20話『未来へと想いを込めて』
あの後、無事リヴィアを保護施設へと預けた俺達は、我が家であるシレンティウム家に帰還した。
護衛の騎士であるラックは、最後まで騎士らしい態度で、でもどこかほんの少し親しくなったような雰囲気で、俺達を送り届けてくれた。俺とエマは改めて彼に感謝を伝え、門の前で別れを告げた。
そして現在。
「ふぅ、無事王都へのお出かけが終了しました! レイド様への贈り物を手に入れ、更には迷える獣人の子も救う! 今回の任務は、大成功と言ってもいいでしょうねぇ」
「任務ってまた大袈裟な言い方を……」
屋敷の長い廊下を歩きながら、エマは胸を張ってドヤ顔を決めている。まぁ、途中で迷子になりかけたし、俺のステルス魔法(暗殺未遂)という裏の努力もあったわけだが、結果良ければすべて良しだ。
ちなみにエマは結局、腕輪以外にも物を購入していた。主に食器やらを……大事そうに、両手で持っている。ギフト袋みたいなものに入れて、だ。
「そういえば、この贈り物っていつ渡しますか?」
「はい、悩んでいたのですが……今日中に、お渡ししてしまおうかなと。本当は、宮廷へと向かわれる日に、と考えていましたが、その」
「?」
「当日ですと、色々感極まってそれどころではなくなってしまいそうなので。あはは……」
「そっか。それはたしかにそうかも。ふふっ」
「なので、このあと爆速で刺繍を完成させてですね。それと……お手紙も、書きたいので。奥様へのご報告が終わったら、しばらく部屋にこもります」
「うん、わかりました。じゃあ早いところ、母様のもとへ行ってしまいましょう」
やがて廊下の最奥、一際豪華な扉が見えてきた。母、エレノアの私室である。
扉の前にたどり着くと、エマが一定のリズムで扉を叩き、中にいるであろうエレノアへ声をかけた。
「失礼いたします、奥様。王都からの帰還の報告に参りました」
「えぇ、どうぞ。入ってきて」
扉の向こうから、聖母のように優しく、穏やかな声が響く。
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「お帰りなさい。アストラ、エマ。王都へのお出かけはどうだった?」
本を膝元に置くエレノアの正面に、俺とエマは並んで立っていた。そういえば、母親の部屋に来るのは久しぶりのことかもしれない。
エレノアの問いかけに答えたのは、まずドジ娘エマである。
「はい! 道中も特に何の問題もなく、王都マギストリアへ到着。そして目的のお店である『妖精の隠れ家』へ向かう途中で――」
と、ここで突然声が途切れた。チラッと横を見れば、エマは――チンピラ二名が謎の『天罰』で倒れ、獣人の子供を助けたことについて報告すべきか迷い、絶妙に唇を曲げて言い淀んでいた。
獣人に関わったと言うと、貴族である母様から怒られるかもしれない……と、彼女なりに気を遣っているのだろう。
そんなエマの様子を見て、エレノアはふふっと優しく微笑んだ。
「あら、どうしたのエマ? もしかして、道中で『ならず者』にでも遭遇したのかしら」
「ふぇっ!?」
図星を突かれ、エマが肩をビクンと揺らす。
エレノアはそのまま、聖母のような慈愛の笑みを深めた。
「ごめんなさいね。うちのアストラのことだから、絡んできた賊を『広範囲殲滅魔法』か何かで、王都の区画ごと塵一つ残さず消滅させちゃったのかしら? だから、あなた報告しづらかったのね」
こいつは何を言っているんだ。
「い、いやいやいや母様! なにを言ってるんですか!? 私そんな物騒な魔法なんて使えませんし、使えたとしても撃ちませんし! えっと、その『ならず者』に遭遇したというのは、母様の言う通りです」
「ですが、アストラ様は何もしていません! ただ裏路地で獣人の子をいじめていたならず者たちが、急にバタッと白目を剥いて倒れたんです! きっと神様の『天罰』が下ったんだと思います!」
そこまで一気に言うと、エマは顔を青ざめ口を手でおさえた。うん、言ったな。獣人と会ったこと、めちゃめちゃ普通に言ったな。まぁ仕方がないか。勢いで言ってしまうのも無理はない。
俺が冷や汗を流しながら母様の顔色を窺うと、エレノアは怒るどころか、聖母のような笑みをさらに深めて紅茶を一口すすった。
「あら、そうなの。裏路地で虐げられていた獣人の子を、二人で協力して助けてあげたのね。お母様、アストラがそんな優しい子に育ってくれて本当に嬉しいわ」
「あ、ありがとうございます、母様……(怒られなかった、よかった……!)」
俺が胸を撫で下ろした、その直後。
「でも……神様の『天罰』ですか。不思議なこともあるものねぇ。……ふふっ、本当に神様がやったのかしら?」
エレノアの、どこまでも澄んだ、すべてを見透かすような瞳が、じっと俺を見つめた。一瞬、背筋に冷たいものが走る。
「まあ、どちらにせよ。その『天罰』程度で同時に白目を剥いて気絶してしまうなんて、そのならず者たちも、あまりに基礎魔力と防壁が惰弱すぎますわね。そんな弱い人間が王都マギストリアにのうのうと暮らしているなんて、警備隊の怠慢かしら。お母様、少し悲しくなってきちゃったわ」
悲しくなるポイントが狂っている。
目の前の母は、どこまでも優しく微笑んでいるが。漏れ出る魔力の圧と、言っている内容の過激さは、やはりこの『魔力至上主義』の一家の母親そのものであった。
「それじゃあ、エマ。そのならず者たちの『事後処理』は、ラックが警備隊に引き渡したということでいいのね?」
「は、はいぃっ! ラックさんが立派に処理してくださいました!」
「そう、それなら良かったわ。報告はこれくらいで結構よ。レイドに早くプレゼントしたいって、エマの顔にそう書いてあるもの」
「えぇっ! そ、そんなことは……!」
図星である。
「ふふっ、隠す必要はないわよ。レイドのためにわざわざ王都まで行って、贈り物を買ったなんて聞いたら、あの子きっと泣いちゃうわ。意外と涙もろい子だもの。そして、沢山喜んでくれる」
エレノアの声は更に優しさを帯びる。エマはハッとしたように、エレノアの目を改めて見つめた。
「ありがとう。エマ、アストラ。本当に優しい、自慢の『家族』ね」
『家族』――。
その不意に届けられた、これ以上ないほどの称号に、エマは一瞬言葉を失い、
「――光栄です、奥様」
どこまでも嬉しそうな、誇り高い笑顔でそう答えた。
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雲一つない、星空のよく見える夜。どこか神秘的な時間帯に、シレンティウム家には謎の緊張感が漂っていた。
否、緊張でガチガチになっているのは、今俺の隣りに立っている彼女である。
「どっ、どどどどどうしましょうアストラ様。え、ここってレイド様のお部屋の前ですか? 本当にですか? これ現実ですか?」
「頼むから落ち着いてくんなまし」
これは重症だ。普段のポンコツ具合が更に磨きがかっている気がするな。エマの言った通り、俺達はレイドの部屋の正面まで来ている。そう、あの例の贈り物を届けに来たのだ。
エレノアへの報告を終えたあと、エマは自室にこもった。無論、腕輪につける用の刺繍作業のためである。
彼女は宣言通り作業を爆速で進ませ、なんと半日もかからずに完成させたのだ。見れば、エマの手元には木箱がある。この木箱の中に、レイドへの贈り物が入っている。
完成形を見せてもらったときは驚いた。
王都の雑貨屋『妖精の隠れ家』にて購入した腕輪。そこに結びつけられた純白のリボンには、シレンティウム家の紋章と、美しい白銀の流星が、寸分の狂いもない精緻なステッチで縫い込まれていたのだ。
こいつ、普段は何もない平坦な床で転ぶくせに……針の運びだけはズレ一つない正確なものだった。愛の力ってすごい。
そんな神業の賜物が入った木箱を抱え、エマは今、深呼吸を繰り返してはむせている。
「エマ、大丈夫。すごく綺麗にできたんだから、絶対に喜んでくれるよ。私が保証する」
「あ、アストラ様ぁ……っ」
俺が励ますように背中をポンと叩くと、エマは涙目でコクコクと頷いた。
よし、覚悟は決まったようだな。
俺は息を一つ吐き、レイドの部屋の重厚な扉をノックした。
「レイド兄様、少しよろしいですか? 私とエマです」
数秒も経たないうちに、扉の奥から物音が聞こえてきた。そして、
「――おや、こんな夜遅くに、可愛い妹とエマが揃ってどうしたんだい?」
夜着の上に薄手のガウンを羽織っただけの、リラックスした姿。それでも隠しきれない圧倒的な美貌と、少しだけ漏れ出ている致死量の魔力。
俺たちの自慢の家族であり、『歩く最終兵器』であるレイド兄様が、どこまでも甘く優しい声で微笑みかけてきたのだった。
「あ、ぅ……れ、レイド様。えぇっとぉ……っ」
レイドの部屋の中に、蚊の鳴いたような声が響いた。室内は静寂に満ちているため、どれだけ小さな声でも目立つ。
エマの顔はかつてないほど赤く染まっているわけだが、これはフォローをいれるべきか? 俺としては、エマの手からレイドに贈り物を渡したいところではあるのだ。王都への買い物も、というかそもそも『レイドに贈り物をあげたい!』と彼女が真っ先に提案してきたことが始まりだし。
「エマ、大丈夫? 顔がとんでもなく赤いけれど、体調に問題はない?」
「だっ、だ大丈夫ですっ! これはそのっ、血液が体中を走り回っているという、いわば健康の証とでも言いますか……!」
という言葉を最後に、エマの顔はさらに赤みを増した。自分の意味不明な発言に、自分でくらっているのだろう。自滅である。
「そうか、健康の証か。それはいいことだよエマ」
「真剣に受け止めないで兄様。エマのこれは、ただの緊張だから」
「うぐぅっ」
「緊張? エマ、なにをそんなに――」
途中でレイドの言葉が途切れた。ようやっと顔を上げたエマの表情を視認してからのことである。彼女の不安げな――そしてどこまでも真剣な瞳を受け止め、余計なセリフは吐くまいと謹んだらしかった。
未だ強く包まれている木箱を、彼女はそっと前へ差し出した。
「レイド、様……こちらを……」
「……エマ、これは一体――」
「レイド様は、もうすぐで宮廷へと行かれます。当主様と同じ、宮廷魔導士への道を歩み始める……大変喜ばしいことです。大変素晴らしいことです。私も、心からのお祝いを申し上げます――ですが」
彼女は唇を強く閉じ、そして意を決し開く。
「ですがこれは――半分本心で、半分は嘘になってしまいます。私、どうしてもその……寂しさを抑えられなくて」
エマの声は震えていた。だが、その瞳からはもう逃げるような弱さは消えていた。
彼女は震える手で、木箱の蓋をそっと開けた。
中に収められているのは、黒い『腕輪』と、白銀の流星が精緻に刺繍された純白のリボン。食器は別で渡す予定とのことで、入っていない。
「レイド様が宮廷に行かれても、遠くからでも、どうかご無事で、そして幸せであられますように……。私とアストラ様から、ささやかですが、お祝いと……お守りの品です」
レイドは、無言でその箱を見つめていた。
静寂が落ちる。エマが「やっぱり、こんなもの……」と顔を伏せようとした、その時だった。
ふわり、と。
部屋の中に満ちていた、レイド特有の重く鋭い魔力の圧が――まるで春の木漏れ日のような、信じられないほど優しく温かい波動へと変わったのだ。
青年の顔は依然端正なものだが、その目は大きく見開かれていた。長いまつ毛と瞳が揺れているのを確認できる。
青年はわずかに揺れる手で、その『木箱』を受け取った。そして、中に入っている『贈り物』を、再び見つめ始めた。
「……これを、僕に?」
「は、はい…っ。腕輪はアストラ様が選んでくださり、刺繍は私の手で……」
「この腕輪は、魔力を抑える効果が付与されているね。僕の力を心配して、選んでくれたのかい?」
「兄様の魔力は、兄様が思っているよりずっと強大なものなんですから。端から見ていてもヒヤヒヤしてしまうので。半分は兄様のために、もう半分は私の安寧のためですよ」
「あははっ、アストラ様も言うようになったね。……そして、その腕輪にエマが刺繍をしてくれたんだ。こんなに美しい星を」
レイドは、これまで見たどんな笑顔よりも――それこそ、宮廷の女性たちが束になっても卒倒するような、完璧で優しい笑みを浮かべた。
その完璧な笑顔に、一筋の涙を添えて――
「ありがとう。アストラ、エマ。これは、僕の一生の宝物だ。大袈裟じゃないよ。……僕は宮廷で誰よりも立派になって、この腕輪とリボンを、ずっと大切に身につけるよ。君たちの想いは、間違いなく――僕の『力』になる」
青年は目の前にいる二名の『家族』へと近づき、力強くも優しい、白く透き通る手を――『家族』の頭へと、ポンと乗せた。
「僕は世界一の幸せものだ。君たちがいてくれて、よかった」
頭を撫でられたエマの口から、空気の抜けるような声が漏れる。
推しからの涙の感謝。そして、念願だった『頭ポンポン』。限界オタクのキャパシティをとうの昔に超えたエマの顔は、茹でダコのように真っ赤になり、今にもプシューと頭から湯気を出して倒れそうだった。
俺は慌てて、彼女の背中に極小の風魔法(支柱)を展開して、気絶して倒れ込むのを防ぐ。
(まったく……本当に世話の焼けるメイドだよ)
俺は心の中でため息をつきながらも、レイド兄様の温かい手のひらの感触に、少しだけ目を細めた。
この『歩く最終兵器』がいなくなるのは、屋敷の平和(と俺の命の安全)のためには喜ばしいことのはずなのに。
どうしてだろう。俺の胸の奥にも、エマと同じような……ほんの少しの『寂しさ』が、静かに広がっている気がした。




