんです」
「うん、まあ、あんたのいう事も分かるがな」
「ふん、人族が何を偉そうに…」
リンドが舌打ちしそうな口調で吐き捨てる。
「リンドさん、ですか。あなたは協力してくれないと、そういうことですね」
「人族に貸してやる手なんてねえよ。大体『氾濫』が確実に起きるなんて、どうしてわかるんだよ」
リンドはイチをにらみつけた。ふさっとしたしっぽが苛立たし気に揺れている。
「大袈裟なことを言って乗り込んできやがって、一体俺っちたちに何食わそうってんだよ。毒でも入ってるんじゃねえのか?」
「リンド、やめねえか」
ボストムが制止するが、リンドは止まらない。
「親方も親方だ。人族みたいなうすっ気味の悪い奴を厨房に入れてどうすんです!俺っちたちゃあ冒険者の命を預かってるんですぜ。こいつが何かやらかしたらみんなが危険にさらされっちまう。そうなったら取り返しがつかないんだ!!」
「リンドさんの言い分は分かりました。じゃ、これでどうですか?」
言葉とともに、イチの体が光り、そして消えた後には猫ひげを生やして耳の立ったイチが居た。
これには厨房にいた誰もが驚き、言葉を無くした。
「お、お前、猫族、だった、のか?」
「いいえ? 人族ですよ」
再度光って、元の姿に戻ったイチが笑っていた。
「何の冗談だ、そいつは!」
「あはは、脅かしてすみません。でも、リンドさん」
イチがリンドの顔を見る。
「外見なんてもの、いくらでも変えられるんですよ。もしあの姿で最初に入ってきたら、今のようなことは言わなかったんじゃないですか? 結局頼りになるのはその存在の在り方です。その相手を見る、自分の心の声を聴くしかないんですよ。オレはここのギルドマスターを信用し、失いたくないと思っているんです。だからこそ、助力したいと申し出ているんですが」
「そ、そんなこと言って、食いモンになにか入れるつもりだろうっ!」
「入れる予定はないんですが、はいってしまうものはありますね」
「なんだとぉっ!?」
「オレの故郷で作った作物は、こっちで食べるとバフの効果が付くようで。これで少しでも皆さんの力がかさ上げできればなぁと」
「な、な、な、……」
「おい、そいつぁ本当か?」
「事実ですね。どうしてかは知りませんが、まあそういうものなんでしょう」
「…………」
「人族のオレが信用できなくても、ギルマスは信じられるでしょう? そのギルマスが信じたオレ…じゃなくて、この料理を信じてもらえませんか。『氾濫』は待ってはくれません。それまでにできることを精一杯やる、これもそのひとつだと割り切ってほしいんです。お願いします」
「お、おい……!」
そう言ってイチは頭を下げる。人族にお願いされたリンドはあたふたと辺りを見回し、頭をかき、しっぽをひねり、そして。
「わ、分かった。分かったからもう頭を上げてくれ。そこまで言うんなら、協力してやる」
「ありがとうございます、リンドさん」
イチが微笑み、ボストムは胸をなでおろし、リリカは黙ってみていた。そしてもう一人は。
誰にも見られずにそっとポケットへ突っ込んだ両手を固く握りしめていた。
「3番テーブル注文、A定食4つあがったよ!」「5番カウンター席モツ煮込み、一丁上がりっ!」「1番さん、注文はなんだいっ!?」「おーい、2番テーブルまだかぁっ!」「うっせぇ、ちっと待ってろぃ!」「勘定おいてくぜーっ!うまかったーっ!」
その夜のギルド食堂はにぎやかだった。いつもの事ではあるが、食べ終わった獣人たちの誰もがいつも以上に満足げに出ていくのが印象的だった。エールが制限されているにもかかわらず、だ。
厨房は目の回る忙しさであったが、イチが参戦して洗いから材料の刻み、食器のセットまでするので、作ったものを載せて配膳する流れがスムーズに動く。イチ本人は厨房の中から出ることはないのだが、その影響力はレジ台まで響いていた。
「ねえ、今日の厨房、随分調子いいのね。とっとと出てくるから、アタシお客さんに怒られてないんだよ」
「そうよね、いつもならあちこちで渋滞してなかなか出てこないんだけど、今日なんてテーブルの間を動くの楽だもんね」
「そうそう。それに、このスープ、美味しそうなにおいじゃん?残ったら少し分けてもらおうかな」
「いいわねそれ。あたしも一口乗せてねっ」
「おーい!運んでくれーっ!」
「はーーいっ!」
ウエイトレスの楽しそうな声を聴きつつも、厨房の隅でひっそりと仕事をしている彼の手が震えていたのを、誰も知らなかった。
そして3日後の真夜中。
静まり返った厨房に入り込んだ影が、大きな寸胴鍋の中へ何かを放り込んだ時。
そのゆがみが明らかになった。
暗かった厨房に閃光が走り、一気に明るくなる。寸胴鍋の蓋を取った姿勢で固まったままの影に、静かな声がかかった。
「今、その鍋に入れたものは何ですか?」
掛けられた声に反応したのは大きくはねた肩だった。
「その中には何もないですよ。オレが作る予定だった汁物が置いてはありましたが、取り替えてありますから」
その意味を理解したのか、鍋の中を覗き込む影。
「そこにあるのは水を張っただけの鍋です。さあ答えてください。鍋の中に入れたものは何ですか、ジャズルさん?」
イチの獣人仕様を猫でやってみました。
どうでしょう?




