帝都に消える古都の影
帝都の夜は更け、「彷徨える勇者の休息亭」の灯火が消える頃。
昼間の陽気な喧騒とは対照的に、赤金横丁には湿った沈黙が降りていた。
ヴェリティが宿泊している高級酒店、西龍館を見下ろす時計塔の屋根。
そこには、月光さえも透過させるような、希薄な存在の一人の男の姿があった。
「そこそこ腕の立つ盗賊」のキロである。
彼はいつもの黒い貫頭衣と穿袴のままであったが、その瞳からは「そこそこの盗賊」としての怠惰な光が消え去り、底知れぬ深淵を湛えた超々凄腕の忍者のそれへと変貌していた。
「……五人か。古都の連中も、魔導顧問を消すのに手間を惜しまないな」
キロの視線の先、宿の裏口や屋根伝いに、音もなく動く黒装束の集団があった。
彼らは古都の「金色の月光団」内、反主流派が放った精鋭の刺客たちである。
標的であるヴェリティは、今頃部屋で大好きな甘い菓子の夢でも見ているだろう。
「やれやれ。あの赤毛のお姉さんに死なれると、なんとなく寝覚めが悪いんでね」
キロは音もなく屋根から舞い降りた。
重力さえも欺くようなその身のこなしは、まさに人智を超えた忍びの業。
酒店の廊下、ヴェリティの寝室へと繋がる扉。
先頭の刺客が鍵を開けようとした瞬間、その背後に死神が立った。
刺客が振り返る暇もなかった。
キロは両手に、特殊な気が纏わせた。
実体を持たぬ刃――気の刃が夜の闇を裂いた。
「(……九歩)」
キロが指を動かすまでもない。
彼が気を振るうだけで、射程内にいた先頭の男の喉が、音もなく切断された。
血飛沫が上がる前に、キロはその体を支え、音を立てずに床へ横たえる。
「なっ……!?」
異変に気づいた残りの四人が即座に散ったが、キロの方が遥かに速かった。
彼は武器を持たず、素手のまま格闘術の極致を叩き込む。
一人が放った毒針を指先で弾き飛ばし、そのまま相手の眉間を抜き手で貫く。
別の男が抜いた短剣を、気の刃で武器ごと両断にし、同時に胸部を粉砕した。
抵抗らしい抵抗すら許されない。
古都で恐れられる精鋭たちが、ここではただの案山子に等しかった。
「……最後の一人だね……」
キロの低い声が、冷徹な死の宣告として廊下に響く。
残った一人が逃げようと窓へ向かったが、キロが掌を軽く振るうと、十歩ほど先で、その男の胴体が綺麗に両断された。
四半刻後。廊下には、死体一つ、血痕一つ残されていなかった。
キロは高位錬金術師としての知識を用い、特定の条件下で死体を分解し、消滅させる特殊な薬剤を撒いたのだ。
廊下の空気は浄化され、先ほどまで凄惨な殺し合いがあったことなど、巡邏隊の検死官でさえ気づかないだろう。
「これでよし。……明日の朝も、あのお姉さんの高笑いが聞けそうだな」
キロは再び、いつもの惚けたような「そこそこの盗賊」の表情に戻ると、屋根を伝って自分の「居心地の良い部屋」へと帰っていった。
翌朝。
ヴェリティはいつも通り休息亭の露台で、昨夜自分の命が狙われていたことなど露知らず、ビディやルーシーと楽しげに談笑していた。
「昨日はぐっすり眠れたわ! 帝都の夜は本当に平和ね」
そう言って笑うヴェリティを、下の寝椅子から薄目で眺めながら、キロはまた深々とあくびをした。
「……平和が一番だよな。昼寝の邪魔も入らないし……。」
その言葉の真意を知る者は、誰もいない。




