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奥の手

「聞いたぞ。例の百合の事件、調査してるんだって?」

 

 翌日の放課後。

 生徒会室に入ってきた篠崎は、机に突っ伏している詩翠に呼びかけてきた。


 今は他に誰もいない。一ノ瀬と小金井は選挙管理の打ち合わせ。白瀬は職員会議の書類を準備しており、それぞれ出払っていた。


「で、どうだ。順調か?」

「……そう見えます?」


 篠崎は詩翠をじっくり眺めて、遠慮なく吹き出した。


「見えないな。溶けかけのアイスみたいになってる」

「なら聞かないでくださいよ……」


 疲労感を隠すことなく、詩翠は全身の力を抜いた。


 今日一日、持てる時間全てを注ぎ込んで駆け回った結果、体力を使い果たしてしまった。始業前に温室の周りを一周し、昼休みは各教室を回って聞き込み、放課後には「ゴミ当番です」という顔をしてゴミ集積所まで漁った。


 その間に得た情報は全て手帳に書き留めてある。

 詩翠はもう一度、最初のページから見返していった


 証言、一。

 三限の移動教室の時間、温室につながる砂利道で二人組の男性が目撃された。しかも、腰のベルトにスプレーらしき缶を携帯していたとのこと。怪しい要素しかなかったが、用務員によれば校舎の補修工事に訪れた業者らしい。


 証言、二。

 昼休みの終わりごろ、渡り廊下で教室のゴミ箱を運んでいた生徒が目撃された。これはおそらく、日直のゴミ当番だろう。


 証言、三。

 五限の授業中、窓際の席の生徒が校舎裏に歩いていく制服姿を目撃した。授業中に抜け出したのか、あるいは欠席を装った生徒なのか。


 証言のページをめくると、次は物証がまとめられていた。

 体育館裏のゴミ集積所には百合を汚した色と同じスプレー缶が捨てられていた。かすかに着いていた土は温室のもので、犯行に使われた物に違いない。

 缶のラベルには『生花・観賞用植物対応』とあった。切り花に色を着けるために使われるスプレーで、当然ながら植物を傷めない成分が使われている。


 嫌がらせで花を汚すなら、塗料は何でもいいはずだ。むしろ枯れたほうが、嫌がらせとしては有効だろう。しかし犯人は、わざわざ花を傷めない塗料を選んでいる。意味がわからない。


 最後のページには、写真が二枚挟んであった。一昨日の朝、いつもの立ち位置から撮った定点写真。そして事件直後、同じ場所から撮った一枚。

 見比べてみたが、花が赤黒くなったこと以外に気になる点は見つけられない。もしヒントがあったとしても、花弁の汚れに気を取られて見落としている可能性も捨てきれなかった。


 手帳を一通り読み返して、ため息が落ちた。情報を集めたものの、真相に近づいたとは思えなかった。

 ふいに、開いたページの上に影が差す。


「――しっかし」


 いつの間にか背後に回っていた篠崎が、詩翠の肩越しに手帳を覗き込んでいた。


「すごいな、これ。証言の内容は時刻と場所ごとに整理されてる。推測と事実で色分けまでして……」

「わっ……み、見ないでください!」

「え、なんで? すごいじゃん」

「ただの悪癖です。書かないと、頭が整理できなくて」


 見て聞いたものを愚直に書き写しているだけだ。そこに難しい思考は必要ない。ペンを動かし続ければ空白はいずれ埋まっていく。

 だが、犯人の輪郭は埋まらないままだ。


「……正直、情けないです。事件を解決するって息巻いたくせに」


 肩が自然と下がった。

 沈んだ詩翠を、篠崎はしばらく無言で眺めていた。西日が動いて、二人の影が書類の山に長く伸びる。

 やがて篠崎は、ふっと目を細めた。


「なんだか――詩鶴先輩みたいだ」

「え?」

「先輩もよく、こうやってトラブルに首を突っ込んでてさ。その中には、こういう頭を捻らないといけない事件もよくあったんだよ」


 懐かしむような声だった。

 詩翠は手帳に目を落として、小さく笑った。


「きっと姉は、上手くやったんでしょうね……私と違って」


 ピースを集めるだけ集めて、パズルを完成させられない妹とは違って。

 姉ならきっと、鮮やかに解いてみせたのだろう。

 それこそ、ヒーローみたいに。


 篠崎は否定しなかった。

 代わりに、口の端を吊り上げた。


「まぁ、そうだったね――表向きは」

「……表向き?」


「実際は毎回、悪戦苦闘していたよ……あの人。何度も行き詰まって、頭を抱えて。生徒会室で溶けかけのアイスみたいになってた――今の君みたいに」


 詩翠の眉が持ち上がった。


 意外だったが、考えてみれば当然だ。

 姉は完璧超人ではない。テストの結果も、悪くはないが学年首位には届いていなかったし、スポーツができるわけでもなかった。

 普通の高校に通う、お人好しで優しい一生徒だったのだ。


「そんな時、姉はどうしていたんですか?」

「……奥の手を使ったんだよ。自力で解けない事件に遭遇したら、ある人物のところへ知恵を借りに行くんだ。で、その後には見事解決してる」

「ある人物って?」


 気づけば、詩翠は身を乗り出していた。

 篠崎はもったいぶるように一拍置いて、その名前を口にした。


「御影海夜」

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