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その3─勤め人たち篇─

「よーし、そこ! そこで固定して!」


「はーい!」


「明日法王府の人が視察に来るらしいから、"これ"ブッ壊すよ! 顧客への補償は国がしてくれるらしいから、その案内状も遅れるなよな!」


「りょーかーい!」


 一方その頃。オリヴィーでは、アレッタを始めとしたトラヴ運輸の面々が、再起のために動いていた。この一件でただ巻き込まれただけのトラヴ運輸が、損害だけ被り消えていくというのは余りに忍びないと、法王府直々の勅命により、特別措置としてトラヴ運輸の再起を支援する、との申し出があったのだ。しかし、キヨシが残したソルベリウムでできた格納庫があると支援を打ち切られかねないし、本当に打ち切られたとしてそのソルベリウムを換金したりするのは倫理に反する。よって、名残惜しいが取り壊して、残骸は外の砂漠に破棄することになった。なお、滑走路は処分済みだ。


 ちなみに、国が動いた背景には、ジェラルドの根回しやらなんやらがあったりするのだが、それはまた別の話。


「ふぅっ」


「アレッタ、あんまり無理しないでね。本当はまだ休んでなきゃダメなんだから」


「んー? 平気平気、むしろしばらく休んでた分、バリバリ働かなくっちゃな!!」


 気丈に振る舞う裏側で、アレッタは旅立った友人たちを想う。


 ──今頃、カルロッタさんたちはアティーズに着いてるかな。


 キヨシたちがオリヴィーを出て、すでに六日が経っていた。飛行機の性能と日数的には、もうとっくにアティーズへ到着している頃だろう。恐らく穏やかには入国できまい、というのがアレッタの予想。ほんの十数年前まで戦争をしていた国だ。


 だが、アレッタはそこまで心配はしていなかった。何せ、キヨシたちは持ち前の知恵と勇気で、このオリヴィーという街を一つ救った英雄。彼らに不可能などない──と、アレッタは信頼している。


 ひょっとしたら、すでにアティーズ内で友人の一人も作って、よろしくやっているのかも、くらいに考えていた。


 ──……!


 そんな風に物思いに耽っていると、仲間たちの羽ばたきと吹いてきたそよ風の音に紛れて、小枝が踏み折られる湿った音が聞こえた。身体が反応するままに音のした方をチラリと見やると、薄暗い木陰の向こう側に、見覚えのある人影を見つける。


「……ヴァイオレットさん?」


 ヴァイオレットがこちらのことはまるで気に留めず、森の奥へ奥へと突き進んでいく。


「アレッタ、どしたの?」


「ん? 今ヴァイオレットさんがいたからさ。ちょっと呼んでくる! ヴァイオレットさんにも世話になったし、お礼しなきゃ!」


 今回の騒動において、負傷したトラヴ運輸のメンバーの治療を始めとして、ヴァイオレットの力添えがあったのは間違いない。純真無垢、天真爛漫の体現者であるアレッタは礼を尽くすべく、ヴァイオレットを追いかけて森の中へと駆けていく。


──────


「見失ったー!」


 まだ万全でない身体でフラつきながらも、ヴァイオレットを追って森の中を走っていたが、鬱蒼とした森故かヴァイオレットを完全に見失ってしまった。別に無理して探し出す必要もないのだが、それなりの時間を費やしたとなると、最早意地だ。


「変だなあ。地上とはいえ、普通の人間に追いつけないなんて……ん?」


 アレッタの耳が、自然のせせらぎとは別の、僅かな液体音を捉えた。本来、鳥類というのは種類にもよるがあまり耳のいい方ではない。だがハルピュイヤ族は言わば、『人間の形をした鳥』──したがって、人間のそれよりも遥かに優れている。


 音を頼りにゆっくりと発生源へと近付いていくと、森の一角、一際開けた空間に一人佇むヴァイオレットを発見した。


「いた──」


 『おーい』と声をかけようとしたその瞬間、未だアレッタに気付いていない様子のヴァイオレットは少し屈んで、スカートの裾を摘む。それを見たアレッタは赤面してすぐ傍の木陰に隠れた。『見てはいけないものを見るところだった』と感じたからだ。


 直後、ヴァイオレットがアレッタの方へ向かって、履いていた靴を放り投げる。アレッタは仰天した。靴がいきなり飛んできた、などといったごくごく平凡な現象に対してではない。


 ──……は?


 なんと靴はアレッタが隠れていた木にぶつかり、バシャンと音を立てて飛沫になったのだ。


 跡形もなく溶けて地面に染み込んでいく靴を目の当たりにして、余りの出来事にアレッタは言葉を失う。そんなアレッタを他所に、ヴァイオレットがおもむろに古ぼけた小汚い用水路へと降り立つ。するとヴァイオレットの膝から水面までが、まるで液体のように波打ち、少しずつ登っていく。


 ──何、アレ!? 足から水、『飲んでる』ッ!?


 そう、まるで用水路の水を『吸い上げている』かのように。


 アレッタには、今目の前で何が起こっているのか、全く理解できなかった。ヴァイオレットは何をしているのか? そもそも何故こんな森の奥深くに、用水路なんてあるのか?


 そして何よりも、ヴァイオレット自体いったいなんなのか?


 あんな事ができるのはそもそも、人間ではない。人間とは言えない。それ以前に、"生物"なのかどうかすら疑わしい。別に敵意を向けられたワケでも、攻撃されているワケでもないのに、とても恐ろしい──底冷えするような恐怖が、アレッタの心を支配する。


 その時だった。


「ぇあー……」


「ひっ!!?」


 急に背後から両肩をがっしりと掴まれ、だらしのない声が聞こえたかと思うと、アレッタの耳を熱い何かがぬるりと這い回って、耳の穴に侵入してくる。その感触に総毛立ち、反射的に身体を捩って己に取り付いている何かを振り払うと、


「んふふ……あらぁ、見ちゃいましたかぁ?」


「……え!? ヴァイオレット、さん!?」


 なんとアレッタの背後にいたのは、糸を引く桃色の舌で舌舐めずりをするヴァイオレットだった。アレッタはますます混乱する。


「え……え? そんな、だってさっきまで──」


「あっちにいたのにぃ?」


「うわァァッ!!?」


 さらに用水路の方から音もなく近付いて、背後から抱き付いてきたのもまた、ヴァイオレット。だが正面にも、さっきアレッタの耳を舌で弄んだヴァイオレット。


 ──ヴァイオレットさんが、二人いるッ!?


 信じられないことに、全く同じ容姿、服装、声のヴァイオレットがアレッタの目の前に二人いた。その上、近付いてくる二人はアレッタの聴覚に引っかからなかったのだ。


 夢か幻覚か。今見ている光景を受け入れられない様子で狼狽えるアレッタを見て、二人のヴァイオレットの目尻と口角が妖しく歪んでいく。


「ダメじゃない、ヴァイオレット。命令を受け取るときは、ちゃんと周りに気を付けないとぉ」


「あらぁ。ごめんなさい、ヴァイオレット。でも大丈夫。この子に用事があるからぁ」


「そうなの」


「ええ。この数年楽しかったけれど、ヴァイオレットはもうおしまい。私たちは『()()()()()()()()()()()()』、ですってぇ」


「あらぁ、素敵。前からアレッタさんの身体、"欲しいなぁ"って、思ってたのよぉ。見られちゃったことだし……丁度いいわぁ」


 二人のヴァイオレットは横目にアレッタを凝視しながら、互いに互いを同じ名で呼び合い、酷く倒錯した会話を展開する。何を言っているやらさっぱり分からないが、字面だけ考慮しても、ろくでもないことを考えているのだけは確か。


 ──なんか……ヤバイッ!!


 アレッタは己に備わった野性的な勘の赴くままに、逃走を図るべく急速に飛び立った。


 ──月明かりをッ!


 体内時計が、東の空に月が昇っていることをアレッタに報せる。それを頼りにして、森の中で狂った方向感覚を瞬時に矯正し、仲間たちの待つ場所へとひとっ飛びすれば、取り敢えず危機は脱せるだろう。空にさえ出てしまえば、ヴァイオレットには自分を止めることはできない──そういう一種の自負心からの行動だった。問題はそれがどれだけ早くできるかだ。


 ──あった……!?


 が、その懸念も杞憂に終わったようで、アレッタはすぐに目標を視界に捉えることができた。だが、目を通して入ってくる情報に、アレッタは違和感を覚える。


 アレッタが見ている月は、水面に映っているかのようにゆらゆらと揺れていた。


 その理由を理解するよりも早く、揺れる月は激しく波打って、その形が曖昧になっていく。


「え──」


 瞬間、透明な大質量の何かがアレッタの全身を打ち、ヴァイオレットが()()立つ()()()()()()へと叩きつけた。


 風の魔法による咄嗟の防御と、途中で何本も木の枝に引っかかったことで、どうにか身体は原形を留めていたが、激しい痛みに全身を苛まれ、指一本動かせず、呼吸すらままならない。


「か……はッ!? あ……!!」


 ブレるアレッタの視界に写ったのは、不定形の腕が生えた巨大な影。アレにアレッタははたき落とされたのだ。その姿は透明で、向こう側の景色は先の月と同じように歪み、揺らめいている。そして、地に伏すアレッタは全身ずぶ濡れになっていた。


 ──"水"……!?


 最早問うまでもない。ヴァイオレットは人智を超えた能力を隠し持っていたのだ。


「あまり手荒にしちゃダメよ、ヴァイオレット。あとで痛いのは私たちなんだからぁ」


 またしてもヴァイオレットに呼びかけるヴァイオレットだったが、そのヴァイオレットはいつの間にか一人減っている。今ここにいる者はアレッタとヴァイオレットが一人のみ。


 となれば、ヴァイオレットが語りかけた相手は決まっている。


「逃げられるより……マシじゃなくて?」


 気怠げな女性の声が辺りに響くと共に、アレッタを地に墜とした巨大な影がゴボゴボと音を立てて崩れていき、その中心から女性の形を象った水の塊が姿を現し、みるみる内に色付いて、一糸まとわぬヴァイオレットの姿となった。


 そして、枯れた用水路には元通り、水が流れ始める。


「それもそうかもねぇ。うふふ、よくできましたぁ……おいで?」


 アレッタが逃げるのを防いだヴァイオレットを称賛したヴァイオレットは静かに腕を開き、もう一方のヴァイオレットはそれに応えて、ゆっくりと近付いていく。そうして密着したヴァイオレット同士が形を失って溶け合って一人のヴァイオレットとなり、どこか恍惚としたような吐息を吐いた。


「はぁ……んっ………命令、確かに承りました。『中央の私』」


 ──なんなんだよ、アイツ!! 身体が水になるなんて!


 ヴァイオレットが隠していた能力──いや、魔法は恐らく、アレッタの見立て通り"水"の魔法。だが、『自分の身体を水にする』などという魔法は見たことも聞いたこともない。そんなことはどんな人間にも、亜人種にだってできない。そんなことができるのは──


「身体が、水……なんて、まるで……"精霊"──うぐッ!?」

 

 再び用水路の水が形を成し、アレッタの四肢を掴んで持ち上げる。


「ぁぐ……このッ!!」


 破れかぶれに風の魔法で脱出を試みるも、水を吹き飛ばし掻き消したそばから再び捕まえられる。それならばとヴァイオレット本人に風をぶつけると、首が飛ばされた後ですぐに別の水がヴァイオレットの頭を象って再生する。物理攻撃の類が一切通用しないようだ。


「暴れないでくださぁい、怪我が悪化しますよぉ? まあ、しばらくの間はしっかりと、あなたの代わりに休んでおきますねぇ。さて──一応伺っておきますが……使徒様たちの行き先、あなたは知っていますよねぇ。大変仲睦まじい様子でしたし……」


 確かに、アレッタはキヨシ一行が抱えている事情を、国のお尋ね者になっていることも含めて全て知っている。だからこそ、ヴァイオレットの物言いで状況を理解できた。


 内通者は、ヴァイオレットだと。だから、追っ手の騎士たちが異常な早さでオリヴィーを嗅ぎつけたのだと。


 オリヴィーと中央都の距離は、どんなに急いでも五日はかかる。即ち、決戦から二日後に騎士が到着するには、行きも含めると最低七、八日は前に連絡する必要があるワケだ。


 キヨシたちは細かい事情をジェラルドたちとの間でしか共有しなかったし、空賊たちに殴り込みをかけるタイミングを決めたのは、本当に直前になってから。だが、身体を水にできるのなら、どこにだって潜める。盗み聞く機会はいくらでもあっただろう。これが、彼女の神出鬼没の理由。


 しかし、それで尚アレッタに情報提供を求めるということは、少なくとも欠陥機前でキヨシたちと話したときには、キヨシたちの動向を把握していなかった、ということになる。


「し……知らない。知るワケない。カルロッタさんは大好きだけど……『巻き込むといけないから』って、自分のことはいつも教えてくれないし」


 アレッタは口を決して割らない。例え今拘束されている四肢を折られようとも、英雄を、まして友人を売るようなことは絶対にしない。


 そんな厚き友情を目の当たりにしたヴァイオレットは──歯を見せて満面の笑みを浮かべた。


「ふぅん……聞いただけで教えてくれるとは、思っていませんでしたけど。それはそれで結構、あなたの頭に直接窺いますのでぇ」


「あた、ま……? ガボッッ!?」


 ヴァイオレットの左腕が形を失い、アレッタの口にバシャンと張り付く。呼吸の阻害ではない。そうならば鼻も塞ぐはず。ならば何故? その答えはすぐに導き出された。


 ヴァイオレットはこう言っていた。『アレッタになれ』『アレッタの身体が欲しいと思っていた』『あとで痛いのは私たち』。


 答えは一つ。


「……ッ!!? ~~~~~~ッ!! ~~~~~~~~ッ!!!」


 とても恐ろしい想像をしたアレッタは、今まで以上に暴れ拘束から逃れようとする。だが、最早手遅れ。どうにもならない。


 暴れるアレッタを舐め回すような視線を送り、下半身を液化させたヴァイオレットがアレッタの身体にまとわりついていく。


「ご安心くださぁい。トラヴ運輸は、これより益々の発展と成長を遂げますよぉ。他ならぬ、あなたの手によって……」


 アレッタの首をキュッと絞めて無理矢理口を開かせると、ヴァイオレットの細い指が口内にずるりと侵入し、口内から喉へ、喉から腹へ、奥へ、奥へ、奥へ──


「召し上がれ♡」


 ──助けて!! カルロッタさ……ッ!!!


 アレッタの視界は、暗黒に呑み込まれた。

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