そこそこの盗賊と依頼の承諾
帝都の西、表通りから西龍館の角を曲がると、そこに煩雑な赤金横丁が続いている。
その横丁を中ほどまで進むと、冒険者たちが集う酒場『彷徨える勇者の休息亭』がある。
客が退いた昼下がりの店内は、夜の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
開け放たれた窓から差し込む柔らかな陽光が、埃のダンスを黄金色に染めている。
その店の最奥、使い古されて飴色になった革張りの寝椅子が、彼の定位置だ。
「……ふぅ……」
小さな欠伸とともに、キロは深く背もたれに身を沈めた。
黒い長袖の貫頭衣に、脚の線を拾う細身の黒い穿袴。
足元には手入れの行き届いた焦茶色の半長靴。
およそ武器らしいものは何一つ身につけていないが、その引き締まった中背で細身の身体には、無駄な脂肪が一切ない。
色白で端正な甘い顔立ちは、黙っていれば良家の貴公子のようにも見えた。
彼は「そこそこ腕の立つフリーの盗賊」として、この界隈では知られている。
「おい、キロ。また寝てるのか。少しは仕事を探したらどうだい」
付け台の向こうで硝子盃を拭いていた店主のガルバンが、呆れたように声をかけた。
キロは片目を薄く開け、長い睫毛を揺らした。
「……いいんだよ、ガルバン。昨夜はちょっと、その辺りまで散歩に行ってきたからね。今は人生に必要な休養の時間なんだ」
「散歩、ね。お前さんが持ち込んでくるお宝は、いつも一級品ばかりだとブリアンが言ってたが……。一体どこでそんなもんを拾ってくるんだか」
「ただの幸運さ。運も実力のうちだろう?」
キロは悪戯っぽく微笑むと、再び瞳を閉じた。
世間には内緒だが、彼は昨夜、単身で地下九層の深部まで潜り、並のパーティーなら全滅しかねない「影の守護者」を、素手に纏わせた不可視の気で一瞬にして細切れにしてきたばかりだ。
忍者としての神速の身のこなしも、高位魔導師を凌駕する呪文の知識も、高度な錬金術の奥義も、彼にとっては快適で怠惰な生活を送るための、道具に過ぎない。
下手に実力を明かせば、王宮から召集がかかったり、血気盛んな勇者パーティーに勧誘されたりと、面倒なことこの上ない。
今の彼が望むのは、ただ一つ。
誰にも邪魔されず、美味い酒を飲み、こうして陽だまりの中で微睡むことだ。
その時、酒場の扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは、見慣れた顔ぶれが四人。
堅実な探索で知られる中堅パーティー『銀の針』の面々だ。
「キロは、いるかい!?」
頭目の戦士が焦った様子で奥の寝椅子へ駆け寄ってくる。
キロは心の中で小さく溜息をついた。安眠の時間は終わりのようだ。
「……やあ、カイル。そんなに慌ててどうしたんだい。迷宮で宝箱の罠にでも指を挟まれたか?」
「笑い事じゃないんだ! 依頼を受けて地下三層の調査に行きたいんだが、契約した盗賊が急な腹痛で、動けなくてね。キロ、あんたに助っ人を頼みたい。あんたの腕を借りたいんだ」
キロはゆっくりと上体を起こした。
『銀の針』は、無茶をしない堅実なパーティーだ。
彼らと組んでいれば、「そこそこ腕の立つ盗賊」として、依頼を終えられそうだ。
自分の評判を落とす心配も少ない。
「……報酬は?」
「前と同じ条件でどうだ?、山分けの一割増しだ。もちろん、必要経費はこっちで持つ」
「いいだろう。ただし、知っての通り戦いは出来ないよ。錠開けと罠の感知と解除、それから逃げ足だけは保証するよ」
キロは少しだけ目を細めて言った。
実際には、彼が本気を出せば、地下三層の魔物など四半刻で根絶やしにできるのだが、それを言うのは「愚かな行為」の最たるものだ。
「良かった。助かるよ! すぐに出発しよう」
カイルが安堵の声を上げた。
キロは寝椅子から立ち上がり、猫のように身体を伸ばした。
黒い衣がしなやかに揺れる。
(……やれやれ。晩飯代くらいは稼ぐとしようか。帰ってきたら、またここで寝かせてもらうよ、ガルバン)
心の中で店主にそう告げると、キロは「そこそこ腕の立つ盗賊」として、足取りも軽やかに初夏の街へと踏み出した。
涯東の島国日夲から渡ってきた、規格外の能力を持つ怠惰な忍。
彼の、怠惰で自堕落な日常は、こうして今日も、続いていくのであった。




