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28 「機嫌が良い日のガーネット」



 人間の感情は一定ではなく、それはあらゆる要因によって浮き沈みするものだ。

 それは特に、気分屋でもあるガーネットであれば顕著に現れる。端的に言えば、とてつもなく機嫌の悪いガーネットの日もあれば、とてつもなく機嫌の良いガーネットの日もあるということ。

 そして今日は──、


「ん~、んん~♪」


 合鍵を使って"たわまん"の扉を開ければ、"ぼいとれ"仕込みの美しい鼻歌の旋律と、なんらかの肉を焼く香ばしい香りが俺を出迎えた。


(今日は随分と機嫌が良いらしい)


 揃えられた彼女のブーツの隣に、脱いだ下駄を同じく揃えつつそう当たりをつけた。

 ガーネットは瑠璃嬢《ははぎみ》の教育方針ゆえか、家庭的技術を高い水準で身に付けている。

 だが、それを振るう相手はかなり限定されているのが現状である。それは彼女のアイドルとしての矜持ゆえか、多忙さゆえかは分からぬが……とにかく、彼女が自ら厨房に立つことは珍しい。それも俺が今日、この部屋に来ると分かっているのならなおのことだ。今日は多忙なガーネットのため、無双の戦鬼がその世話をする日……通称ガーネット当番の日だからな。

 買ってきた食材は冷蔵庫に保管しておくか、と今夜は無用になりそうな食材の入ったレジ袋を揺らし、厨房と広い居間が一室となっている部屋の扉を開いた。


「おっ♪」


 すると、こちらに背を向ける形で厨房に立っていたガーネットが、愛らしい八重歯を見せてこちらを振り向く。薄い部屋着にピンクのエプロン姿もそうだが、調理のためか普段は下ろしている長髪を、後ろで一つに束ねている様もなかなかにグッとくる。少女が厨房に立つ後ろ姿に高揚するのは、俺が古い刀だからか。

 勝手に男心をくすぐっているとも知らず、ガーネットはニッと笑い、甘い声色でこちらに声をかけた。


「お帰り、彼氏くん(ダーリン)♡」

「随分と機嫌が良いようだな、ガーネット」

「ん~? そう? フツーよフツー♪」


 そう言いつつ、彼女は踊るように腕を振って、周囲にフワフワと浮かばせた調理器具や調味料の入った瓶を操り料理を再開する。まさに諸人が思い描く、魔法使いの料理姿だろう。

 そんな不規則浮遊をする器具などを掻い潜りつつ、巨大な冷蔵庫に食材を詰め込みがてらその手腕を褒めた。


「器用だな。そうした方が効率的で楽なのか?」

「いんや? 料理としちゃそりゃ効率的ではあるけど、楽ではないね。頭ん中で無詠唱の浮遊魔術を複数重ね掛けして、それを操ってるってんだから。両手両足で別々の絵描くようなもんよ」

「……普通に調理すればよかろう?」

「頭の体操にいいんだよね。それに……」

「む?」

「ときめいたっしょ?」


 ん……。


「……クク、ああそうだな。ときめいた」

「だべ~? やっぱ魔法使いはこうやって、色んなモン浮かせて飯作らねぇとな! いや違いの分かるダーリンでよかった~。これで『別に?』とか言われてたら、足裏に離婚届貼り付けてそのままドロップキックお見舞いするとこだったぜ? へへっ、練習した甲斐あったわ!」


 ドヤ顔で胸を張るガーネットに、こちらも笑みを綻ばせる。職業ゆえか、彼女はその労苦に見合わずとも見映えを意識する。

 流した汗水を巧みに隠し、美しく在ろうとするその美意識……俺は彼女の、そういったひたむきな部分にも惚れているのだ。そしてそのことを、彼女も恐らく理解している。


「惚れ直したな。まさしく『奥様○魔女』といった具合だ」

「ちょっと古ない? そこは『おくさま○女子高生』くらいに言っとけや」

「女子高生でもなければ魔法使い要素もなくなっておるではないか」

「今あたしのことおばさんって言ったか?」

「言っとらん言っとらん」

「ところでよ、健気に彼氏の分も晩飯作ってる美少女一級魔法使いのガーネットちゃんに、何かすることがあるんじゃないのかい?」

「すまなかった」

「別に土下座を強要してるわけじゃねぇんだわ。心当たりでもあんの? あたしが部屋にいない間に妹《ザク》とスマ○ラしたとか? ここで言うス○ブラはもちろん隠語ね」

「ないが、それが俺に対する最後の晩餐という可能性を捨てきれなかった」

「そんなにあたしの機嫌が良いのが珍しいか? 仕事がメチャクチャ上手くいっただけだってのに。で?」

「ああ、お帰りとただいまの口付けだったな」

「へいへいへい、『そろそろ飯できるから机拭いといて』ってだけの話が月面着陸しちまったな? 今すげぇ集中して飯作ってるって言ってたでしょうが!」

「おっとそうか。卓越した使い手ならば、そう難しくないと思ったが。そうか無理か」

「しゃおら来いやおらぁッ!! ……ぅゅ」


 オラつくガーネットの頬に口付けをした。頬の赤みが増すにつれ、周囲で浮く調味料や器具がプルプルと震えている……塩の入った瓶が一つ落ちかけたので、空中で拾っておいた。


「──」


 ここで通常通りの機嫌であれば憎まれ口の一つも叩かれようが、しかし彼女は頬を染めつつもニヤリと口角を上げ、


「うぃ~~~w」


 こちらの鳩尾にグリグリと肘鉄をくれるのだった。その反応もよく分からんが、恐らく照れ隠しだろう。よほど仕事が上手くいったのだろうな。

 濡れた布巾を手にし、食事用の机を拭きながら問う。


「ザクロはどうした」

「仕事終わって、そのまま実家に直帰。最近認知されたからって、マッマに甘えすぎね。まったく誰に似たんだか」

「……」

「何が言いてェ……」

「今日も可愛いな、ガーネットは」

「あたしもそう思ってた。相思相愛だね☆」


 頭の悪いと分かりつつもそんな会話を繰り広げ、夕食の支度を整えていく。どうやら彼女の上機嫌は、今夜ザクロがいないことにも関係していそうだ。相変わらず仲が悪く、特に俺を挟むと更に悪くなるのだこの二人は。まったく恋人冥利に尽きる。

 料理はまだのため飲み物を用意しながら、雑談を続けた。


「ちなみに献立はなんだ?」

「具だくさんのビーフシチュー☆」

「ほうほう」

「あとは簡単なサラダとスープと……」

「ふむふむ」

「……ちょい」

「む?」

「……情熱的に見すぎでしょ」

「そうか?」


 今できる仕事を終わらせたため、早々に椅子に座って調理姿のガーネットを愛でていたのだが……なかなかない機会ゆえ、目に焼き付けておかねば。

 だが恥ずかしいのだろう、ガーネットは火照るうなじを冷ますためか、後ろで束ねた長髪を前へと流しつつブツブツ言う。


「ったく、肉食系男子がよ。ちょっと彼女らしいことしてやったらすぐこれですよ。あ、ごめん。今あたしが言った『彼女らしい』ってのは、あくまであたしの中にある価値観から出た発言であって、世間一般的に『料理できること』がイコールで『女らしいこと』とかそう言ったわけじゃないからそこんとこシクヨロ」

「誰の何に対する配慮なのだ」

「同じ事務所に思考盗聴しやがる女がいるから念のためね、念のため」

「とはいえ俺が古い刀ゆえか、厨房に立つ女性に心奪われるというのは事実だが」

「知ってる~☆ これだけで惚れるとか、ちょろい男やでほんま」


 そうは言うが、トップアイドルたる煌栄ガーネットが手料理を振る舞ってくれる機会など貴重にすぎる。彼女のファンならば、喉から手が出るほど欲しいものなのではなかろうか。


「ふ~ん、ふんふん♪」


 鼻歌を口ずさみ、愛する者のために料理をするガーネット。"のーすりーぶ"のシャツと短いスカートは、彼女が身動ぎするたび挑発的に揺れ、垣間見えるキメ細やかな肌は男の目を焼く。少女が薄着になるというのは、夏における数少ない利点だ。


「……」


 部屋は空調が効いており暑くはない。だが調理の熱で、彼女の肌はしっとりと汗ばんでいる。


(いかんな……)


 そんな愛しい恋人の姿を見ていると、ついイタズラ心が──、


「うしっ、完成っと」

「ん……」

「魔術も解除して~っと。んあ? なに? 可愛い彼女の薄着エプロン姿に欲情したけど、土壇場で邪魔が入って残念~みたいな顔して? つーかいつの間に後ろから近付いてきてんだよSCP173か?」

「思考を盗聴したのか?」

「いや日頃の行いね。たまにサヤちゃんの尻とか触ってシバかれてるじゃんね」


 なるほど、こちらの劣情は全てお見通しのようだ。

 諸手を挙げて降参の仕草をすれば、しかしガーネットはどこか不満げに唇を尖らせ……、


「で?」

「『で?』とは。完成したのだから、食事の時間だろう」

「ヒントいち、今日のメニューは全部温め直せる。ヒントに、あたしはガッカリしている。ヒントさん、なんと既に風呂も沸かしてある」

「……」

「『で?』。はい、戦鬼くん♪」

「難しいな。どっちだ?」

「あ? 質問を質問で返すんじゃねェ。君のお母さんもそう言ってなかったか?」

「俺に母などいない」

「めんご」

「『台所で抱き締める』か、『風呂場で抱き締める』か。果たしてどちらが望みなのかとな」

「……ど~っちだ☆」


 いや、愚問だな。

 俺はグイと顔を近付け、その赤い耳に低く呟いた。


「この場で抱き締めながら、風呂場につれていくとしよう」

「っ、で、出た~! 酒上家家訓『二者択一は弱者の思考』や~!」

「ご不満が?」

「あるね。いつかぶっ壊してやろうと思ってたんだよその家訓」

「ふん、やってみろ」

「──台所なら裸エプロン」


 なっ。


「風呂場なら白ビキニ」

「っ!?」

「そしてなんと……ベッドには、この前公演終えて買い取ったステージ衣装が用意してある」

「なん、だと……!?」

「選ばせてやんよ。君は、どのガーネットちゃんとイチャイチャしたいかにゃ?♡ あ、もちろん一回きりの選択問題ね」

「はぁ……! はぁ……!」

「はい時間切れ。判断が遅い!」


 しまった──!

 それぞれ異なる衣装の彼女を想像していれば、間抜けにも時間の浪費を……!


「ケケケ、ダーリンにはちょっと難しすぎたかにゃ~?♡ ま、ま、そう甘い汁ばかり吸えるもんじゃないってことで」

「……もう一問出してくれ」

「えぇ~?♡ 判断力よわよわ戦鬼くん♡ じゃあもうちょい易しい問題出したげゆ♡ 三択ね」

「来い……!」

「ご飯にする? お風呂にする? それとも……あ・た・し?♡ あんっ♡」

「一択問題ではないか」

「……正解者には、裸エプロンガーネットちゃんが贈られま~す♡ やったね☆」

「では……」

「……お熱いうちに、め・し・あ・が・れ♡」


 そうして俺達はひたすらに、馬鹿のような乳繰り合いを繰り広げるのであった──……。

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