1話『さらばわが息子よ、永遠に!』
何も見えない、何も感じない……おそらく盛大に跳ね飛ばされたはずなのだが、痛いの『い』の字もないな。
ひとまず、俺は死んでしまったのだろう。まぁあれで生き残ってたら、それはそれで怖い。人間を軽く卒業することになるからな。
となると、ここは死後の世界というやつだろうか。
死後の世界には興味あったし、『死んだら本当に天国とか地獄に行くのかな?』なんて、知り合いと定期的に話してたときもあったっけ。懐かしいなぁ、若い頃は考えるだけキリがないことを、バカみたいに考察していたものだ。うん、すごく懐かしい。
なんて呑気に言ってる場合じゃあない気がするのだよ、俺。
いや、実際この状況ってまぁまぁ怖いよ?
よく考えてみろ。俺、死んでるんだぜ。
死んだうえで、何も感じない『無』の状態なんだ。自分がどうなっているのかも、どこに行くのかも、もしくはどこにも行けないのかも、何もわからないのだよ。
もしかして、宇宙の塵となって永遠に漂い続けるとかそういうやつ?
いやいや、頼むよ神様。三十五年間、真面目に(たまにサボりつつ)生きてきたサラリーマンに、そんな無慈悲な仕打ちはないでしょうに。
そうだ、こういうときはお決まりのパターンがあるじゃろう。ほら、『天使』とか、もしくは『女神様』が迎えに来て。
よく頑張りましたね、護――。
なんて、母性溢れる声で優しく言われたらどうしよう!
女神様の前で、あまり情けない表情は見せたくないのだが、きっとだらしなく満面の笑みになってしまうことだろう。美女に耐性のない俺には、格好つけるのさえ困難なのだ。
さぁ、来い女神様! 俺の心(主に下心)の準備は万端だぞ!
…………。
……あれ?
待てど暮らせど、光は射さない。女神様の気配もない。
その代わり、なんだか少しずつ……指先? のようなところに、モゾモゾとした『感覚』が戻ってきた気がする。
ん? なんだこれ。
俺の体、あるのか?
目を開けようにもまだ開かないけれど、どうやらフワフワとした温かい布のようなものに包まれている感触がある。
あ、やばい。
感覚が戻ってきたからか、無性にトイレに行きたくなってきた。
死んだ後も排泄欲求ってあるの!? 人体の神秘(死後)スゲェ!
とりあえず緊急事態なので、俺は自身の股間付近、いわゆる『わが息子』のポジションを確認しようと、モゾモゾと手を動かした。
そしてそこで、俺はとんでもない事実に気がついてしまった。
あれ、無くね?
何が無いのかと聞かれると、答えは一つしかないのだが。
男性諸君ならば、生涯をともにする息子の存在と言えば分かるだろう? そう、生きている限り、ほとんどの人が手放さないであろう、大切な大切な『わが息子』である。
その定位置を、ペタペタと触ってみる。
やっぱ、無くね?
ツルツルなんだけど!?
そ、そんなわけないだろ! それともなんだ、俺の息子は親を見捨てるような、親不孝者だとでも言うのか? あんまり俺をバカにするんじゃあない! 大丈夫だよな? 今はちょっと難しい時期ってだけで、すぐに戻ってくるよな?
なんてことだ、シャレにならないことがこうも連続して起こるとは。とにかく、今俺がいる場所だけでも把握したい。息子のことはすんごく気になるけど。気になって夜も眠れなくなるけど。
と、そのとき。
ふわっと、頭を撫でられたような感触を覚えた。
一度ではおさまらず、何度も何度も撫でられる。
ほどよい速さで心地が良い。
なんて言ってる場合じゃねぇよ! なんだ、なんだこれ? 俺誰に撫でられてんの!?
頭を撫でられるなんていつぶりだ?
少なくとも、小6以降は撫でられていない気がする。
じゃなくて。
なんか、手デカくない? 俺の頭に対して大きすぎる気がする件について。簡単に握りつぶされそうだぞこれ。相手がゴリラだった場合、この冗談は笑えない現実へと変わるぞ。
いや、ゴリラなんかじゃないな。細くしなやかな指だ。俺の髪を梳くように……。
ん? あれ? 俺髪の毛無くない?
めちゃめちゃツルツルなんじゃない?
俺は頭皮であろう部分に意識を向ける。
あ、少し生えてた。気持ち程度に。少なすぎてナイと錯覚してしまったようだ。
うん、尚更どういう状況なのか分からなくなったな。
というか温かい、かもしれない。感覚が段々と戻ってきているな。相変わらず息子は行方不明だが……。
何か、布にスッポリと包まれているような感覚だ。よく赤ん坊とかが、布に巻かれてミノムシみたいな状態にされるアレである。
布に包まるのがなんやかんやで一番熱を獲得できる気がする。
うん、温かい。
あたたかい。
あたたかい?
いや待て、なんか熱い!
ズゥゥゥンっ
と重い熱がのしかかってくるような感覚。
腹のあたり、これは丹田か?
とにかくへそ付近だ。
激アツホッカイロでも貼られてるのか?
それぐらいの熱に襲われている。我慢できなくもないが、できれば早く解放されたいところである。
今はとにかく、この熱をなんとかしないと――
「――あら、目が覚めたのねアストラ」
へ?
突然のことだった。熱を散らすように、丹田から全身へとなんとなく熱を流してみた――その瞬間、なんと視覚聴覚が戻ったのだ。まるで霧が晴れたように。
見える! 声が聞こえる! 声は頭上から聞こえてきた。
あれ? 女神様?
そう思ってしまうほどの美貌がそこにはあった。
長い髪をハーフアップにまとめた一人の女性。彼女は優しく微笑みながら、頭を撫でていた。まずいな、思ってたよりもずっと素晴らしいシチュエーションだったなんて。
しばらく彼女の姿に見惚れていたが、俺は段々と周囲の状況も気になり始めた。 眼球を必死に動かして情報収集をこころみる。
まず窓が見えた。デカい。次に天井の照明。デカい、無駄に装飾が多い。というかそもそも天井がありえん高いな。
なんだここ、俺なんでこんな場所にいるんだ? よく見れば、女神のような女性の服装も豪華である。これはドレスだろうか。まるで貴族の令嬢みたいな服装だ。
「いい子いい子、この子はあまり泣いたりしないわねぇ」
いい年して泣きわめくのも格好悪いだろ、とっくに三十路は超えてるんだぞ?
だよな、俺三十五歳のはずだよな? じゃあなんで《《赤ん坊》》みたいに接せられてんの? 尊厳も何もかもが消え去ったぞ。これが赤ちゃんプレイというやつか。
というかさっき、俺のこと『アストラ』って呼んでなかったか? どこかで聞いたような気がする。
思い出した、死ぬ直前に聞いたんだ。
拍手の音が聞こえて、『アストラ・ディ・シレンティウム』とか言ってたよな。おぉ、俺意外と記憶力いい!
じゃなくて、これ俺の名前ってこと? いやいやお嬢さん、俺はそんなシャレた名前じゃないですよ。
今野護、名前の由来は『人を護れるくらい強く育つように』という願いを込めてつけられたらしい。
なるほど、たしかに俺は護れたものがある。
童貞と言う選ばれし者の称号を!
違うか、選ばれなかったからこその童貞なのか。
「流石は、《《宮廷魔導士の子》》と言ったところかしら」
そうつぶやきながら、彼女は俺のほっぺを撫でてきた。
あー、ふむふむ。なるほど? なんてことだ、俺の中で『とんでも推測』が浮かんできてしまっている。一旦情報を整理してみよう。
まず電車に轢かれる直前、何が聞こえてたっけな。
拍手が聞こえたな。かなりうるさかった記憶がある。
そして、
――『新たな希望が、我が家へと誕生した』
――『この子は未来を照らす、《《白銀の星》》へとなるだろう』
――『それにちなみ、名をアストラ・ディ・シレンティウムとする』
よし、ちゃんと覚えている!
そして今この女性は、俺を『宮廷魔導士の子』と言った。
俺の推測だと、まず拍手は俺の誕生を祝うためのもの。
そしてそれに続く言葉は、祝福の言葉みたいなものか?
そして最後に名付けられた名前……。
もう一度言うがこれは推測だ。俺の、とんでも理論だと思って聞いて欲しい。
つまり俺は……
『宮廷魔導士の家系』に、生まれ変わったらしい。……『娘』として。




