13話『ギャップ萌え』
『シレンティウム大演習場』。
そこは先程まで激しい訓練が行われていたのが嘘のように、静まり返っていた。
だが大演習場に残された痕跡――主にレイドによってつけられた壁や床の亀裂が、訓練が行われていたことを連想させる。
その場にいるのは合計で四名。うち二名はまさに訓練を行っていたアストラとレイド。
そして三人目はというと……。
「う、うぅ……あれぇ、なんで私いつの間に転んでぇ……っ」
なにやら大演習場の床から声が聞こえてくる。
瞬き一回分、ほんの一瞬の出来事だ。
満開の笑顔で駆け寄ってきたかと思えば、1フレーム後には既にすっ転んでいた。現在進行系で床とお友達になっている少女――ドジ娘エマである。
何も無いところで転ぶ…ドジ三拍子の一つを披露してくれたわけだが、これも見慣れた光景だ。
だが、問題はエマの後ろから歩いてきた『四人目』である。
コツ、コツ、コツ。
乱れのない規則正しいヒールの音が、静まり返った演習場に響く。現れたのは、黒を基調としたタイトな衣服に身を包んだ、氷のように冷たく理知的な瞳を持つ美女。
シオン・グラシアニマ。
シレンティウム兄弟に魔法の基礎や歴史を教えてくれている、シレンティウム家の専属教師だ。
「レイド様、アストラ様。おはようございます。まさかここにいたとは。エマさんのお陰で、ようやっと見つけることができました」
口から放たれる声もやはりイメージ通り、感情の読めない淡々としたものだ。
口調こそ丁寧だが、その丁寧さがより一層、冷たさを強調している。静かで、絶対に逆らえないと悟らされる。
「お、おはようございますシオン先生」
「先生、おはようございます。申し訳ない、僕達を探させてしまったようで――」
「――謝罪は結構ですので。とりあえず、エマさんに手を貸してあげてください。制服が汚れてしまいます」
二言目の謝罪の言葉を遮られたレイドは、もはや促された通りに動くしかなかった。あの『最終兵器』が、である。
ほんの少し動いた口元を隠すようにかがみ込み、白い手を地面のドジ娘へと差し出す。
床でグズグズとしていたエマは、突然視界に映り込んだ手に、きょとんとしたような表情を浮かべる。
そしてようやく頭を上げれば、
「ふへ?」
素っ頓狂な声とともに、「きれいな手」の持ち主を認識した。エマの顔色はみるみるうちに赤くなり、額から首にかけてまで広がっていく。
推しに至近距離で手を差し伸べられたのだ、おそらく今、彼女の脳内はキャパオーバーを起こしていることだろう。
「大丈夫? 怪我はないかい? ほら、僕の手を取って、エマ」
「はっ、はいぃっ!! ありがとうございます…っ!」
エマに手をかなり強めにガシッと握られるが、レイドは顔色一つ変えず、彼女を優しく引き上げた。
頬を赤らめる少女に、微笑みかける美しい青年。完全にロマンス映画のワンシーンである。
しかしそんな熱々(?)な空気が流れているのは二人の間だけの話であり、残された者たちは完全に冷え切っていた。
「…さて、レイド様。挨拶も程々にして、なにか説明をいただけないでしょうか」
「説明、か。それはもしかしなくても、この惨状について――」
「そうですね、それもお願いしたいところです。もう一つは……レイド様の言い分を聞いてからにしましょうか」
相変わらずの氷を纏った声色は、一周通り越して感心する部分がある。何度目の説明か覚えていないが、このレイドとかいう男はモテまくるのだ。年齢も性別も関係ない。 『男も惚れる男』というのは、レイドのような人物を指すのだろう。
彼を前にしたものは、少なくとも何かしらの反応を見せる。思わず目をそらすか、指を落ち着きなく動かすか。
だがシオン先生は眉一つ動かさない。精巧に作られた石像と言われれば、数人は信じてしまいそうになるレベルである。
しばらく沈黙が走り、やがて観念したようにレイドは口を開いた。
「見ての通り、僕とアストラの二人で訓練を行っていたんだ。この…魔鋼人形を使ってね。訓練の内容は基本的なもので、アストラに魔鋼人形を無力化させる形式で行った」
「えぇ、そうですか。アストラ様に、規定年齢に達していない魔鋼人形を相手取らせたのですね?」
シオンの氷の視線が、レイドからすっと外れ、大破した魔鋼人形の『傷口』へと向けられる。
そして、その冷徹な瞳が、傷口の断面をなぞるように動いた瞬間。
――ピクッ、と。
彼女の整った眉が、わずかに、本当にわずかに痙攣したように見えた。
「そ、そういうことになるね……うん」
「わかりました、続けてください。まだ言わなくてはならないことが残っているでしょう?」
シオンの声は相変わらず冷たかったが、なぜか先ほどよりも、少しだけ息が浅くなっているような気がした。
構図は文字通り『先生と叱られている生徒』だ。その光景を、俺とエマが少し離れた場所から見守っていた。隣を見れば、エマは不安げに手を組みながら、レイドの姿を目に映している。
「あぁ、レイド様がお叱りを受けています……私、今すぐにでも間に入って中断させたい気分ですよ」
「やめたほうがいいですよエマ。シオン先生の矛先が、兄様からエマに移動するだけですから。あの目で見られたら怖いですよー、しかも至近距離で」
「ひぃ……っ! そ、それはとんでもなく恐ろしい光景です! うぅ、レイド様……どうか死なないで……」
「それは大袈裟っ」
そんなアホな会話を交わしている間にも、レイドたちの話も進んでいく。
「その、最初は普通の形式だったんだけど…二回目からは、二対一という構図になって」
「つまり、アストラ様VSレイド様・魔鋼人形で訓練を開始したと」
シオンの声が、不自然なほど低く、そして熱を帯び始めた。
彼女の視線が、魔鋼人形から、アストラの足元にある『ひび割れた床』へとゆっくりと移動する。
「――なるほど。それで、この……信じられないほど高密度で圧縮された魔力の残留痕は……すべてアストラ様が……?」
「し、シオン先生。それは多分、普通にレイド兄様のとんでもない魔力の残滓とかかと――」
「いや、シオン先生。その通り、これはアストラの放った攻撃魔法によるものだよ」
こいつ。
しかしその時である。俺が心のなかでレイドに文句を呟こうとしたその直前――
パタッ
と。
軽い、何かが倒れたような音が聞こえた。
なんだなんだと思っていると、いつの間にかシオン先生が視界から消えていた!
あれっ、どこいったんだよ!
キョロキョロと周囲を見渡し、やがて視線を下に向けると、
「あふぅっ」
「えぇ……」
地面に突っ伏し、安らかな顔で眠るシオン先生がいた。
「えっ!? し、シオン先生!? シオン先生ーっ! なんで、一体何が――」
「これは、いつものあれだね。アストラ」
「ですね、兄様」
「こ、これもしかしてまぁまぁ頻繁に起こってることなんですか!? 二人ともすごい冷静!」
シオン先生は定期的に、このように尊死することがある。
レイドや俺の魔法を見て、なにか彼女のフェチに刺さるようなことが起こった場合、一定の確率でこうなるのだ。
特に俺の魔法がお気に入りらしい。
なんか自分で言ってて恥ずかしくなってきたぞ。
「はっ!」
その時。
エマの声に反応したように、シオン先生が勢いよく目を開いた。
彼女は状況を判断したらしく、特に取り乱すような様子もない。
まぁこれが一回目じゃないしな。こうなるのが普通になっているため、もう慣れているらしい。
だが漂う空気はなんとも奇妙なもので、訓練とはまた違った緊張感が場を支配している。
俺の視線の先。黒のタイトスカートに身を包んだ、氷の美女ことシオン・グラシアニマ先生が。
――あろうことか、俺が爆発的な機動力を生むために蹴り砕いた『床のひび割れ』に四つん這いで這いつくばり、恍惚とした表情で頬ずりをしだしたのである。
さっきまでの「絶対に逆らえない冷徹な女教師」の威厳はどこへ行ったのか。
「見てくださいレイド様、エマさん。この床に残った魔力の軌跡を! ただの風魔法ではありませんよ、極限まで圧縮された風の断層が、まるで芸術的なミルフィーユのように幾重にも折り重なって――ハァッ、もうだめ、尊すぎます……ッ!」
「う、うぅ……アストラ様が凄いのはわかりますけど、シオン先生が怖いです……」
「だよねー! 僕も初めてアストラの魔法を見た時は鳥肌が立ったよ!」
よし、ちょっと待て。シオンの変態発言は放っておいて、エマの反応は至極当然なものだ。
自分よりも年上の女性が――しかも尊敬の念を抱いていた相手が、突然奇行に走り出したのだ。まともな人間なら皆同じ反応をする。
レイド、お前なんだ?
なんで普通に「わかるー!」みたいなテンションで共感してるんだよ。楽しくなっちゃってんじゃないのかこの兄様。
「ええ、ええ! レイド様の仰る通りです! この魔力の構成、もはや魔法というより一つの生命体……! あぁ、アストラ様。あなたのその小さな体のどこに、これほどの深淵が隠されているというのですか……ッ!」
「強いて言うなら夢と希望と三十路と魔力――じゃなくてっ!」
あろうことか俺も変なことを口走ってしまった。
まずい、この謎の空気に俺も飲み込まれつつある! 俺とエマだけでもなんとか常識人枠を保ち続けておかないと。
そうだな、とりあえず大演習場内を変な空気にした元凶――シオン先生をどうにかなだめないといけない。このまま暴走されると見てるだけで疲れてきちゃうしな。でもどうする?
彼女は完全に『魔法の残滓』に夢中状態である。
「まぁまぁ先生、そのへんにして落ち着いてくださいな」といったところで収まるとは到底思えないし…。
こうなれば最後、彼女の熱が収まるまで待つ他に手段はないのである。
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あれだけ騒がしかった時間も、日が落ちれば嘘のように静まる。窓を見れば既に月明かりが見える時間帯だ。耳をすませば、かすかに鳥や虫の鳴き声も聞こえてくる。シレンティウム家の息子、レイド・アン・シレンティウムの部屋の中は、それくらいの静けさがあった。
青年は外を眺めていた。遠くに見える、王都の光を。青年の齢は十六。『宮廷魔導士』へとなるには、『満十八歳以上』という条件がある。彼はあと二年の月日を過ごさなければ、その資格を得る事ができない。だがそうは言っても、
「二年なんて、あっという間だろうな」
ポツリと、青年は部屋の中にこぼした。二年というのは案外短く感じるものである。
人間歳を重ねるほど時間の流れも早く感じてくるものだ。しかしそれは『高齢』と呼ばれる年齢になってからの感覚なのだろうと思い込んでいたが、青年は十六にして、既にその感覚を覚え始めている。
十八になれば、自分はこの家から離れる。あの遠くで光る王都へと旅立っていくのだ。愛する弟や母、世話になった人たちとの別れを意味する。その事実に襲われるたびに、彼はどうしても湧き出てくる寂しさを誤魔化しきれない。
「――夜分遅くに失礼いたします、レイド様」
部屋の扉を叩く音に青年は振り向く。声の主は紛れもなく、
「どうぞ、シオン先生」
ゆっくりと扉が開かれると、そこには相変わらずの佇まいをした彼女が立っていた。シワ一つない服装に、きれいに流れた黒髪。これだけ『名門の専属教師』として相応しい姿をしているというのに、本性が『アレ』なのだから、不思議なものである。
彼女は一礼をし、部屋の中へと入っていく。その雰囲気はあの『魔法狂い』状態であった彼女とは全く異なる。レイドは彼女の様子を面白そうに見ていたが、それを察せられないように、ソファへと促した。
「こんな時間に訪れるなんて、珍しいですね先生」
「えぇ、本当に珍しいことです。もちろんレイド様にどうしても話しておきたいことがあったから来たのだけれど」
「シオン先生がなんの意味もなく来るなんて、まずないですからね」
二名は向き合うように座る。
「レイド様。これから私がお話することは、もしかしたら余計なお世話だと思われるかもしれません。ですがぜひ最後まで、お付き合いしていただきたい」
「そんなこと思いませんよ。シオン先生がそんな心配をするなんて、らしくもない」
「……それも、そうですね」
しばらく静寂が続いた。小さく息を吐き、彼女はレイドと目を合わせ直し、意を決したように口を開く。
「単刀直入にお聞きします。本日のあの訓練……あれはレイド様の宮廷行きと関係がある。そうですね?」
「……その通りだよ。まさかいきなりそこを突っ込まれるなんて、驚いてしまった」
「やはりそうでしたか。いえ、レイド様があのような……《《特別訓練》》と呼べばいいのでしょうか。自ら指導者となり、誰かを育てるようなことをしたがるお方とは、想像もしていなかったので」
「あははっ。たしかに僕は説明が苦手だからね。世の中の『先生』と呼ばれる人物たちの凄さを思い知らされる。もちろん、シオン先生も含まれているよ」
「身に余るお言葉です……さ、先程はその、お見苦しい姿を見せてしまい……っ」
わかりやすく彼女の頬は染まっていた。
後々自分の姿を思い返して、身も悶えるような思いをしてきたのだろう。たしかにあの場にいた中で最年長の彼女が見せていい姿ではなかった。
だが既に慣れているレイドにとっては、特段驚くことでもない。
「別にいいじゃないですか。自分の好きなことに夢中になれるって、幸せなことでしょう?」
「そう言っていただけると、救われます……。申し訳ありません、話が脱線してしまいました。……先程私に『らしくない』と言っていましたが、それはあなたも同じです、レイド様」
「僕も同じ?」
「はい。大演習場でのレイド様のお姿は、なんといいますか……どこか『焦り』が垣間見えるような、そんな印象を受けました」
「焦り、か。なるほど」
レイドは苦笑しながら、視線を再び窓の外――遠く瞬く王都の光へと向けた。
「隠すつもりもないよ。これはアストラにも話したことだし。……あと二年。たったの二年だ。僕はシレンティウム家から離れなきゃいけなくなる。ここに、母上と弟を残して」
「だから、僕がいなくなる前に、アストラを鍛え上げないといけない。彼が自分の身を、そして母上を守れるくらいに。僕の代わりになれるくらいに。……焦っているように見えたなら、きっとそれが理由だろうね。決して、シオン先生の授業では足りないとか、そんなことを言いたいわけではないんだ」
レイドの言葉は、家族への深い愛情と、それゆえの重圧に満ちていた。 『歩く最終兵器』と呼ばれる彼も、中身はまだ十六歳の、家族思いの青年に過ぎないのだ。
実際、青年が『歩く最終兵器』なんて呼ばれるようになったのは、彼の父親――シレンティウム家の当主が原因である。
その吐露を静かに聞いていたシオンは、やがてふっ、と。
先ほどの「変態的な狂熱」でも、「冷徹な教師」でもない。包み込むような、柔らかな微笑みを浮かべた。
「レイド様。あなたのその深い家族愛には敬意を表します。ですが――私から言わせていただければ、そんなに焦る必要はどこにもありませんよ」
「……どうして?」
「だって私、今日この目でハッキリと見て、確信してしまいましたから。……アストラ様が放ったあの『極限まで圧縮された火球』と、無駄を完全に削ぎ落とした『風の軌跡』を」
シオンの瞳に、再び強い光が宿る。だがそれは狂気ではなく、純粋な『才能への評価』だった。
「アストラ様は、間違いなく天才です。それも、レイド様のような『圧倒的な力』でねじ伏せるタイプではなく、相手の力を最小限の労力で無力化し、生存することに特化した……言うなれば『難攻不落の要塞』のような才能」
「……」
「あなたが二年間つきっきりで焦って詰め込まずとも、あの方はきっと、己の力で勝手に育ちます。……いえ、もしかすると、すでに私たちの想像の及ばない領域に、片足を踏み入れているのかもしれません」
シオンはクスリと笑い、レイドへ向き直った。
「ですからレイド様。あなたがアストラ様に対して今すべきことは、焦って『代わりの防波堤』を作るための過酷な訓練を強いることではありません。……兄として、あの方の底知れない才能を信じ、大らかに見守ってあげることではないでしょうか?」
シオンの静かで、それでいて確信に満ちた言葉。
レイドは少しの間、ぽかんとした顔でシオンを見つめ――やがて、憑き物が落ちたように爽やかに笑った。
「……ははっ。降参だよ、シオン先生には敵わないな。さすがは名門の専属教師だ」
「恐縮です。……まぁ、私もあのような『美しい魔法現象』を前にして、己の理性を保てる自信は全くありませんが」
「あはは、そうだね。アストラには苦労をかけるかもしれないな」
静かな夜の部屋で、二人の小さな笑い声が響く。
こうして、アストラへの『過酷な特別訓練』は、シオンの助言によって(アストラの知らないところで)少しだけ方針を変えることになった。
――そして、あの大演習場での出来事から。
早いもので、約『一年半』の月日が流れた。




