27 「正義ある者として──」
「ひぅっ」
「む?」
夕日の差す談話室に突如、メイドの小さな悲鳴と、絵本を勢いよくスパンと閉じる乾いた音が響いた。
「ど、どうしたのエリィ」
音に驚いた我がマスターも、常であれば切れ長の瞳を少し丸くしてメイドに声をかける。
夕飯前のこの隙間時間、窓から伝わる蝉時雨に心地よく耳を傾けながら読書をしていたというのに、唐突なこの異音……何事かと思うだろう。
この場にいるのは、紅茶を嗜みながら優雅に"らのべ"を読むリゼット、傍らに控えて茶を淹れる俺、そして最近絵本を読んで日本語を勉強しているエクスカリバーの三人。
カップをソーサーに置きしなパチパチと目を瞬かせるリゼットだが、一方のエリィはただでさえ白い顔を蒼白にして、ほぼ投げ捨てるに等しい勢いで放り出した絵本を指差している。
「どれ……」
気になった俺が、ご主人様の代わりにそれを摘まむ。頁の間にシラミでもいたか? エリィは虫が苦手だからな。
そう思い、パラパラと捲ってみるが……、
「ん? 何もおらんではないか?」
「ちが……い、いる……!」
チラリとエリィを見れば、トパーズの瞳に涙さえ浮かべてそんなことを言う。だからおらんではないか?
「おらんぞ?」
「い、いる……! いるぅ……!」
「ぬぅ?」
「……ジン、タイトル読んで」
なんなのだ。
すっかり恐怖したメイドを怪訝に思いつつ、俺はクルリと絵本を回す。現れた表紙の題は……、
「『い○の、い○いの』……?」
「……内容は知らないけれど、いたんじゃない? あ、待って。こっちに表紙見せないで。普通にこわい」
「いる──!」
なるほど。
どうやら姉上の貸し出した絵本の中に、怪談の絵本が混じっていたようだ。そうとも知らず読み進めたエリィが、驚いて悲鳴を上げていたというわけか。確かに表紙だけ見ても、独特な絵の質感をしている。これを読ませるのか……? 子どもに……? 人間の教育は時によく分からん方向を向くな。
解けた謎に鼻を鳴らしつつ、裏返して机の上に戻す。ついでに怯えるメイドの金髪をわしゃわしゃと撫で、片眉を上げた。
「仮にも祓魔師が、怪談を恐怖するものか? 悪魔と対峙するのと変わるまい?」
「あ、悪魔はっ……だいたいが人に乗り移っているのを祓うだけで……」
「実体のある者とているだろう」
「それでもっ、な、なんだか『ぬぅ……』っと出てくるのは違うだろう!」
「そうなのか?」
同じ外国出身ということでご主人様の方を見れば、彼女はしたり顔で腕を組み、何度も頷いた。
「エリィ……分かるわ。ジャパニーズ・ホラーって、なんか質が違うわよね。いつの間にかいるっていうか。意識の外から巧みに裏取りしてくるっていうか」
「り、リゼット……! 分かっていただけますか……!」
どうやらそうらしい。
エリィが同志を見つけたかのように目を輝かせ、対面に座るリゼットの手を握っている。こうして見ると服装も髪の長さも異なるが、お人形のような顔立ちと、同じ金色の髪も相まって姉妹に見えるな。背丈も同程度ではあるが、リゼットの方が高く、エリィの方が低い。リゼットが姉で、エリィが妹といったところか。なかなかに美しい光景だ。
吸血鬼と聖剣が手を取り合う図にどこか満足感を覚えつつ、俺は今一度、件の絵本に視線をやった。怪談か……。
「流し見た限りだが、確かに暗闇などにナニカを見出すのは、古来より人間の恐怖心ゆえか」
「だが実際に"いる"のは駄目だろう……!」
「また一つ人間の心を学べたようでなによりだ。とはいえ、実際の対処となると難しそうだが」
「……い、いない、だろう? その、絵本の中だけで……?」
「鬼という最強の妖怪を前にしてそれを言うのか?」
「……っ」
幽霊も悪魔も妖怪もいるというのに、なぜこれがいないと思うのか。そして、とみに恐怖を抱くのか。いや分かるぞ。
「特にこういった『都市伝説型の怪異』は、なかなかその全容が見えてこぬからな。不明というのは暗闇と同じで、それを見た者に恐怖心を植え付ける。なぜいるのか? なんのためにいるのか? 分からぬというのに……だが、そこに"いる"。それは確かに恐怖かもしれん」
「ねぇやめて?」
「ガクガク……」
ヒグラシの鳴き声と夕闇も相まってか、リゼットまで顔を青くした。我がご主人様におかれては、いまだホラーが苦手なようだ。
いつの間にか席を移動していたエリィとリゼットが肩を寄せて震えているのを見て、俺はクツクツと肩を揺らした。
「ふ、悪鬼からすればそこらの不快害虫と変わらんのだがな」
「不快害虫だって普通に怖いでしょ」
「十分怖いではないかっ」
乙女からすればそれもそうか……喩えが悪かった。
「ふーむ、似たようなものであれば『隙間女』などが有名どころではあろう。ああした扉や、ソファの隙間などを覗くとだな……」
「なんでしれっと怪談始めようとしてるの? それ以上言ったら泣くから。引くほど泣くから」
「対処方法はないのかっ! そもそも斬れるモノなのかっ!」
「悪霊や悪魔と違い、都市伝説型はそういった明確な部分が少ないところが厄介でな。方法はあるのかもしれんし、ないのかもしれん。見つけてしまうとどうなるのかさえ不明なモノもある。所詮は人間の創り出した与太話が源泉だが、それゆえ人の恐怖を悪辣に煽るという点においては素直に上手い部分もあり……」
「(無言でワイヤレスイヤホンを耳に突っ込むご主人様)」
「(あわあわしながら片っぽを借りようとするメイド)」
「ククク……」
二人の様子が愛らしく、つい舌が回った夕刻の一時。
「……む?」
そんな時間を挟みつつ──時は流れ、深夜。
夜型のお嬢様も今夜は『読みたい漫画の更新もないし』と早めに寝てしまった。ゆえにその下僕たる戦鬼も早めの終業である。
そうして自分の部屋に戻り、洋室の一部に敷いた畳の上にいそいそと布団を敷き、寝支度を整えていたところ……扉の外に、謎の気配が生じているのを知覚した。
(誰ぞ、おる……)
いったい誰だ。気配を殺し、なおかつ躊躇うように何度も往復する者は。
リゼットであれば、先程おやすみの口付けを交わして布団に入ったのを確認した。そもそもあのお姫様では気配を消すなどという芸当はできまい。刀花であればより上手く、獣のように気配を隠す。ティアも同様だろう。
(姉上……もしくは、)
あたりをつけようとしていれば、しかし控え目なノックの後に聞こえてきた声でその正体は知れた。
「……せん、ぱい?」
意外にもツンツンメイドであった。
心細ささえ宿しているその声に、俺は否もなく扉まで足を進め、扉を開けた。
「あっ──あ、いや……こほん」
俺の顔を見た瞬間、華やいで見えたような気がしたが、すぐにムスッとした不満げな表情に変化してしまった。
「……な、なんだ」
「いや……」
しげしげと見るこちらを、エリィは上目遣いで見上げてくる。
どこかジトッとした瞳につい首を横に振ったが……俺はその姿に、少々の高揚を感じていたのだ。
見るがいい。メイド服を脱ぎ、スポッと頭から被っただけの薄く白い寝間着用ワンピースには、華やかな花柄が躍り。隠しきれぬ不安を奥に、大きな瞳はうるうると潤み。細っこい素足はモジモジと絨毯に弧を描き。そして恥じらいに揺れる口許は、先日俺が贈ったペンギンの縫いぐるみをぎゅっと抱くことで隠されている。
およそ多くの日本人が思い描く、西洋の美幼女そのままの姿で立つエリィに、俺は少々胸をつまらせていた。やるではないか聖剣エクスカリバー! 俺が正義のロリコンでなければ、そのまま攫われていたぞ!
生真面目そうに切り揃えられた短い金髪がサラサラと揺れ、立ち位置からその小さなつむじさえよく見える。
そんな終業後の小さなメイドは、こちらから見下ろされながら身体をむずむずと揺らし……、
「……少し、邪魔をするぞ」
「構わんが……」
許せば、エリィはつかつかと我が自室へと入ってきた。まさか俺の部屋に一人で訪れてくるとは。このような事態は、ティアやエリィが引っ越してきて初めてのことだ。
ではなぜか? 果たして何用のことか?
「──」
それは……片手に聖剣を顕現させ、入念にベッドの下や箪笥と壁の隙間などにその切っ先を潜り込ませている姿から察することができた。
「我が王達の陣取るこのブルームフィールド邸に、低俗な妖怪の侵入を許すと思っているのか。この俺が?」
「っ、べ、別に……これは、そう、仮にも私の先輩にあたる者が、なにかいやらしいものでも隠していないかどうかのチェックで……」
刀剣図鑑などは、彼女達が越してきた際に捨てている。俺の部屋にはもう、刀剣幼女に見せてはならないものなど何もない。
鼻を鳴らして腕を組み、ひとまずエリィの好きにさせる。
部屋の安全を確認したのか、薄い胸を撫で下ろしたエリィは剣を消し、今一度縫いぐるみを両手で抱っこする。
だが、もちろん用件は別にあろう。この屋敷に唯一住む男である俺の素行調査などいつでもできるはずだ。
じぃとエリィに視線を注げば、彼女は頬を染め「あぁ……」だの「うぅ……」だの呻く。助け船でも出してやろうかと思うが、その恥じらう様を愛でたい欲求が勝った。
「……貴様が、悪いのだからな」
「ほう」
「わ、私は別に怖くはないのだがな? り、リゼットが怖がっていたというのに、貴様が話をやめないから……」
「ほうほう」
「そ、そうこれは、誇り高き聖剣として、その責務を果たすための巡回であり、決して、その、決して……」
「ほうほうほう」
「……………………せんぱい」
「なんだ?」
うるうる……。
「……一緒に、寝て、ください……だめ……?」
「っ」
やるではないか聖剣エクスカリバー!! 捨てられそうなチワワのような顔などしおってからに!! 俺が正義のロリコンでなければ──、
「おほん。それは構わんが、ティアはどうした」
「酒でつぶれて……」
それで最後まで起きているであろう俺のところに避難してきたわけか。今は許そう、ユースティア=ペルフェクティオ。
正義のロリコンとして努めて紳士に、俺は「なるほど」と何でもない顔をして頷いておく。俺のせいで恐怖している幼女を相手に、性欲を滾らせるほど下衆ではない。なぜなら俺は正義のロリコンだからだ。俺は正義を貫く。
風呂上がりゆえ艶めく金髪と、そこから香る花のような香りを漂わせる幼女に、俺は静かにベッドを指し示した。
「では、お前はベッドで寝ろ。俺はそちらの敷布団で寝る」
「えっ……」
なるほど──……同衾するつもりか──……。
一瞬で泣きそうになる後輩メイドに、俺は天井を見上げ己に問いを投げた。
酒上刃とはなんぞや? と。
答えよう。俺は、正義の、ロリコンである。
「……そもそもなぜ、ベッドがあるのにお布団を……?」
「ベッドで寝る時もあれば、畳に敷いて寝ることもある。どちらかと言えば畳を背にして寝るのが好みでな。柔らかすぎるベッドでは、どうも据わりが悪い」
「そ、そうか……お布団……」
興味を引いたのか、エリィは膝を折りペタペタと敷布団を触っている。この屋敷に最初から置かれていた広いベッドではなく、一人用でしかない小さな布団を。
「……電気を消すぞ」
「あ、ま、待って……これでよし」
「なにがよしだ? 畳にまばゆい聖剣なぞブッ刺しおってからに。消せ、眠れん」
「で、でも……!」
「──俺が、ずっと傍にいてやる。それで我慢しろ」
「あ…………(こくり)」
視線を下げ、小さく頷くエリィに満足して電気を消した。聖剣も消した。真昼より眩しくて眠れたものではないわ。
そうして俺は一足先に布団に潜り込み……ガバッと掛け布団を広げ、手招いた。
「そら、来い」
「……は、はい」
枕元にペンギンの縫いぐるみを優しく置き……しおらしげに、エリィもまた布団に小さな身体を潜り込ませた。
「……っ」
もちろん一人用の狭い布団のため、身体が密着する。てっきりこちらに背を向けて寝るものかと思えば、しかしエリィはこちらを向いているのだからたまらない。
熱した頬をこちらの胸にピトっと当て、スカート部分が捲れて露出する真っ白な太股や二の腕までも、こちらの素肌に触れさせて。
(いかんっ……)
この密着度では、もしも俺が不埒な考えを抱こうものなら即座にバレてしまう。そうなってしまえば『無双の戦鬼は"まっちぽんぷ"で幼女を手篭めにする悪のロリコン』という謗りを免れまい……!
なぜか赤い顔のまま、ぽ~っとした様子でこちらを見つめ続けるエリィ。だが俺はいつもの空気に戻すべく、唇を挑発ぎみに曲げて言った。
「なんだ、おやすみの口付けでも欲しているのか?」
「………………ん」
なるほど──……ご所望か──……。
目を閉じて、いとけなく顎を上げる可愛い後輩メイド。
「ん、あ……?」
しかし俺は額を隠す金髪をかき上げ、つるりとしたおでこに唇を落とすだけに留めた。なぜなら俺は正義のロリコンだからだ。えぇい! 不満げな顔はやめろ!
「寝ろ」
「眠れなくなるような話をしたのは誰なんだ」
「俺だ」
「……責任、取ってください」
どうしろというのだ。今夜だけでも正義のロリコンたらんとする、この俺に?
「……ぎゅって、してほしい……」
「ッッ」
俺は正義のロリコンなのだ──!
たとえ間違いから始まった関係であろうと、間違い続けていい理由には決してならない──!!
(人間という、生き物は……!)
いつでも──やり直すことができる──!!
「ぬぅ……これでいいか」
「あ……ぁぅ……」
くっ、なんと小さな身体だ聖剣エクスカリバー!
我が王達にはないこの薄さ! 折れてしまいそうな細さ! この華奢さが庇護欲と少々よくない欲求を掻き立てる! きちんとご飯は食べているのか聖剣エクスカリバー! おかわりはどんどんしろ!
「……せ、先輩は昼間に『対処方法はあるかもしれんし、ないのかもしれん』と言っていたが……」
「む? ああ」
いじらしくこちらの襟を小さな指で摘まむエリィが、そんなことを口走る。なんだ、除霊の話か? それならば些かの気は紛れよう。
「~~~っ」
しかしエリィはなぜかますます頬を赤く染め、蚊の鳴くほどの声量でポソポソと言った。
「インターネットを見ていれば、か、書いて、あったぞ……じ、除霊の方法が……」
「……どのような」
「っ……ぇ、ぇっちなことを、すれば……逃げていくって……」
「──ッッッ」
"いんたーねっつ"は悪いことばかり書かれている……!
俺が『人類に"えすえぬえす"は早すぎたのだ……』と嘆く間にも、切なそうに瞳を細めるエリィが、こちらの唇に吐息すらかかるほどの至近距離まで迫り──、
「せんぱぃ……? ぇっち……♡」
蕩けてしまうほどに優しく抱けば許されるのでは?
「くっ……!」
やめるのだ悪のロリコンよ!
俺は! 正義の! ロリコンなのだ──!!
「──ならば他にも、書かれていたはずだろう」
「え……?」
ガーネットから教わった"アレ"を試す時が来たか。
心細そうに言うエリィの指を優しくほどき、布団から這い出る。
──そして和服を、床にパサリと落とした。
「あ──」
露になる俺の裸体に、エリィはかすかな吐息を漏らし……モジモジと、己のパジャマに手をかけようとする。
だが──俺の次なる行動に、その動きは凍ってしまった。
俺は丸出しになった尻を突き出し──、
「びっくりするほどガーネット! びっくりするほどガーネット!」
「??????」
白目を剥きながら己の尻をパンパン叩き、何度もそう唱えながら跳ねる! これこそがガーネットより教わりし、古式ゆかしい除霊方法である……!
「びっくりするほどガーネット! びっくりするほどガーネット! どうだエリィ、除霊できている感じがするか!?」
「…………」
「びっくりするほどガーネット! びっくりするほどガーネット! そいそいそいそい!!」
「………………先輩の、意気地なし」
「びっくりするほど──何か言ったか」
「……馬鹿って、言った。おやすみなさいっ」
「びっくりするほど──!!」
そうして己のケツをしばく音に何か大切な文言を聞き漏らしながらも……。
俺は最後まで、正義のロリコンとしての矜持を保ったのであった。
そう、『正義のロリコン』として──────。
「ジ、ジン……? なにしてるの……?」
そんな奇祭は、同じく昼間の恐怖に駆られたご主人様が、寝室に来るまで続けられた。あのままエリィを抱いていれば、危なくリゼットに見られ『最悪の結末』を迎えるところであった……。
(ありがとう、正義のロリコン。去れ! 悪のロリコンよ!)
……なお、
「って、あら? エリィ……?」
「あ、リゼット……」
「……へぇ~~~? あ、そう……」
なお俺は『ご主人様より小さい金髪の女の子を寝所に連れ込んだ罪』により、血祭りとなったのだった。




