その2─人の親たち篇─
「アッハッハッハ♨」
「何がアッハッハだアニェラァァァ!!」
ヴィンツェスト中央都の端、小高い丘の上の家に爆弾もかくやという怒鳴り声が響く。
ここはティナとカルロッタの家。怒鳴り声の主は、中央都第八衛兵隊隊長フィデリオ──ティナとカルロッタの父親だ。つまりアニェラはその妻ということになるワケだが、今現在怒鳴られているのが、そのアニェラ。
しかし、オリヴィーから戻ってきたアニェラの報告を聞けば、それも当然と言えるだろう。
「うおぅ、耳がキーンてなるゥ。ちょーっと、衛兵隊の仕事があるあなたの代わりに探しに行ったってのに、怒鳴ることないじゃん」
「茶化すな! オリヴィーで二人を発見していながら、送り出しただと!? 何を考えてる!?」
ドッチオーネ空賊団との決戦前の食事会にて、母子間で一種の弁論が繰り広げられる一幕があった。その時アニェラが『お父さんには私から上手いこと言っとく』として、キヨシたちが旅立つのを許したが、それは例えば『見つけられなかった』などと口裏を合わせるという意味合いだと、その時のキヨシたちは考えていた。
しかし、アニェラは一切の隠し立てをすることなく、オリヴィーで見聞きしてきたありのままをフィデリオに話したのだ。フィデリオが困惑し、声を荒げるのも無理からぬことだった。
それでもなお、アニェラは一切悪びれない。
「なーにを考えているって、そりゃもちろん二人のことよ。二人と一緒に、ちゃんと色々見聞きして決めたんだから」
「……何を見てきたか知らんが、二人のことを考えるならば尚の事、止めるべきじゃないのか!」
アニェラの目尻がピクリと痙攣する。
「おーっとぉ……フィデリオ君。『何を見てきたか』ってのをこれから話そーってのに、ろくすっぽ話を聞く気なさそうな態度には、ちょーっとカチンと来たねェーッ。こっちで用意した言い訳を聞いてからでも……」
「どんな言い訳だろうが、通用するワケがない! 考古学者の末路など、分かりきっているだろうに!」
「そりゃまあ、カルロがやろうとしてることは褒められたことでもないし、ついてくティナも危ないかもだけどさ。それでも、それが二人のやりたいことなら──」
「それが、この国の規律に背くことだとしてもかッ!!」
「国の規律と、子供の将来を天秤にかけろって言うの!?」
「それが本来、あるべき姿だろうッ!!」
「私は創造教にはそこまで傾倒してるワケじゃない! 救われる人だっているんだから、それはそれで素敵だとは思う。けど、私の子供と選択肢になるってんなら、迷わず子供を選ぶよ! それはあなただって同じじゃない!」
「当たり前だ! だが、それが規律を破っていい理由にはならん! 社会を生きる以上、社会の決まりの範囲でできるだけのことをするのが、人の世の渡り方だろう!」
「じゃー聞くけどさぁ! 過去を暴いたところで何があるの? そもそも、"遥か昔"っていついつまでのこと? 世界の開闢に至るまで? それとも、誰も知る者がいない五百年前から? この際だからハッキリ言うけど──創造主様はエーテルへの導にはなってくれても、そんなことも教えてくれないじゃん! なんかおかしいって思わないの!? そんなんに縛られてちゃ、カルロもティナも可哀想じゃない!」
「決まりを疑いだしては──ッ」
子を想う矛盾しない二つの心がぶつかり合う。アニェラとて、自分の考えがどこかおかしいのは理解している。フィデリオの言うことは間違いなく正論だ。だが、それも言ってしまえば国の──創造教という宗教の『遥か昔に至る歴史の探求を悪徳とする』という教義の上での話。それは酷く曖昧で、意義があるとは思えない教義だ。『宗教なんてそんなもの』と片付けるのは簡単だし、ヴィンツェストでありふれた熱狂的な信者たちは、それが悪とされることになんの疑問も抱かないが、少しでも正常な判断力があれば、これくらいは導き出せるのだ。
そして、フィデリオもまたそういう側面があるということには辿り着いていたが、規律や約束事を衛兵隊の隊長が蔑ろにするなどあってはならないと、これまで自分を強く律してきた。
しかし、ここは自分の家で、今口角泡を飛ばし合っている相手は自分の妻。その感傷が、フィデリオをほんの少しだけ甘くした。
「いや……この際、二人のことはいい。ティナとドレイクもいる以上、カルロッタに馬鹿なことはさせるまい。だが、それでも一番の問題が残ったままだ。あの不審人物について」
「……あー」
フィデリオが言う不審人物、というのが誰のことなのかアニェラは即座に理解した。当たり前だが、フィデリオの中でキヨシの評価は、墓穴の底にまた掘られた穴くらいにどん底なのだ。
「くふっ」
「ッ!?」
「それこそ大丈夫だよ」
「……何?」
ある意味最大の懸念事項であるキヨシの存在。それを提示されたアニェラは『心配ない』と笑いかける。
「あの子たちが深く信頼してるワケだし……それに、まだ公表されてないけど、もう衛兵隊には伝わってるんじゃない? オリヴィーの事件」
「ジェラルドが収めたというあれに、関与していると?」
「そんなとこ。ま、あの子たちがが関わったことは、面目上伏せられるでしょうけど……平気よ、『創造の使徒』っていうのが嘘か真かは分からないけれど、あの子はティナやカルロを任せられる。少なくとも善い人なのは確かだから」
「……アニェラ。お前、オリヴィーでいったい何を見てきたんだ?」
当然だが、オリヴィーでの出来事を体験していないフィデリオには、何故にアニェラがキヨシをそこまで評価するのか理解し難い。フィデリオがその辺りの説明を求めると、アニェラは顎に人差し指を当てあっけらかんと、
「んー……色々引っ括めて言えば。ティナが"アレ"を知った、かな?」
「"アレ"? もうちょっと説得力のある説明をだな」
「その辺に関しての言及は、ティナの尊厳を尊重し、差し控えさせていただきます」
「いやいや、勝手に言及しだしたのはお前だろう……」
アニェラは軽い調子且つ、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべて、またしてもフィデリオにとって意味のわからないことを言い始める。それは、アニェラが言うようにティナに関わることであり、さらに言えば未だティナ本人が気付いていない、ティナの中に芽生えた感情についてだ。
朝日の煌めきと共に帰ってきたキヨシ一行は皆ズタボロだったが、中でもキヨシは特に重症で、身体中滅茶苦茶。治療はヴァイオレットが担当し、ティナも『手伝えることはないか』と自ら補佐を買って出て、その後の看病もほとんど眠ることなく続けていた。
カルロッタから経緯と事情を聞くに、ティナがキヨシの負傷に責任を感じるのも当然と感じたが、果たしてそれだけでオリヴィーを出発するまでの二日間全ての時間を使って、キヨシのために尽くせるだろうか。
その疑問がアニェラの──そしてセカイの『女の勘』を突き刺した。アニェラは窺い知らぬまま、ティナに芽生えた特別な感情の正体について、セカイと同じ結論を導き出したのだ。
「ゴメンゴメン、からかい過ぎちゃったね。まあ詳しい説明はすぐにするから──その前にっ!」
アニェラは軽やかにフィデリオの眼前まで迫り、そのゴツゴツとしたシワの目立ち始めた顔を、温かな両手で優しく包み込む。
「寝なさい。目の隈凄いよ? ティナのそーいうとこは、あなた譲りなのかもね」
「ぐぅッ……」
そう、ティナが失踪して──より正確に言えば、カルロッタが出奔してからというものの、フィデリオは我が子が心配で十分に睡眠を取れなかったのだ。オリヴィーでティナが全く同じ状態に陥っていたのを考えると、アニェラの言うように、案外ティナの性格は一部父親譲りなのかも知れない。
そして、フィデリオはその実直且つ厳格な性格とは裏腹に、アニェラには頭が上がらない。素直に寝室へと足を向けたその時、アニェラは口をついたように「考えてみたらさ」と呟き、
「こんな風に怒鳴り合いの喧嘩になったの、初めてじゃない?」
「……結婚前は、割と口喧嘩にはなった気がするが」
「でも、さ。私たち二人のこと以外が主題なのは、初めてでしょ?」
此度のように意見が真正面からぶつかり合い、激しい口論になるなど結婚生活十余年、起こらなかった出来事だ。
フィデリオとアニェラの日常は、どちらかと言えば直前のどこか気の抜けた雰囲気が近いと言える。アニェラがおちゃらけて、フィデリオが呆れる。それがどうにも心地良い。
──さーてさて。ティナがこの境地に至るまで、どれくらいかかるかな?
「……何をニヤついてる?」
「なーんでもないよ。子守唄欲しい?」
「いらんッ!!」
「にししッ」
アニェラとセカイは、よく似ている。




