事情聴取
人だかりが割れて白衣姿の教師が駆けつけてきたのは、それからすぐのことだった。
園芸部の顧問である初老の彼女は温室の中の惨状に顔をしかめ、野次馬を解散させた。
その後、残った園芸部員に対して簡単な聞き取りが始まった。
部員たちは誰もが所在なげに、軍手やジョウロを持ったままだった。
詩翠は園芸部員ではなかったが、被害に遭った百合の世話をしていたということで、事情聴取に残ることを許された。
最初に話したのは、第一発見者である二年生の部員だった。まだ落ち着かないのか、軍手の指先を何度も揉みながら口を開いた。
「四時より、ちょっと後です。プランターの土を取りに入って……最初、見間違いかと思いました。でも、近づいたら……やっぱり変だなって。汚されてるって気付いたら怖くなって、部長を呼びに行きました」
次に、部長だという三年生が話した。
「昼の当番は置いていません。温室の鍵は日中開けています。施錠するのは最終下校のときだけです。人の出入りは……ここの生徒なら、誰が入っても気に留めませんね。ふらっと立ち寄って写真だけ撮っていく子も時々いるし」
それから、少し言いにくそうに付け足した。
「気になることでもないんですけど……奥の鉢の並びが少し変わっていた気がします。ただ、作業のたびに鉢を動かすので断言はできません。気のせいかも」
最後に話したのは白瀬だった。
声はいつも通り小さかった。
「……朝は、私と他数名の部員で水やりをしました。八時ごろです。その時は……いつも通りでした。放課後は、日直の仕事があったので少し遅れて……ここに来たら、もう騒ぎになっていて」
詩翠は制服のポケットから手帳を出して、聞いたことを書き留めた。
朝八時、白瀬先輩が確認――無事。
十六時、園芸部員が発見――すでに赤黒い。
その間、およそ八時間半。昼に温室を見た者はいない。鍵は開いていて、誰でも出入りできて、目撃者はゼロ。鉢の並びが動いていた……かもしれない。
並べてみても、何もわからなかった。
「わかりました」
全員の聴取を終えて、顧問が手を叩いた。
詩翠は思わず身を乗り出した。
今の証言で、何かに気が付いたのだろうか。
「では、職員会議で相談しますので……この場はこれで」
「……え?」
顧問はあっさりとした声で解散を告げて、もう校舎のほうへ歩き出している。
犯人を捜すとも、調べるとも言わなかった。相談します……それだけだ。
反射的に詩翠はその背中を追いかけようとしていた。せめて、何をどう相談するのかだけでも教えてほしい。
「詩翠ちゃん、落ち着いて」
動き出そうとした詩翠の肩を、白瀬が掴む。
「でも――」
振り返って、詩翠は言葉を詰まらせた。
白瀬は泣きそうな顔をしていた。それを見たら、何も言えなかった。
「まずは、花の手当てをしましょう」
×××
夕方の温室に、二人だけが残った。
手当ての前に、詩翠はスマートフォンで現場の写真を撮った。正面から、上から、根元から。それから最後に、毎朝と同じ立ち位置にからも一枚。こんな姿を毎朝のアルバムに加えることになるなんて、昨日までは考えもしなかった。
その後、白瀬に教わりながら詩翠は花弁の汚れを洗った。
ジョウロの細口でそっと水をかける。赤黒いものが薄まって、鉢の縁を伝って落ちていいった。戻れ、戻れと祈りながら何度も水を回しかけた。
だが、百合は元の白に戻らなかった。
花弁には全体的に赤い染みが残ったままだ。布で拭き取れればと思ったが、白瀬に止められた。
百合の花弁は薄くて繊細で、こすれば組織ごと傷んでしまう。洗えるのは、ここまでらしい。
「さっきは、止めてごめん。ウチの学校、事なかれ主義の先生が多いの。問題を大ごとにしたくないって空気があって……」
白瀬は気まずそうに、視線を土に落とした。
「詩翠ちゃんが、あのまま先生に直談判していたら……きっと、苦しいだろうから」
「お気遣い、ありがとうございます。私も軽率でした……」
言いながら、詩翠は自分の掌を見た。
正しいと思ったことは、声に出して実行する。小さい頃から、真っ直ぐすぎる性格だった。もちろん、世界は綺麗事だけで回らない。そんなに単純にできていない。小学校の終わりには気づいていたけれど、性分というのはなかなか変えられなかった。中学でも歯止めが効かずにぶつかって、空回りして、失敗したことが何度もある。
今日もまた、同じ轍を踏むところだった。
白瀬が曖昧に微笑むと、ふわりと甘い香りが漂った。
カサブランカのものに違いない。汚されながらも、目の前の花はまだ死んでいないのだ。
それだけは不幸中の幸いだった。
「わかりました。目立たないように動きます」
「……え?」
白瀬が目を丸くした。
このまま引き下がると思っていたのだろう。
花は汚された。でも、無事だった。だから、いいじゃないか。この件は我慢して早く忘れよう。そんな結果に着地させたかったに違いない。
でも、詩翠にはそれができない。
悲しさも、悔しさも、消えてくれない。
あの花は、姉が育てた花だ。
姉との繋がりそのものだ。それを汚されて、何もしないでいることなんてできるはずがなかった。
ならばどうするか。答えは決まっていた。
膝の上の拳に、ぎゅっと力がこもる。
「代わりに私が……犯人を見つけます」




