9話『当主不在の賑やかな食卓』
エマはどうやら料理が得意分野らしい。ついさっき、そう自慢げに話してきたのである。
彼女はレイドによる『お姫様抱っこ』ならぬ『お姫様支え』を体験したことにより、調子が上がっていた。エマから直接聞いたわけではないのだが、あの子ぜったいにレイドラブである。
悲壮的な様子は消え去り、かなりやる気に満ち溢れている。
でも心配だ。料理って、これまたエマのドジが(悪い方向に)光ってしまうのでは……? そんな懸念が残るが、彼女は既に我が家の厨房へと向かってしまったようだ。
何も起こらなければいいけど……。
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「あら、エマちゃん料理上手ねぇ」
「えへへ、ありがとうございます!」
そんなアストラの不安とは裏腹に、彼女はまぁまぁ、いやかなりの腕前を披露していた。
今彼女が行っている作業は、野菜の皮むき、そして均等な大きさに切っていくものである。
彼女が包丁を持てば、数秒後にはどこかしら切っていそうな気もしたが、既に料理開始から数十分。エマは一度もミスを犯していない。
彼女の隣には、エマの教育係として、シレンティウム家の料理長が立っている。普通なら緊張するようなこの場面で難なくこなせているのだから、彼女の実力は本物なのだろう。
(レイド様に支えてもらってからミスが無くなったなんて、こんな不純なこと言えない……!)
半分、レイドとの交流によるバフも入っているかもしれない。
厨房では、今日の夕食が作られている。肉料理にスープ。どれも最高品質の食材が使われており、エマにとっては全てが輝いて見えるような光景だった。
しかし彼女の感心は食材ではなく、常にあの少年へと向けられている。
(この食材たちを、私が調理する。私が調理したものが、食卓に並ぶ。食卓に並んだものは、レイド様も口にする。私の手料理を、レイドが口にする!! なんて最高なシチュエーションなのこれ! 絶対に失敗はできない! レイド様に『君の料理は、これまで食べてきたどんな物よりも美味だよ、エマ』と言われるまで、私は死ねないの!!)
「ふへ、ふへへへ……待っててくださいねレイド様……私が今、最高の手作り料理をもっていきますからねぇ……っ」
「え、エマちゃん? なんか顔が不穏よ? 大丈夫?」
「えぇもちろん。私はいつでもとびっきりの笑顔ですよぉ……」
「いやすんごいヨダレでてるから! ちょっと拭いて拭いて!」
料理長が慌てて布巾を取り出し、エマの口元を押さえた。
その光景を、
「あれ、順調なのか難航なのか、どっちだ……?」
こっそりと見守る、白銀の美少年が一人。
結局心配になって見に来てしまったな。
だってエマ、すごいドジ娘だし。まだ出会って数時間だけど、これは断言できる要素だ。もしなにかあれば遠くからサポートできるからな。ドジが空回りしないように……と思ってたんだけど。
意外も意外、エマは本当に料理が得意だったみたいだ。そもそもエマは俺専属の世話係という役割なので、本来は厨房に立つ必要はないらしい。でも本人の熱い希望で、彼女も料理に参加することになったんだと。なるほどたしかに、あの腕前なら厨房に立ちたがるのも納得だ。手際が恐ろしく良い。
ちょっとさっきから表情が不穏だけど……やはり、脳内はレイドのことでいっぱいになっているのだろう。バレバレである。
今日の夕飯は、肉料理とスープか。というか、何気に料理の様子を見るのって初めてかもしれないな。
大部分は日本と変わらないか。皮をむいて、包丁で切って……
一つ違うとなれば、味付けの仕方か?
「……ん? おぉ、アストラ様! 来ていらしたんですか!」
えっ。
顔を上げると、いつの間にかエマが俺を笑顔で見下ろしていた。料理に気を取られていた一瞬の隙に、近づいてきていたようだ。
一切気配がなかったんだけど、暗殺者?
「あ……はい。ちょっと気になって……」
「もしかして私が心配で、ですか? 大丈夫ですよアストラ様! 今の私はとても調子がいいですから!(レイド様のおかげで)」
「そ、そうですか。それなら良かったです。えっと、夕食楽しみにしてます! とても美味しそうなので……きっと、レイド兄様も喜んでくれますよ」
「――! あっ、アストラ様からの高評価ぁ! これはもう、《《勝ち》》を確信してもいいでしょう!」
エマは俺の両手をぎゅっと包み込み、満面の笑みで見つめてきた。近い。
「えぇ、えぇアストラ様! レイド様と楽しみに待っていてください! 王都でも味わえない料理を作ってみせますから……ふふふ」
彼女の瞳には熱がこもり、鼻息荒くそう宣言した。
エマの原動力、やっぱブレないなぁ。
というかドジ娘がドジしなくなるって……レイド、恐ろしいやつ!
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シレンティウム家のダイニングルーム。
長机の上には、今晩の献立がずらりと並んでいる。あれから数時間後、シレンティウム家の夕食の時間となり、机には既に全員が揃っていた。
母親のエレノア。
兄貴のレイド。
シオン先生。
そして俺である。
使用人さんはダイニングルームの入口付近などにそれぞれ位置づいている。
紅茶や料理のおかわりを要求されたときに、すぐに動けるよう準備をしているのだ。彼らはこの間、ご飯を口にすることはない。俺達が食事を終えた後に、それぞれで食べることになっている。
「みんな揃ったわね。美味しいご飯が覚める前に、頂いてしまいましょう」
エレノアが声を掛けると、皆は頷き、そして目を閉じる。
そして胸の前で手を組み、
「――大地の恵みに、我らがヴァルグレイブ様に感謝を」
数秒経過した後、目をゆっくりと開け、食事が始まった。
今のは日本で言う「いただきます」という挨拶のようなものである。
みんな、今こう思っただろう。
「いやヴァルグレイブだれ?」と!
俺も最初聞いたときは分からなかったんだが、このヴァルグレイブ様とかいう人物は――シレンティウム家、初代当主の名前らしい。
そのため食事の際は、動植物という恵み、そして初代であるヴァルグレイブへの感謝を伝える決まりとなっているのだ。しかしこの初代に関しては、一つだけ疑問に思う点がある。シレンティウム家には、歴代当主の肖像画が飾られているのだ。
しかし――初代当主のヴァルグレイブだけ、何故か肖像画が残されていない。
初代の肖像画とか一番大事じゃない?
残さない理由がないんだよな……これに関しては謎のままだ。エレノアに聞いてみたのだが、彼女もいまいちわかっていない様子だった。
「なら現当主に聞けばいいんじゃん?」と必然的になるのだが、そうもいかなくて……。
俺は現当主、つまり俺の父親とは、一度も顔を合わせたことがない。
いや、これは嘘になるか。 多分生まれた直後くらいは近くにいたんだと思う。
でも俺は父親の顔も知らないし、話したこともない。流石に名前は知ってるけどな。
ゼノ・ディ・シレンティウム
シレンティウム家現当主にして、現役バリバリの宮廷魔導士。
何故家にいないかと言うと、単純に宮廷での仕事が忙しく、帰る暇もなくなっているらしい。俺が生まれる前は、そんなことなかったみたいなんだけど……最近になって急に慌ただしくなったんだと。
だから我が家には、常に無人の場所が存在している。
父親の部屋と、ダイニングルームにある、一際豪華な当主専用の椅子。食事をしている間もずっと、あの空席が視界に映り込んでくる。父親には会ったことがない。顔も知らない。声も分からない。
なのに視界に捉えるたびに、どこか寂しげな空気になってしまう。
……少ししんみりとしてしまった。食事に集中しよう。
まずはスープを一口。
おっ、これはなかなか美味いな! 当たり前だけど。我が家の料理は相変わらず絶品である。前世の俺見てるか? ポテチを貪る生活から、こんな高級品を食べる人生になるんだぞお前。
と、その時。なにやらソワソワとしている人物が一人。
エマである。彼女はレイドの様子をチラチラと……否、ガン見していた。レイドが自分の手料理を口に運ぶ瞬間が見たいのだろう。
やがて兄貴がパクっと食べた瞬間、
「おぅっ」
ん? なにか聞こえたな。気のせいか?
聞き間違いであってほしい下品な声が聞こえてきたんだけど。
「……ん、このお肉。いつもよりも柔らかい気がするな。スープも、コクがあって飲みやすい。これまでの料理も絶品だけど、今日のは一際美味しい」
「ひぃ……!?」
兄貴の天然無自覚タラシ発動!
エマに測定不能のダメージ、一発ノックアウトである。
「これ、誰が調理してくれたの?」
「……は……ひゃい……っ」
「おぉ、エマか。エマは料理がとても得意なんだね。美味しいよ、ありがとう」
「あ……あぁ……っ! ちょ、ちょっとそれ以上は耐えられない……アリガトゴザマス……っ」
彼女は赤くなった顔を手で覆い、完全に固まってしまった。
レイドはその様子を不思議そうに見ている。
「?」じゃないよ。お前の仕業だよそれ!
「あらあら、赤くなっちゃって。でも本当に美味しいわエマちゃん。有望な子が来てくれたわねぇ」
「お、奥様まで……っ。勿体ないお言葉です……!」
彼女は急いで返事をし、勢いよく頭を下げた。
本当にせわしない子だなエマは。微笑ましいけど。
……今日の食卓はいつもよりも賑やかな気がするな。
普段は物静か、というわけではないが、エマが加わり一層雰囲気が明るくなったような。エレノアも、レイドも。私語はないが、シオン先生も。そして周囲の使用人たちも、心から楽しそうな笑みを浮かべている。
いいことだ。こんなに明るく食卓を囲めるなんて、どんなに幸せなことか。
ただ何故か。俺はずっと――
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夜。窓からは日差しの代わりに、月明かりが入りこんでいる。
あの後俺達は夕食を済まし、それぞれの部屋へと戻った。そしてお風呂を済ませ、今は自室で、エマに髪を梳いてもらっている。
「いやはや、最初お会いしたときから思っていましたが。本当に綺麗な髪ですねぇこれ……白銀髪美少女コース確定じゃないですか。将来は大変なことになりますよ」
「大変なことって?」
「毎日、数百人の人々に言い寄られます」
「あはは。それはたしかに大変だし、勘弁だなぁ」
あまり七歳とする会話じゃない気もするが、まぁいい。
室内には、穏やかで心地よい空気が流れていた。今日が初対面だが、緊張感はどこにもない。
だがしばらくすると、エマは手を動かしたまま、ポツリと呟いた。
「……アストラ様、やっぱり私、この家に来れて良かったですよ。最初はどうなるかと思いましたが……」
「ふふっ。憧れのレイド兄様と、仲良くなれたからですか?」
「なぁ――っ!?」
エマはビクぅっと体を跳ねさせ、目をあっちこっちに泳がせた。驚くほど分かりやすいなこの人。
「あっ、憧れだなんて、そういうことは一切ですね……!」
「大丈夫ですよ。レイド兄様本人にはもちろん、他のみんなにも内緒にしますから。ですから、私の前でくらい、正直に喋っちゃってください」
「……ほ、本当に七歳なんですよね……? 尊敬と恐怖が同時に来ているんですが……」
エマはわざとらしく身震いし、息をついた。
俺に隠し事は無理だと判断したらしい。彼女はなかなかわかりやすい性格をしているし、きっと俺以外にも、彼女の想いを察している人はいそうである。
「いやいやっ、私の不純なお話を、アストラ様に聞かせるわけにはいきません! ……そ、その代わりと言ってはなんですが、私の生まれについてのお話をしてもよろしいでしょうか」
「もちろんです! 実は私も気になっていたことで」
「! それならちょうどよかったです!」
エマは嬉しそうに目を輝かせた。
「私はいわゆる、平民出身で。特に栄えてもいない、ごく普通の村で育って。家もそんな裕福なわけじゃなかったんですけど……その、いろいろな意味で私、恵まれてるなって、いつも思ってて」
「お父さんもお母さんも、すっごく優しいんです。普通、自分の娘が突然『メイドになりたい』なんて言ったら、困惑するじゃないですか。でも、なんの反対もなく、背中を押してくれて」
「近所の子供達には、すごくバカにされたんですけど。ご存じの通り、私はとんでもなくポンコツなので……当然のことだけど、悔しいし悲しかった。でも、そんなときでも。両親だけはずっと味方でいてくれたんです。お前なら出来るって、バカにしてきた奴らを見返してやれって。すごい救われました。だから死に物狂いで、死んでも使用人になってやろうって、決意しました」
やがてエマの手は止まり、彼女は櫛を机に置いた。
「そしてこうして今日、シレンティウム家の門をくぐれた。不安だらけだったけど、みんな温かくて。私の出身関係なく受け入れてくれて。認めてもらえて……だから、本当に。心の底からここに来れて良かったって、自信を持って言えるんです。改めて、ありがとうございます、アストラ様。このエマ・ミルドレッド、全身全霊を尽くして、目一杯使用人やらせていただきます!」
彼女は俺の前へと出て、笑顔で胸を張ってみせた。
今朝のガチガチだったエマは、もうどこにもいない。
あんなにドジを踏んでいた人と同じとは思えないほどに、とても頼もしく感じられた。
「……こちらこそ、ありがとうございますエマさん。我が家に来てくれて。きっと長い付き合いになると思います。改めて、よろしくお願いしますね」
「任せてください! 火の中、海の中、天国地獄! 必要とあればどこへでも駆けつけますから!」
「自分の身体をいたわる程度に頑張ってくれると嬉しいかな!?」
部屋の中には笑い声が響く。
そして時間が経ち、エマは「おやすみなさい」と言い残して部屋を去っていった。
自室に一人、さっきまでの賑やかさが嘘のように静まり返る。
外を見ると、綺麗な月がよく見える。
異世界は月が二個存在したりするけど、ここは地球と同じく、一個みたいだ。
そんなことを考えながら、眺める。
「……両親、か」
頭に思い浮かんでくるのは、あのダイニングルームの空席、当主専用の座席だ。
転生当初は赤の他人だったみんなも、七年も経てば親しい存在となり、家族となる。
優しい母親に、妹想いの兄。
この輪に、父親だけがいない。
ちゃんと言葉を交わしたこともない、俺にとっては他人と言ってもいいかもしれない、そんな距離感。
それでも心の片隅に、ずっと寂しさが残っているのは、家族同士の繋がりというのがそれほど強いものだからなのか。
それとも、自分の《《前世》》と重ねているからなのか。
「いつか父親にも会いたいものだな」
父親はいつ帰ってくるのか。
もしかしたら、《《この日》》には家に来てくれるのか。
兄が、レイドが成長し、十八歳になり――
――本格的に宮廷魔導士への道へと進み始める日に、父親は彼を迎えに来てくれるのだろうか。




