23 「嘘は言っていない」
武者修行に出かけた刀花と、付き添いの姉上の帰りが遅い。
そろそろ日本時刻では夕餉の献立を決めねばならん時間だが……それに関する書き置きも見当たらない。さりとて、二人から悪感情が流れ込んでくるわけでもなく、窮地に陥っているようでもない。
「少し見てきていいか、マスター」
「ん~」
大画面テレビに映るゲームから目を離さず、我がご主人様は気のない返事で眷属を送り出す。夏休みも終盤だからな。旅行や遠征もあり、娯楽の消化にも追い上げがかかっているのだろう。夕餉の時間は多少遅くなっても大丈夫そうだ。
「さて」
改めて、二人の気配を探る。
武者修行と称した、名だたる世界強豪達へのカチコミだ。今はどの国にいるのだろうか。上から探るか。
「ん──」
鉄壁のいる米国……にはいない。切れ味鋭い一閃の残滓のみがあるということは、およそ一撃で鉄壁の楯を撫で斬りにし、決着としたのだろう。その後姉上と、厚い肉がたっぷり詰まった本場の"はんばーがー"を食べに行ったと推察される。
「ん~……」
会議のため帰国しているティアとエリィのいる和地関、及び伊太利亜……にもいない。戦闘の痕跡もないことから、さすがに仕事の邪魔はしたくないと遠慮したのだろう。だが滞在の痕跡はあるため、チーズとベーコンのたっぷり乗ったピザを姉上と睦まじく食べに行ったと推察される。俺も行きたかった。
「むむ……?」
続いて人斬りのいる京都、ドラ娘のいる中国、パン屋のいる仏国、時の魔法使いのいる東京都港区三田、カレー屋のいるインド、博打打ちのいるドイツも、戦闘の痕跡と名物を食べに行く流れが残るのみ。だが……、
「む……」
最後に探る地──英国、ブルームフィールド領。
最強の吸血鬼にしてリゼットの父、アーカード=ブルームフィールドが居を構える地に、二人の気配があった。奴にはあまり良い感情を抱いていないため、俺も思わず眉を寄せる。厄介なことになっていなければいいが……。
「……では、少し行ってくる」
「ん」
一瞬、リゼットに報告すべきかと迷うが、やめておいた。彼女も『同級生とその姉が、自分の父親と接触している』と言われても反応に困るだろう。刀花も、話したいことがあればリゼットにそのまま伝えるだろうからな。今は波風は立てまい。
「──」
ズブズブと影に溶ける。そうして影を媒介にした跳躍術にて、瞬時にブルームフィールド本邸……気配のある応接室に姿を現せば──、
「こちらが三歳のリゼットです。可愛いでしょう?」
「目付きがまだ優しい時のリゼットさん! むふー、可愛いです♪」
柔らかいソファに並んで座り、なにやらアルバムを覗き込む刀花と伯爵夫人の二人。そして、
「チェックメイトですね? 伯爵」
「……うぅむ」
盤を挟んでチェスを嗜む姉上とアーカードがいた。
「……負けた」
金髪を後ろに撫で付け、天を仰ぐアーカード……その服装もなぜかボロボロであることからして、ちょうど酒上姉妹による蹂躙が完了したところに居合わせたようだ。無論のこと、姉上と刀花には傷一つ付いておらず、微笑みさえ浮かべて出された紅茶を楽しんでいた。
部屋の隅に落とされた影から出現しつつ、俺はなんと言ったものか迷いながらも声をかけた。
「……そろそろ、日本に帰る頃合いではないか」
「あ、兄さん! 出張お疲れ様でしたっ♪」
「お帰りなさい、我が弟。首尾よくいったようでなによりです」
こちらの姿を認めた刀花はニッコリと笑って労をねぎらい、姉上もまたじんわりと瞳を優しく細める。二人の笑顔が見られるだけで、頑張った甲斐があるというものだ。
俺もまた唇を綻ばせていれば、唐突に出現したこちらに驚く様子もなく、アーカードが天を仰いだまま、視線のみを怪訝そうにこちらへ向ける。
「……出張? サル、貴様働いていたのか」
「ピチピチの学生だが。生き汚ないダニに言ったところで理解できるかは分からんが、少女達と永遠を歩むため、仏教における地獄で徳を積んできたところでな。これも我が真実の愛のため……」
「我輩は日本語も習得しているが、本当に理解のできないことを言うな頭が痛くなる」
「それにしても良い格好だな、ダニ。英国ではボロを纏ってチェスを打つのが流行りなのか?」
「……我が娘の学友と、多少の親交を深めた結果だ」
「ほう?」
存外、落ち着いた声色に眉を上げる。意外だな。
「常から日本人への差別を隠そうともしない態度からして、我が家族を邪険にするかと思ったものだが」
「貴様は我輩をなんだと思っている。この星の覇権を握る人間と、日々減少していく吸血鬼という種族との橋渡しを担う男だぞ。加えて、アレが普段から世話になっているというのだ……そんな者達を相手に、茶の一杯、チェスの一戦すら渋るようであれば、陛下から賜った爵位にもとる。紳士の風上にもおけんだろう」
「ご立派だな。つまりは、俺のみを差別していると?」
「そうだが?」
駆除すぞダニが。やはりこの男は好かん!
視線でバチバチと火花を散らしていれば、嫋やかにカップを置く姉上が「こーら」とやんわり嗜める。
「いけませんよ、愚弟。伯爵は多忙の身にもかかわらず、こうして私達のために時間を取ってくださっているのですからね。それも刀花ちゃんとの決闘のみでなく、私とのチェスまで誘っていただいて……」
「チェスは我輩の趣味でな。デキる者には鼻が利き、そうなると一戦交えねば気が済まん。こちらこそ、不格好な手ばかり指してしまい申し訳なかったレディ。そちらの美しい手筋に、我輩も恥じ入るばかり。基本に立ち返り、腕を磨いておくとしよう」
「まぁまぁご謙遜を。こちらこそ、良い頭の運動になりましたわジェントルマン。身近にこれほどの打ち手など、なかなかいないものですから。とても楽しい時間でしたわ」
「ふ……そちらさえよければ、いつでも相手になろう」
良い勝負の余韻に浸り、笑みを交換する二人だが……弟として気に入らんな!
「次は俺が相手をしよう」
「やめておきなさい、愚弟。お前ではクイーン落ちでも負けるでしょうから。お姉ちゃんに、弟が情けなく負ける姿など見せないでくださいね?」
「レディの美しい棋譜を、貴様の排泄物で汚そうとするなサル」
もう知らん!
ダニのみならず、姉上にまで力不足だと思われた俺は「ふんっ」と鼻を鳴らし引き下がった。命拾いしたな。俺を追い詰めた暁には、我がご主人様直伝のちゃぶ台返しを披露してやったものを!
そうして二人が和やかにリゼットの近況について話し始めるのを尻目に、俺は窓辺のソファに座る二人の方へと歩みを寄せた。
「刀花はなにをしているのだ?」
「リゼットさんの小さい頃のお写真を見せてもらってました!」
「ご機嫌よう、無双の戦鬼様。あなたもご覧になりますか?」
「む、ああ……失礼するぞ、ご夫人」
はしゃぐ刀花と、その隣で気品のある笑みを浮かべる伯爵夫人。若者の血のように鮮やかな色合いの赤髪が印象的な、黒のドレスに身を包む女性だ。あのダニと違い、礼節は弁えているらしい。周囲の背筋を自然と伸ばさせる気品と、女性らしい柔らかさを同居させている。魔性の者が持つ、特有の色気も。さすがは人妻といったところだな。
夫人を妹と挟む形でソファに座り、夫人に小さく目礼して言う。
「確か名はエリザ……だったか? 妹が突然お邪魔をしてすまなかったな」
「ふふ、いいえ。この人も抱え込むタイプですから、良いストレス発散になったと思いますよ。リゼットのことも聞けて、私も楽しいですし」
「ん……」
この夫人は、アーカード=ブルームフィールドの正室。そしてリゼットの母、シャルロット=ブルームフィールドの学友だったと聞いた。
その微笑みを見るに、これまでのリゼットの境遇に思うところがあったのだろう。同じ男に嫁ぐほどの友、その忘れ形見となれば尚更に……本当は、自分の娘のように愛したかったのかもしれん。
微笑みの中に僅かな翳りを見せながら、夫人は愛おしげにアルバムのページを捲って問う。
「リゼットはどうですか? 殿方から見て、あれから元気に過ごしているでしょうか」
「む? う、うむ」
今日も元気に"まっちんぐ"した対戦者相手にキレていた……と、伝えるべきだろうか。情報開示の線引きが難しい……。
「こほん。それにしても、マスターの写真だが残っているものなのだな。てっきり、あまり撮ってはおらぬものだと」
「心苦しいことですが、あの子はそう思っているでしょう。いつか真実を知った時、額を土につけるつもりです。その時には刀花さん、きっとあの子を慰めてあげてくださいね」
「かしこまりました! まぁどんな秘密なのかは知らないのですがっ。でもどんな秘密でも、私はリゼットさんの味方です!」
「……ふふ、ありがとう」
セーラー服越しに豊かな胸をポヨンと叩く刀花を前に、紅い瞳に輝く涙が垣間見えた。もちろん俺も泣いた。刀花は俺の、自慢の妹だ……!
夫人と共に目の端を指で拭っていれば、刀花は嬉しげに言葉を続けた。
「むふー、この前にもですね、兄さんと私と三人でラブホ──」
いけない!
「おっほん! "仲良く遊んだ"のだったな、刀花?」
「? はいっ、たくさん仲良ししました!」
「あらあら。あの子は母に似て少し体力がなくて部屋に籠りがちだったから、外に連れ出してくれる友人がいてよかった」
「お外? いえ、いっぱいナカに──」
「それにしても愛くるしい写真ばかりだな! ご母堂が健在の頃に撮られた写真だからだろうか!!」
「そ、そう、ですね……?」
刀花は自慢の妹だが、隠し事ができぬのが玉に瑕だ……やはりまだリゼットの秘密は話せんな……。
こちらの大声に少し引いた様子の夫人だったが、気を取り直し、憂うかのように頬へ手を当てる。
「シャルがいなくなってから、それとなく様子は見ていたつもりだったのですが……留学してからは、あまりそういったこともできず。日本の夏はツラいものと聞き及んでいますが、どうですか? ご飯はちゃんと食べていますか?」
「む? そう、だな……」
チラリと横を見れば、愛娘の普段の生活が気になるのかアーカードまで聞き耳を立てている。ここは我がご主人様を立てる回答をすべきところだろう。
刀花が正直に答える前に、俺は和服の袖を巻き込み、腕を組んで告げた。
「無論、三食きちんと摂っているとも」
「ほ……安心しました」
ああ、三食は食べている。嘘は言っていない。
この前は"ぷりき○あ"のカードが封入されたパッサパサの焼き菓子を「これも大友の責務……!」と苦しそうにモソモソ食って一食を消費していたが、きちんと食べているとも。だが「お腹いっぱいだからご飯いらないかも……」と姉上に伝えるのはやめてやってくれ。お姉ちゃんが悲しんでいるぞ。
「学校生活はどうでしょうか。ヒトに紛れるべく、夜間でなく昼間制のハイスクールにしたのがいまだに心配で……」
「うむ。我が妹をはじめ、気の置けぬ友人もおる。放課後には共に街へ遊びにも行っているな」
「まぁ! ほら、この人のかけたオーダーのせいで、吸血鬼社会に馴染めなかったから……楽しくしているみたいで、よかった……」
嘘は言っていない。
ただその友人の一人が露国の美少女諜報員で、秘匿の多い吸血鬼界隈の事情を時折抜かれているだけだ。それを抜きにすれば、関係は良好ではある。
「お金は足りているようですか? 送り出す際、カードは持たせたのですが……」
今日も元気に『てんじょう』までゲームに課金していたぞ。むしろ使い過ぎて小言でも言われるかと──、
「月の支払額を見てもあまり使っていないようでしたから、少し心配で……」
この辺りは庶民との違いを感じた。
「……まぁ、なんだ」
「はい?」
ほう、とため息をつく色っぽい人妻に唸る。
「そのうちにでも、日本に来て会ってやるといい。案内などが必要であれば、俺が供をしよう」
「まぁ……ふふ、デートのお誘いですか?」
ッ!!
「ふ──そう思ってくれて構わない」
「兄さん?」
「愚弟?」
「え、エリザっ!?」
「あらあら、こんなおばさんに……いけないわ、ミスター♪ あの人って昔からず~っとカタブツだから、つい乗ってしまいそう。ねぇ、あなた? どうしましょう♡」
「表に出ろサル! 人の妻に手を出さんとする色情狂がァ!」
「阿呆か? 人の妻だからこそ手を出すのだろうが」
「貴ッ様ァ!!」
「クハハハハ! 来い、ダニ風情が!」
「やれやれ……よほど伯爵が嫌いなのですね、我が愚弟は」
「妹も混ぜてく~ださいっ♪」
そうして剣を交えながら、ふと思う。
我がマスターもいつかはこうして、己の父と、そして母代わりの者と、気兼ねなく接することのできる日が来るのだろうと。今は俺達が、その土台を作っている。いつか必ず来る日のために。
そんな時間を過ごし、帰国した俺達がブルームフィールド本邸での出来事を大まかに伝えたところ……、
「ふぅ~~~ん……?」
「まぁまぁ、リゼットさん……」
その少し打ち解けた空気を感じ。
可愛いご主人様は一人の年頃の娘の顔で、嫉妬する姿を見せてくれるのだった。
うむ。きっと、良い娘に育っているぞ。




