10話『お呼び出し』
エマが新しく加わってからはや数日。
彼女はすっかり我が家に馴染み、愛されキャラの地位を確立しつつあった。この数日間で、彼女の《《特性》》についてわかったことがある。
基本、エマはドジだ。
手はよく滑り、足もよく滑る。振り向きざまに体の一部を強打することも珍しくはない。しかしレイドとの交流というバフがかかった途端、ドジは一切無くなる。彼女の使用人適性が一時的に限界突破するのだ。
おそるべしレイドパワー、彼女と屋敷の安全のためにも、エマにレイドは欠かせないな。できれば常に一緒にいてくれると助かる。
「それはそれで、エマが爆発しちゃいそうだけど」
「ん。アストラ様、今なにか言いました?」
後ろから顔を覗き込まれる。
声の主は、たった今話題に上がっていたエマだ。考えていたことが思わず口に出てしまっていたらしい。
というか、顔が近いな。
「あぁいや、なんでもないです」
「そうです? エマが爆発とか言ってたような気がしたんですが」
「めちゃめちゃハッキリ聞こえてた……」
はぐらかした意味ないくらいちゃんと聞こえてたっぽいな。まぁこの距離だし当たり前っちゃ当たり前である。
今何をしているかと言うと、俺はエマに髪を結んでもらっていた。
もちろん俺から頼んだわけではない。
エマが鼻息荒く「私にこの髪を完成させてください!」とわけのわからないことを言いながら、ヘアゴムを手にジリジリと詰め寄ってきたのだ。
現在、俺の髪の毛は好き放題されている。
「いやぁっ、これとんでもないことになりそうだな……」
と、エマは不穏な独り言をこぼしながらも、もうそろそろで完成しそうだ。
耳より上の髪が後ろで結ばれ、なんか横のほうがちょっとスッキリするこの髪型は……
「出来上がりました! アストラ様、ハーフアップスタイルです!」
鏡に映る俺は、また違った印象を受けた。
自分で言うのもなんだが、かなり可愛い。天使と言っても過言ではないだろうなぁ、うん。てかこの髪型、母親と同じじゃない? 今気づいたけど、多分エマ合わせてきたんだな。
俺の髪を結んだエマは、ここ最近で一番のドヤ顔で、鏡越しに俺と目を合わせてきた。ふんぞり返っている。
「どうです、どうですかアストラ様! 天使の顔立ちに加え、この圧倒的に完成された髪っ。『おやおや、シレンティウム家にこんな美しい姫君がいたなんて。今夜、私と踊りませんか? キラッ』と、その辺の貴族が迫ってくるレベル! すみませんアストラ様、もうこれ外歩けないですわ」
「うん、完全にふざけてるよな?」
「まさかぁ。へへへ、怒ってますかアストラ様? でも可愛すぎて逆にこっちが怒りたい気分です。いい加減にしてください本当に」
「いま多分世界一ひどい八つ当たりを食らった……」
全くとんでもない八つ当たりだ。
エマから謎にジト目を向けられていると、
コンコン
と、部屋の扉を軽く叩く音が聞こえてきた。
「アストラ様。いらっしゃいますでしょうか」
「はーい、今行きます」
椅子から降り、扉を開けると、そこには別の使用人さんが立っていた。
俺の後ろからエマも顔を出し、軽く会釈をしている。
「おはようございます、アストラ様。少し、お時間よろしいでしょうか」
「はい。どうしました?」
「――レイド様がお呼びです。自分の部屋に来てほしい、と」
「「えっ」」
俺とエマの声が見事にハモった。
なんだと。
レイドが俺を呼ぶなんて、随分珍しい……というか、もしかしたら一度もないかもしれない。
「れ、レイド様がアストラ様を……? そ、それってつまり」
「ん。エマさん、なにか知ってるの?」
「それってつまり――私が結んだ髪を、レイド様にも見てもらえるってことじゃあないですか! なんて熱い展開っ」
「マジでブレないなこの人!」
兄様が話題に上がるとすぐこうなるんだから……一途なのはいいことだが。
「とにかく、わかりました。すぐに向かいます」
「わ、私も同行いたします! あぁいえ、お部屋の中には入りませんが、せめてお部屋の前まででも!」
「……承知しました。それでは、私はこれで。失礼いたします」
そう言い、伝えに来てくれた使用人さんは、部屋から出ていった。
再びエマと二人きりに。だがエマの様子は、数分前とは明らかに変わっていた。彼女は鏡の前に立ち、必死の形相で髪を整えている。完全に好きな人に会いに行く前の乙女である。
なんども微調整をし、「よし」と小さく声を漏らした。
「準備万端です! では参りましょうかアストラ様!」
「う、うん。エマ、部屋には入らないんじゃなかったの? その割にはすごく身支度してるけど」
「万が一の事を考えて、ですよ。レイド様がお部屋から出てくる可能性もあるでしょう? そうなったときに恥ずかしくないよう、きっちり整えないとならないのです」
「なるほど……たしかにそういうものなのか」
「そういうものなのです」
胸を張って言い切るエマに、俺はそれ以上ツッコむのをやめた。
憧れの人に少しでも綺麗な自分を見せたいという乙女心は、前世の記憶を引っ張り出さずとも理解できる。必死に前髪を整えるその姿は、いかにも年相応の女の子らしくて、どこか微笑ましいものがあった。
まあ、当のレイドお兄ちゃんは、そんな乙女心に気づきもしない超絶朴念仁なわけだけど。
納得したフリをしつつ、俺達は扉を開け、廊下へと出た。
長い。相変わらずこの廊下も無駄に距離があるな。百メートル走でもしたくなってくるところだが、怒られるのでやめておこう。長い廊下を歩いていると、家の使用人たちが通り過ぎに挨拶をしてくる。これもシレンティウム家のいつもの光景だ。
廊下の壁には、歴代のシレンティウム当主たちの絵画が飾られている。どれも精巧に描かれた絵で、写真で撮ったものをそのまま飾ったようにしか見えない。
そしてやはり、初代当主のものだけが無い。
絵画の下の方に、名前と共に何代目の当主なのかが記されているのだが、存在しているのは、一番古くて二代目の絵画までである。
この絵画たち、実はどの向きから見ても、絵画の中の人物と目が合うように作られているらしい。廊下を歩きながら眺めているのだが、現に全員と目があっている状態である。
見られているような感覚が妙に落ち着かなく――
「今日はなにやら不吉な予感――っ」
冗談めかして言うが、内心かなりどんよりとしている。
何故なのかレイド兄様に呼び出されるし。絵画がいつにもまして不気味に見えるし。
エマはドジだし……これは相変わらずか。
「なにが不吉なんですか? アストラ様」
「いやさ、レイド兄様に呼ばれた時点で――」
と言いかけて、咄嗟に口を閉じた。
「やっぱり、なんでもないです。言ってみただけ」
「ふぅん……まぁアストラ様もそういうお年頃ですし」
「いやそんなんじゃないから! "意味ありげなことを意味もなく言うやつ"とかとは違うから!」
「ふふっ、恥ずかしがる必要はありませんよアストラ様! 女の子でも、カッコいい言動に興味を持つのは普通のことです!」
「慰めにもなってないし……」
嫌な誤解をされている。
俺を見るエマの瞳は、思春期の妹を優しく見守るそれだ。俺まだ七歳なんだけどな。思春期が訪れるには早すぎる気するぞ。
それよりも、いったい何の用件だろうか。
シオン先生に魔法を大絶賛された件か? それとも、あの『父親』に関わることか……? そんな少しの緊張を胸に抱きながら、俺は長い廊下を歩く。隣で「レイド様レイド様」と小刻みに震えながら、鼻息荒くついてくる新米メイドがいなければ、もっとシリアスな雰囲気を出せたんだけどなぁ。
まぁいっか。
****************
しばらく歩き、数分後。
俺達はついに、レイド兄様の部屋の前へとたどり着いた。目の前に立ちはだかるのは、これまた豪華な扉。見上げるだけで、なんか緊張してくるなこれ。
だが、おそらく俺よりもガチガチになっている人物が一人。
「ふぅ……ここがレイド様のお部屋……の前」
「大丈夫ですか? 手震えてるけれど……」
「だぃ、大丈夫です! お任せください!」
エマは深呼吸し、震える手で扉を二回ノックした。
「失礼いたします、レイド様。アストラ様を連れて参りました」
緊張の面持ちで待機するエマ。と、俺。
しばらくすると、中からわずかに物音が聞こえた。それはこちらへ近づいてくる。
そして、
ガチャリ
扉が開かれる。
部屋の中を照らしていた、窓から差し掛かる陽の光に、俺は思わず目を細めた。
そんな妹の姿を見た男は――
「――うん、よく来たね。アストラ」
相変わらずの美貌美声とともに現れた。
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「エマも、お疲れ様。わざわざアストラを送ってくれてありがとうね」
「いえっ、当然のことをしたまででございますっ! ありがたきお言葉幸せ!」
「最後、本音がチラ見してました」
「気のせいですねぇそれは! えぇ気のせいです」
さっきまでのド緊張が嘘みたいに消え去りやがった。
これもレイドパワーの効果なのか?楽しそうなエマだったが、本来の目的を思い出したのか「では、これで失礼します!」と礼をし、廊下の奥へと消えていった。
取り残された俺は、自然とレイドの部屋に入ることになる。
部屋の中には、大量に本が敷き詰められている本棚、机、そしてふかふかのソファが置かれている。
観葉植物なんかもあって、おしゃれな部屋の見本のような場所だ。俺はソファに座らされ、レイドと向き合うような形になっていた。陽の光に照らされ、レイドの髪はプラチナブロンド色に光り輝いている。
この男には自然までも味方するのか。様になりすぎているな。
「急に呼び出してしまってすまないね、アストラ。迷惑じゃなかったかな」
「いえ、そんなことはありません兄様。兄様に呼ばれて迷惑なんて思う人なんて、どこにいるんです?」
「ふふっ、君にそう言ってもらえるなんて。兄として嬉しい限りだ」
レイドは目を細めて、心の底から嬉しそうな表情を見せた。
これが少女漫画なら、やつの背後には今頃薔薇の背景が映し出されているところだろう。
「そういえば。今朝の朝食のパン、なんだかいつもよりも美味しかったような気がしないかい? 気のせいかもだけど」
「あぁ……もしかしたらエマの試作品とかかもしれません。最近パン作りにも挑戦していると話を聞いたので」
「道理で。エマは意外と料理上手だからね。彼女が作っているというのなら、納得できるよ」
お、ここでエマに高評価が。後で教えてやろう。彼女のことだ、飛び跳ねてまたなにかやらかす可能性も全然あるけど、まぁいいか。
一応「意外と」の部分は省いたほうがいいだろう。
「それ、今度本人にも伝えてあげてくださいよ兄様。きっと大喜びしますから」
「あははっ、そうだね。たしかに面と向かってちゃんと話したこともなかったかもしれないし。うん、伝えておくよ」
「はい――それで、レイド兄様」
他愛のない話の中、俺が本題に入るような口調で呼びかけると、レイドは間が空いたあと、静かに頷いた。
「アストラを呼び出した理由についてだろう?」
「はい。その、これまでレイド兄様に呼び出されることはなかったので……母様には一度ありますが」
「あぁ、そういえば。その時は何で怒られたんだっけ?」
「言いませんし、言わせないでくださいっ」
レイドは口元を隠すように笑った。もしかしたら、俺が緊張しないように場を和ませてくれているのかもしれない。
やはりこの男は優男だ。これにファンクラブができないほうがおかしい。
兄様は「ごめんごめん」と軽く謝罪したあと、向かいに座っていたソファから立ち上がり、窓の方へと歩き出した。
「……アストラ。急に何の話だと思うかもしれないけれど、宮廷魔導士になるための条件、わかるかい?」
「は、はい。宮廷魔導士の資格取得には満十八歳以上である必要があると、前に教えてもらいました。そして試験に合格して……という流れだと」
「そう、その通り。……というのもさ、僕は今年で十六歳だろう? つまり、二年も経てば十八歳になり、宮廷魔導士になる資格を与えられる歳になる。僕は十八歳になったら……すぐ宮廷魔導士への道を歩むことが、既に決まっている状態なんだ。そうなれば、僕はこの家から出ていくことになる」
会話はスムーズに進められていく。
が、話をするレイドの声には、さっきまではなかった、どこか寂しそうな声色が混じっていた。
顔は窓に向けられていて、その表情はハッキリ見えないものの、いつものような爽やかな顔ではなくなっているだろう。
「僕が家からいなくなれば、ここに残るのは母上とアストラ、そして使用人たちだけになる。……父様はほとんど家に帰らないから、実質家にいないようなものだろう?」
「……そう、ですね」
おっと、ここで父親の話題が出てきたか。
まさかとは思ったが、やはり何かしら父親に関係する話なのか?
「……ふふっ、それでさ。ごめんね、少し面白くなって、笑ってしまったよ」
「え。何か面白いようなことありましたか?」
「あぁ。これ、アストラには言ってなかったことなんだけどさ」
レイドがこちらを振り返った。
その顔は、どこか照れたような、複雑な笑みが浮かんでいた。
「僕には実は、ある二つ名があるんだ」
「二つ名?」
「うん」
兄様の言う、二つ名。
それは――
「――僕、王都では『最終兵器』なんて呼ばれ方をしていてね」
シンプルにして、俺に衝撃を与えるには十分すぎるものであった!




