29 「ご主人様休業の日」
「マスター、朝だぞ」
「んん~……」
無双の戦鬼の業務は、まずご主人様を起こすことから始まる。敬愛するご主人様が、無防備な寝起き姿を晒してでもその業務を眷属に任せてくれること……まこと誉れ高い。
誇りと共に扉を潜り、リモコンを取りしな冷房を二度ほど上げる。昨今の日本の夏は、最早早朝すら暑い。つけっぱなしにして寝るなとは言えなくなってきたな……とはいえ、十八度はさすがに低すぎるが。それはご主人様も、ベッドの上で蓑虫が如く布団に包まれ丸まろうものよ。
「マスター、朝食の時間だぞ」
「んんぅ~……」
リモコンをソファに放り、豪奢なキングサイズベッドの傍らに立つ。しかし下僕が見下ろそうと、布団にくるまるご主人様は変わらずモゾモゾして呻くのみだ。吸血鬼の生態ゆえか単に彼女がものぐさなだけかは分からぬが、我がご主人様は朝が弱いゆえ。
いつもであればそろそろ起きる頃か……とも思ったがしかし、今朝のマスターはなかなかにしぶとい。このままでは姉上が丹精込めて作ってくれた朝餉が無機質な冷蔵庫にて冷やされ、旨味を無くしてしまうぞ。
「マスター、マスター。今朝は食の細いマスターでも食べやすい、野菜が中心の献立だぞ」
「うぅ~……や~……」
「『や~』ときたか」
布団の塊を指先でチョンチョンとつつけば、少しくすぐったそうな声を上げつつも出ては来ず。これは困った。お嬢様の眠りを、暴力で解決するわけにもいくまい。
「体調が悪いのか?」
「……悪いと言えば、悪い」
「それは大変だ。医者を呼ばねば」
「そ、そこまでじゃなくてぇ~……」
「……無理にとは言わんが、朝食は摂った方が健康に良い。我が誇り高きご主人様におかれては、屋敷の住民の模範となるような、気高き姿勢を示し続けるべきではなかろうかと眷属は愚考する」
「……じゃあ休む」
「なに?」
「今日は……ご主人様、お休みするぅ……」
なんと。
誇り高き吸血鬼であることに拘りを示すあのリゼットが、今日はご主人様を休業するという。このようなことは初めてだ。
「……どうしたものか」
少々狼狽えた俺は、とりあえずその場に跪き、ご主人様に問うた。
「俺に何かできることは。そもそも、なぜ休むと?」
「……私、インドア派なの」
「知っている」
更に言えば、母上の病弱な血と父親のオーダーのせいで、より体力が少ない身体の造りとなっているのは俺と姉上のみが知ること。
「それが?」
「……夏休み、もうすぐ終わるじゃない」
「そうだな」
「なのに異世界に行ったり、イギリスに行ったり、ボルダリングしたり……」
「楽しかったな」
「私はっ……! 夏休みなんだから、もって寝てたかったのっ……! 一番寒暖差の激しい二学期に向けて、パワーをチャージしないといけないんだからっ……!」
なるほど。この、ぐうたらめ。
深刻な内容でないことにホッと胸を撫で下ろしつつ、俺はベッドの縁に腰かけた。
「要は、二学期を目前にして萎えているということだな」
「わ、悪い……? ご主人様だって休みたい時くらい、あるもん……」
「確かに、ここ最近は忙しなく動いていたように思う。疲れたか」
「……ちょっと」
「分かった。ならば姉上にはそう言っておこう。刀花にも、今日はそっとしておくようにと申し添えておく」
せっかくの長期休暇、一日を布団の上で過ごしたい日もあろう。ならばそれを叶えるのも、眷属の仕事よ。ご主人様がお休みであれ、眷属は眷属として働かねばな。眷属とはそう、魂の在り方であり彼女に捧げる忠誠の顕れであるがゆえに。
俺は足に力を入れ、布団から立つ。異性の目があっては、リゼットも落ち着かんだろう。
「では、お休みマスター。俺はこれから屋敷の清掃に移る──」
「……や~……」
「『や~』か」
しかし。
布団の影から伸びる彼女の指先に、和服の裾を摘ままれてしまってはどうしようもないのであった。
俺は再び布団の上に腰を落ち着け、さてどうしたものかと首を捻る。内心では、彼女が俺との時間を名残惜しんでくれたことを嬉しく思いながら。可愛いぐうたらお姫様め。
「しかしご主人様が休業中であれば、眷属とて休業となろう。そして眷属の身と異なれば、俺がここにいてもできることはそう多くないように思えるが」
「……そんなこと、ないでしょ~……」
「というと?」
「……あなたは、私の……こ、恋人、なんだから……色々と、その、あるでしょ~……」
「ふむふむ。たとえば」
「っ……だ、抱き締める、とか……?」
「こうか?」
「あっ──」
気だるさと不満の混在する、間延びした声を出すリゼット。
そんな彼女がシーツ越しに抱き締めれば、モゾモゾ動いていた塊がピタッと止まる。いきなりの接触は嫌だっただろうか?
そうは思いつつも、小さくも暖かな熱を発する塊をかき抱いていれば、その塊がプルプルと震え出す。どうした。
「……ふふ……ふふふふ……♪」
引きこもりの吸血姫が悶々としている……どうやら、ご満悦らしい。顔を見ることは叶わぬが、恐らくデレっとしているに違いない。
そのまま背中と思われる部分を優しく撫でていれば、彼女は普段より少し険の取れた声音で言葉を紡ぐ。
「ん……ジンは……」
「ああ」
「眷属のお仕事、疲れたりしてない……?」
「は。この無双の戦鬼に疲労という概念などない」
「バイトでは気疲れするのに?」
「只人に使われてはな。しかし、俺の見初めた王に使われるのであれば、それこそ本望。無限の活力と、そして誇らしさが湧いてくる心地だ。あまり気にしなくていい」
「……あなたも、今日はお休みって言ったら、どうする?」
「ん……どうされたいのだ、"リズ"?」
「ふにゃ……♡」
耳元で低く愛称を囁けば、彼女は甘い声で鳴く。ご主人様をお休みしているからか、今日は随分と甘えん坊だ。
より強く彼女を抱き締めながら、俺は「そうさな」と思案する。
「眷属業が休みとなれば、俺はただの酒上刃だ。そしてそいつはつまらん男でな。探してはいるものの、休みの日にやりたいこともそう多くなく暇を持て余している」
「……嘘つき。すぐ他の女の子とどっか遊びに行っちゃうでしょお~……」
「ありがたいことに、そうした誘いは多く受けるな。恐らくだが、その少女達は悪い男に騙されているのかもしれん。リズも気を付けるのだぞ」
「……遅いわよ、もぉ~……」
シーツ越しにテシテシと腕を叩かれた。引きこもりのお姫様は、悪い鬼に騙されてしまったのだ。
しばらく叩かれ続けたが……疲れたのか、彼女はすぐに大人しくなりポソポソと言う。
「ジン……」
「む?」
「あなたって、悪い人ね……」
「知らなかったのか? 俺は悪鬼なのだ」
「……まったくもう。あなたはどうして悪鬼なの?」
「哲学か? はじめはそう望まれ、そう創られたからだ。だが今は、そう在り続けたいと願い、そう生きているからだ」
「悪い人のまま生き続けたいの?」
「そうだ。善い奴のままでは、複数の嫁を娶ることに感情が耐えられまい。疲労を感じず、奉仕など続けられまい。そして単純に、正義というモノは究極の悪には勝てぬようできている。なぜならば悪とは必ず、正義が決して取れぬような外道の手法を用いるからだ。俺は少女達を守護するべく、生涯無敗を誓った身。ゆえに俺は、法さえ及ばぬ究極の悪であり続けなければならんのよ」
「……あなた、そんなこと考えて」
「そしてなにより──俺は馬鹿だからな。賢い生き方など、とてもではないができん。馬鹿だから悪事に手を染め、そして開き直る。馬鹿は生き方も選べんというだけだ」
「……ふふ、なにそれ」
「幻滅したか?」
「……ちょっとだけ?」
「手厳しい」
正義は世を回すが、悪はかき回すことしか能がない。法さえ機能すれば、そして悪が俺以外にいなくなれば、俺など最初に排除されて然るべき存在。そんな、つまらん男なのだ。
「じゃあ、今日は悪鬼も休業ね」
「む?」
己のちっぽけさに自重していれば、しかし俺を上から影が覆う。
バサリと広げたシーツを被せられ、たっぷりのラベンダーの優しい香りが肺に入る。そして、目前には──、
「今日は……ただの、私の恋人として過ごせばいいじゃない?」
「──」
吐息すら届きそうな距離で。
薄手の黒いネグリジェのみを身に付け、頬を染めたままそんなことを言う可愛い恋人。華やかな金髪は寝癖で少し跳ね、寝起きゆえか瞳もどこかトロンとし、それらの要素が彼女をお姫様としてではなく、一人の女の子としてこちらに印象付ける。
「……ふふ」
紅い瞳の奥には恋情という名の熱を秘め、彼女はじっとこちらを覗き込んで言った。
「こうして私しか目に入ってなければ、他の子に粗相することもないでしょう? こうして布団に隠してしまえば、あなたを悪と断ずる人もいなくなるでしょう?」
「……ふ、なんだそれは?」
「う、うるさいわね……それで? 今日だけは真人間になって、私と一緒にお休みするの? しないの? したくないの?」
「……クク。ではお言葉に甘えて、今日だけは真人間として生きるとするか」
「そうしなさい。うにゃ……♡」
「眷属でもなく、悪鬼でもなく。こうしてただ一人だけの恋人を抱き締めて、ただ静かに……」
「そ、そそそそうしにゃさいっ……♡」
家事を担当する姉上やエリィには申し訳ないが、今日は眷属も臨時休業だ。
「リズ、俺の可愛いリズ……相も変わらず、素晴らしい抱き心地だ。柔らかく、どこかひんやりと冷たく……」
「はにゃっ♡ ふにゃっ♡ も、もう、キスしすぎ……ばかばかっ……♡ わ、私からも、しちゃうんだから……♡」
そうして主従関係ではなく、ただの男女となった俺達は一枚のシーツにくるまりながら。
時に抱き合い、時に睦言を交わし合い、時にただただ口付けし合うような……。
そんな充実したお休みを、共に過ごすのだった。




