8話『ドジっ娘メイド、初出勤の巻』
エマ・ミルドレッドは今日ついに、シレンティウム家の門をくぐる。
彼女は平民出身の、ただの元気な少女だった。
そんな彼女がなぜ名門家のメイドへとなるに至ったのか。
シレンティウム家、長男。レイド=アン=シレンティウム。
この少年はその圧倒的な魔力量と、見るものすべてを振り向かせる美貌を兼ね備えていた。
エマとレイドは一度、王都で遭遇したことがあったのだ。
それは彼女の誕生日の日のことである。
エマの家は決して裕福とは言えなかったが、彼女の両親は「せっかくの誕生日だ」と、王都へのお出かけを計画したのだ。エマはとても喜び、村を出る前から王都にたどり着くまでの間、その笑顔が絶えることはなかった。
だが王都にたどり着き、数分経過したときのことである。
エマの笑顔は突如として消え去った。石像のように固まり、一歩も動かなくなったのである。彼女の両親は当然心配し、エマの顔を覗き込んだ。すると、固まったと思われた瞳は、《《ある方向》》をジッと見つめていることに気がついた。
両親も同様に《《ある方向》》へと顔を向け、そして、なぜエマが動かなくなってしまったのか。
その理由が判明した。
人は美しいものを間近で見ると時が止まるらしい。
その少年はフードを被っていたが、影から覗く顔は隠しきれていなかった。プラチナブロンドの髪がかすかに照らされ、白い肌が見える。その両隣には、これまた美しい女性と、騎士団の制服を着た男がいた。
一目見ただけで分かる。彼らは貴族だ。おそらく男の方は護衛役であろう。王都を出歩く貴族の親子を守れるように、背筋を伸ばし歩いていた。両親はしばらく見惚れていた様子だったが、やがてハッとし意識を戻す。慌ててエマの様子を見るが。
彼女は未だにじっと、通り過ぎていく少年の姿を見ていた。
「ママ、パパ……わたし」
エマの声は、どこか魂が抜けたような間抜けなもので、そして
「わたし、将来はメイドさんになりたい」
たしかな熱を込めたものであった。
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あれから一年経過した。
現在俺は七歳。
魔法やこの世界の知識もかなり定着してきた。 特に防御魔法はあれからもずっと訓練し続け、前よりも精度が上昇した、と思う。相変わらずレイドの攻撃はさばけないんだけど……アイツ本当になんなの? 兄貴も年々成長していて、もう既に俺には手に負えない状態となっているのだ。
こんな化け物と訓練できるというのは、いい機会かもしれないけどな……。
そんなわけで場所は俺の部屋!
この部屋をもらった二年前に比べ、インテリアなどもまぁまぁ増えてきて、今では家の中で一番お気に入りの場所となっている。やはりどの世界でも、自分の部屋が至高であることには変わりないらしい。
俺は今、ベッドの上でダラダラと過ごしていた。今日はシオン先生の授業がお休みということで、いつもよりも暇な一日となりそうだ。部屋の中でできることと言えば……やっぱ魔法の練習とかだろうか。授業が休みでも、結局魔法から離れる日はないな、我が家では特に。
さてさて、部屋が壊れない程度に魔法の訓練でもしてようか。
とか思っていたその時。
コンコン
と、乾いたノック音が聞こえてきた。
誰だろう? 母様かレイドか……いや、レイドの場合は圧倒的オーラが伝わってくるから違うな。
使用人とかだろうか。
「はーい、今行きまーす」
軽く返事をし、ドアへと向かう。
ドアノブに手をかけ、ガチャリと扉を開けると――
「ん?」
そこには、見覚えのない少女が立っていた。
紺色の髪を伸ばし、メイドの制服を身に着けている。彼女は姿勢よく立っていたが、体がわずかに揺れていた。表情もどこか固く、じわりと汗が流れている。誰が見ても、少女が極限まで緊張していることは明白であった。
しかしこの人は一体……いや、よく見たらこの人が来てるメイド服、シレンティウム家のものと同じだ。
つまり――
「は、はじめましてっ! アストラ様!!」
「うわぁっ! は、はじめまして! こちらこそ!」
ビックリした! 突然大きな声を出すものだから、俺もテンパってしまったじゃないか。
彼女は勢いよくお辞儀をしてみせる。そして震える足でゆっくりと部屋へと入ろうとしたが、しかしその瞬間――少女は裾の長いスカートを足で踏んづけ、バランスを大きく崩した。
「あべっ」
「え」
間抜けな声が頭上から落ちてくる。
彼女は手を大きく広げ、俺に覆いかぶさるように倒れてきた。
ちょっと待て! 色々起こりすぎてる! 情報過多だぞ! だけどひとまず、今の優先順位は――!
ポスッ、ヒュンっ
「へ?」
彼女の体はそのまま倒れ、地面へと突っ伏すはずだった。
しかしその体は《《見えない何か》》に支えられ、そのまま優しく押し返され、なんともなかったかのように、バランスを取り戻した。その事実に彼女はポカンとした表情で俺を見つめてくる。
まったく危なかったな。
反射神経がなければ、今頃二人揃って床に潰れてたぞ。
「あ、あれれ? 今一体何が? 私、転んでないんですか? あれ?」
「えっと、私が風で優しく押し戻したんです。あのままだと、どっちも転んじゃうところだったので」
「か、風でですか」
そう。俺は今、風系統魔法であるヴェント・バーシスを使用したのである。
風をただの塊としてぶつけるんじゃなく、柔らかい布……いや、車なんかについてた『エアバッグ』みたいな弾力のあるクッションとしてイメージして展開したんだ。少量の、だが密度の濃い風を発生させ、彼女の身体を包み込み、そして押し返した。
これもこの一年で習得した技(?)である。大分魔法も上手く使いこなせるようになっていて、実に素晴らしい限りだ。
「こんな可憐な女の子が、サラッとすごい技術を……」
「えへへ、そう言っていただけると嬉しいです」
「えへへ、って! 反応まで可愛いとは、恐れ入りました」
なんだかむず痒い。
可愛いとか言われてしまうと、やっぱ照れるな。あと、三十路の精神を持った男が「えへへ」なんて発した件については、ノーコメントで頼む。
「あの、助けていただきありがとうございました! 情けない限りですが、アストラ様のおかげで大事にならずに済みましたよ、本当に」
「いえいえ、どういたしまして。あなたに怪我がなくて、私も安心して……そういえば、まだお名前を聞いていませんでした。よければ教えてくれますか?」
「あっ、は、はい! 申し訳遅れました。私、本日からシレンティウム家で使用人を務めます、エマ・ミルドレッドと申します! 不束者ですが、どうぞよろしくお願いします!」
エマ・ミルドレッド。
なるほど、やはり新人のメイドさんだったか。礼儀正しいけど、どこか抜けている雰囲気があるな。これはまさしく、『ドジっ娘メイド属性』ってやつか! にしてもまた随分と若い人が入ってきたものだな。
見た目で判断するなら、多分兄様と同い年くらいじゃないだろうか。
「こちらこそお願いします、エマさん。色々と迷惑をかけることもあるかもしれませんが……」
「とんでもございません!! というかアストラ様、敬語はおやめください。私はただの使用人なのですから、もっと――」
「いやいや、そういうわけにもいきません。使用人さんは私達の、そしてこの広い家の世話をしてくれるんですから、敬意を払うのは当然です」
「あ……」
エマは驚いたように目を見開き、そして深く息をついた。
「そんな……アストラ様はまだ七歳だとお聞きしたのですが、既に私よりも遥かに大人に感じられます……私は、こんな『不純な動機』を持っているというのに」
「不純な、動機?」
「あぁっ、いえ! 口が滑った、じゃなくてなんでもありません! あ、危なかった……」
全部聞こえてるんだよなぁ……シオン先生なみに、心の声が漏れるタイプのようである。
エマは気を取り直すように、コホンとわざと咳き込んだ。そしてピシッと、再度姿勢を正す。
「それでですねアストラ様。私、先程すでに奥様へのご挨拶を済ましてきまして。実は、奥様から早速お仕事を頂いているんですが――」
エマは胸を張り、瞳を輝かせながら――
「なんと――アストラ様の、専属のお世話係だそうです!」
どうやらこのドジ娘。
今日から俺に付きっきりで世話をすることになってるらしい……。
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「ふんふんっ、ふふーん」
窓から日差しが部屋を照らす、穏やかな午後の時間帯。部屋の中には、少女の軽やかな鼻歌が響いていた。
俺が机に座っている間、エマは部屋の掃除をしたり、紅茶を持ってきてくれたりと、甲斐甲斐しく世話をしてくれている。
その光景を眺めていると、エマはパッと振り返り、こっちへ駆け寄ってきた。
「アストラ様、紅茶を淹れさせていただきます! そろそろいい頃合いかと」
「あぁ、うん。ありがとうございます」
彼女はティーカップを手に取り、優雅に紅茶を淹れ――
ツルンっ
「あっ」
あろうことか、エマが手に持っていたティーポットは彼女の手を滑り、きれいな弧線を描くように空中へと飛び立った。
そして中身が、俺に向かって降り注いでくる。
「アルケニオ」
それを焦ることなく、防御魔法で弾く。
俺の頭上、紅茶の滴が当たるピンポイントの場所にだけ、斜めに傾いたハニカム結界が展開される。結果、紅茶は滑り台を下るように美しく外側へと受け流され、俺の服に一滴もかかることはなかった。
が、机や床はびしょ濡れになった。
「もっ、申し訳ございません! すぐに掃除を――」
彼女は急いで懐から布巾を取り出すが、紅茶で濡れた床に足を取られ――
「ヴェント・バーシス」
そうになった瞬間にすかさずヴェント・バーシス。
転ばずに済んだ、が。
バランスを崩した拍子に空中へと投げ出された布巾が、エマの頭にパサッと着地した。
「あ……ありがとうございますアストラ様。本当、何度もご迷惑をおかけして……」
エマは気まずさを紛らわすようにその場にしゃがみこみ、濡れた床を布巾で拭き始めた。
やがてすべて綺麗に拭き取り、
「さ、さぁ! 気を取り直して、紅茶を――あでぇっ!?」
ガンッ
と鈍い音がしたかと思えば、エマはその場にうずくまっていた。
どうやら少し目を離した隙に、後頭部を机の裏にぶつけたらしい。
「だっ、大丈夫ですか!? すみません、よそ見してて……」
「いっ、いえ。そんな気を遣わないで……っ、お願いですから……」
彼女は立ち尽くしていた。窓から見える景色を眺めながら、ただ静かに。
その背中は哀愁漂い、どこか近寄りがたい雰囲気が醸し出されている。
エマ、めちゃめちゃ落ち込んでしまった。最初の仕事だと気合を入れていたのに、すべて空回りしたのだ。無理もない。
「……」
「えっと、エマさん? あの」
「私、向いてないんでしょうか。この仕事」
「え」
「ダメなんでしょうか、こういうお仕事。なんかもう、今のところ全然うまくいってないですよ。転びそうになるし、紅茶こぼすし。全部、アストラ様に助けてもらっているし……。あはは、アストラ様。私いま、十五歳なんですよ。アストラ様よりも八年長く生きてるのに、この体たらくです。情けないとかの次元じゃなくなってて、笑えてきちゃいました。はは、あははー」
ま、マズイ! エマが早くも限界を迎えた!
というかまだ全然若い子だったし。前世の日本で言えば、十五歳なんてまだ中学を卒業したばかりの子供だぞ。そんな多感な時期に、いきなり名門貴族の専属お世話係なんていう大役を任されたんだ。空回りして、失敗して、勝手に自滅して当然なんだよ。
なんか、見ていて胸が痛くなってきた。大人の俺が、もっとうまくフォローしてあげるべきだったか……?
こんな時、どんな顔すればいいのかわからないの。
これは流石に笑えないよ!
うーん、本当にどうするべきか……。
と、その時。
「なにか大きな音が聞こえたけど、大丈夫かい?」
圧倒的オーラと共に、入口から声が聞こえてきた。
この声と魔力の激流はまさか!
「に、兄様!」
「やぁアストラ。今日もいい天気だね」
俺の兄貴、レイドの登場である。
エマのドジによる効果音が気になり、部屋の様子を見に来たらしい。
しかし、そんなことよりも。俺は《《背後》》に感じる、妙な熱を持ったオーラに意識を取られていた。
後ろを振り返ると。
「あ……ぁ……っ!」
口をパクパクとさせながら、顔を真っ赤にしているエマの姿があった。彼女の顔色は赤く、青ざめ、通り越して白くなったりと忙しいことになっている。
ただその瞳だけが、純粋な光を灯していた。なんだ、急にエマから乙女オーラが……!
「おや、もしかして君は……」
「ひゃっ!?」
レイドはエマの存在に気が付き、彼女の方へと一歩、また一歩と歩み寄っていく。
兄貴が近づくたびに、エマは「あぅっ」といちいち声を漏らし、後退りしていた。目が泳ぎまくっている。
「そうか、君が新しい使用人の子だね。母様から話は聞いていたよ。アストラのお世話係だってね」
「は、はぃ……こ、こんな女が、使用人やらせてもらってます……!。あっ。え、エマと申します! エマ・ミルドレッド!」
「エマ、か。いい名前だね」
「あふんっ」
名前を呼ばれ、そして褒めてもらえたという事実に、もはや彼女は限界を迎えていた。
ふらふらと体を揺らし、そしてまたもや体がグラッと傾く。
(あっ、また転んじゃう!)
俺が風魔法を発動しようとした瞬間、
「おっと。大丈夫? エマ」
「――え」
レイドの腕が、エマの頭と腰を、優しく支えていた。
二人の顔は、鼻が触れそうなほど近く、至近距離で見つめ合っていたのだ。これ、なんて恋愛ドラマ?
俺の部屋でラブコメが始まったんだけど。なにこれ?
「だ、だいじょぶ……です……」
「ふふっ、君はなんだか危なっかしい子だね」
「う……っ、申し訳ございません。私、さっきからアストラ様にもご迷惑をおかけしていて」
「謝ることはないよエマ。アストラは何も気にしていない様子だし。そもそも人を責めるような子でもないしね。それに僕も……」
レイドは王子様のような微笑みを向けて、
「君のような明るい子が来てくれて嬉しいよ。家はにぎやかな方が、楽しいからね。これからよろしく頼むよ、エマ」
嘘偽りのない、心からの歓迎の言葉。
無自覚天然たらしによる、まさに人たらしの発言。その光景をただ眺めていた俺は、息をつくことしかできない。
しかし、レイドの言葉を真正面から受けた彼女にとって、今日という日は――
「――はっ、はい! こちらこそ……!」
最高の初出勤日となったことには、違いない。




