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御影海夜

 生徒会に入って一週間が経った。


 この時期の仕事は、次の生徒会長選挙の準備と引継資料の作成が中心だ。

 固すぎず、緩すぎず、ほどよい緊張感の生徒会は居心地が良かった。


 篠崎が抱えてくる書類の山を、一ノ瀬と白瀬が捌いて小金井が数字を確認する。詩翠に回ってくるのは、もっぱらファイル整理だ。


 業務の傍ら、詩翠は温室のカサブランカの世話をさせてもらえることになった。

 誰かが言い出したわけではないが、カサブランカと日向姉妹を巡る物語はできすぎていて、自然とそういう雰囲気になっていた。


 毎朝早くに登校して、花の状態を確認。水をやったら一枚写真を撮る。立ち位置は温室の入口から三歩目と決めていた。

 日毎に増えていく写真をアルバムで見返すのが、最近の詩翠の楽しみだった。


 そんな日々に慣れてきた放課後のこと。


「えぇ、まだですか?」


 詩翠が生徒会室の扉を開けると、小金井と見知らぬ二年生が話し合っていた。

 二年生は詩翠に気づくと「そういうことだから、よろしく!」と言い残して、逃げるように部屋から出ていく。残された小金井が、がっくりと肩を落とした。


「どうしたんですか?」

「ちょっとしたトラブルの処理を任されてなぁ。よくあることやし、大したことないんやけど……今は業務が溜まってるし」


 できれば抱え込みたくない、という本音が言外に漏れていた。


「その仕事って、私にもできます?」

「簡単やで……もしかして、日向ちゃん。手伝ってくれるん?」


 詩翠は頷いた。

 生徒会の庶務見習いになって一週間。そろそろファイル整理以外の仕事にも触れてみたい。それに、よくあるトラブルなら早めに知っておいて損はないはずだ。


「ええ子やな。ホンマ、助かるわ」


 小金井はにっこり笑って、詩翠の頭をわしわしと撫でた。


「じゃ、被服室にいる不良……追い出してきて」

「…………はい?」


×××


 米姫女子高等学校の校舎は、複数の棟に分かれている。

 その中でいちばん使用頻度が低いのが、特別教室棟だ。選択科目や特別授業の教室が並んでおり、放課後は一部を除いてほとんど人が立ち入らない。


 それをいいことに、この棟をテリトリーにしている不良がいるらしい。

 居座っている教室は日によってまちまちで、普段なら遭遇することはない。ただ、まれに部活の備品を取りに来た生徒と鉢合わせることがあるのだ。

 特別教室棟に備品を置いているのは文化系の部ばかりで、そういう部には大人しい性格の者が多い。不良の居座る教室に踏み込めるはずもなく、生徒会に泣きついてくる……というのが、事の次第だそうだ。


 ――不良いうてもバイオレンスタイプじゃなくて、ダウナータイプやから安心して! ちょっと注意するだけでええから!


 送り出してくれた小金井の呑気なアドバイスが脳裏に蘇る。

 安心できる要素が、ひとつもない。


 肩を落としたくなる不安をこらえて、詩翠は渡り廊下から特別教室棟に入った。ワックスの匂いの薄れた廊下に、詩翠の上履きの音だけが響く。


 指定された被服室の扉は開いていた。

 そっと中を覗き込む。

 窓際の作業机に、一人の少女が座っていた。夕方の光を横顔に受けて、雑誌に何かを書き込んでいる。紙の上を走るペンの音が、しんとした教室で雨だれみたいに規則正しく落ちていた。


 彼女の妖しく整った輪郭に視線が吸い寄せられ、詩翠は息を呑んだ。

 その気配に気付いたのか、相手は顔を上げた。


「生徒会の新入りか……小金井には『注意はしました』って報告しておけばいい。毎回それで丸く収まってる」

「え?」


 意味がわからなかった。

 呆然とする詩翠を置き去りにして、その人は再び雑誌に視線を戻す。


「何を突っ立ってる? 話は終わった、帰ってくれ。クロスワードの邪魔だ。君もボクの相手なんかしてないで、園芸部の手伝いに行きたいだろ?」


「なんで……私、何か話しましたか?」

「いや、何も」

「だったら――」


「ボクに退去勧告してくるのなんて、生徒会くらいだ。今までは小金井や一ノ瀬がその担当だったが、学年が上がって彼女らも二年生。となると、雑用は一年に押し付けたくなる。一ノ瀬は真面目だから初めての仕事には付き添うはず。そうでないということは、面倒くさがり屋の小金井しかいない」


 流れるような語りだった。

 そして、癪なことに全部当たっていた。


「だったら、園芸部の手伝い……というのは?  部員かもしれないじゃないですか」


「ありえない。靴下にはねた土、制服に落ちた花粉から園芸部との繋がりはあると見える。だが、君からは花の香りしかしない」

「それのどこがおかしいんですか?」


 むしろ当然ではと詩翠は思った。花の世話をしているのだから。


「おかしいとも。今は体験入部期間だ。園芸部の入部希望者なら腐葉土やハイポネックスの保管場所に案内される。それらの匂いがついていない。加えて、制服に付着した花粉も一種のみ。つまり、君は特定の花のだけ世話をしていて園芸部の活動の中核にはいない」


 姉の百合のために温室へ通っていた詩翠の行動を、初対面の人間は僅かな情報だけで言い当ててしまった。恐ろしいほど的確に。

 悔しいが、少しだけ痛快でもあった。

 

「さぁ、今度こそ話は終わりだ。出ていってくれ」


 その一言で、詩翠は我に返った。

 感心している場合ではない。

 

「そ、それはこっちのセリフです。不当に居座っているのはアナタの方でしょ?」


 相手は一瞬あっけに取られた顔をして、それから深いため息をついた。

 立ち上がり、こちらへと近づいてくる。


 詩翠はとっさにスマートフォンを取り出した。

 いざとなったら証拠を残そうと、半ば護身のつもりで構える。


 だが彼女は何もすることなく、詩翠の一歩手前で止まって静かに観察した。


「姉がいるな」

「……え?」


「入学して間もない一年生の制服にしては使い込まれた形跡がある。姉からのおさがりだ。五年前に変わった学校のロゴが刺繍されているから、年はそんなに離れていない。リボンの色も新調されていないということは三年上の代だ」


 背中を冷たいものが走った。


「スマートフォンもそうだな? 三年前に流行した機種で若者向け。値段もそこそこする。ということは、経済的理由で姉の物を使い回しているわけではない」


 声がどんどん低くなっていく。ブツブツと、自身の思考に向かって呟くように。

 詩翠はそれを止めることができなかった。何も話していないのに、次々と自身の内側を暴かれていくのだ。一言でも話せば、奥底に隠したものまで引きずり出されるのではないか。そんな恐怖で口が動かない。


「化粧もピアスもしていない。スカートの丈まで校則を順守している。ハッキリ言って地味な部類だ。それなのに、スマホのアクセサリーだけ明るい。ということは、これも姉の所持品だろう。後生大事に持っているということは……おそらく、恋しいから。大学の進学? いや、違うな……もっと深刻な――」


 そこで、声がぴたりと止まった。

 反射的に彼女が身を引く。ペンを握ったままの指先が、白くなっていた。


「これ以上、詮索されたくなければ……さっさと出ていけ」


 低い声が突き放した。

 それが合図となって、詩翠は逃げ出した。

 振り返らずに被服室を飛び出して、誰もいない廊下を駆けた。

 心臓が耳のすぐ裏で鳴っていた。

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