第84話 姉とのこれから
「えー?! 灰琉先輩と面会できないの?! 折角来たのに?!」
あの後、琥白と一緒に病院までやってきたのだけれど、灰琉との面会は止められてしまった。
「ごめん……そうみたい。まだ家族以外との接触は避けた方がいいって……」
相談した主治医にそう言われてしまっては、私達にはどうにもできない。琥白は半泣きになりながら、あうあう言っていたが、やがてすとんとしょげてしまった。
そのまま、病院のエントランスで、どことなく所在なさげにしていると、ふっと近寄ってくる影が視界に映った。
「よーう、いたいた。あけおめー」
声に引かれてそちらを見ると、白乃さんがいつもの調子で、穏やかな笑みでこっちに手を振っていた。相変わらずというか、なんというか、いつも通り自然体な人だ。
「ああ……そういえば、新年初ですね。明けましておめでとうございます」
軽くそう応対すると、琥白ははっとして、おずおずと私に頭を下げてくる。そういえばこっちも、明けましては言ってないね。
「ん、今年もよろしく。……で、途中から聞こえてたんだが、灰琉とは面会できない感じか?」
そう言いながら白乃さんは弄るように、琥白の頭を撫でる。琥白はそれに、どこかうろんな瞳を向けていた。
「…………みたいです。まだ家族以外と接触したら、負担が大きいだろうって」
そうやって告げる私の言葉に、白乃さんはうんうんと頷いていた。まるでそうなることが分かっていたかのように。
「…………ていうか、しの姉。生徒会のみんなと来るんじゃなかったの?」
そんな琥白の言葉に、白乃さんは軽く頷いて、肩をすくめた。
「ん? まあ、今後の相談はしてきたさ。お見舞いはそれこそ、大人数じゃ負担になるだろうから、代表で私だけのつもりだったけど」
なるほど…………相変わらず、気遣いの出来る人だ。軽薄なのが玉に瑕だけど。
「そうですか……生徒会のみんな、何か言ってました? 私、大分無茶なお願いしちゃってるかも」
多分、三学期は結構迷惑をかけることになるから、そこは少し気がかりだった。そんな私の言葉に、白乃さんはしたり顔で、にやっと笑う。
「いいや? 全員、ただただ、お前と灰琉のこと心配してたよ。迷惑なんて気にするなともな。そもそもお前、二学期働き過ぎだったしな――」
そんな白乃さんの言葉に、思わず私はうっと黙ってしまう。まあ……二学期ちょっとやりすぎたのは、私も反省してる部分ではある。他のみんなの仕事を多少奪ってた節すらあるし…………。
そんな私の様子を、白乃さんは満足げに見つめると、ぴっと一つ指を差してきた。それから、さも当たり前のように言葉を続ける。
「―――それと、黒江。お前、三学期は灰琉にかかりきりでいいぞ?」
そうして告げられた言葉の意味を、一瞬、図り損ねた。
「えと…………白乃さん、それ具体的には?」
かかりきりって言っても、そんな全部を、皆にやってもらうわけにもいかない。
「えーと、……来季の予算は全部柿崎に投げていい。卒業式と入学式の準備とか、備品リスト作成も川口が代行する。部会の招集・部屋取り、他雑事は木瀬がやる。新歓は……とりあえず私がやるわ。体育祭以降は手が空き次第追々って感じかな」
思わず、言葉が喉で詰まった。言われたそれは、私が本来するべきことの、九割方を占めていた。
「いや、さすがに、そんなにお任せするわけには…………」
いくら家庭の事情とはいえ、ほとんどの仕事を、みんなにお願いすることになる。仕方のないこととはいえ、さすがに迷惑なんじゃ。
そう言いかけた瞬間に、ぽすっと弱めの手刀が、私の額に振ってきた。白乃さんは、軽く欠伸をしながら、なんてことはない表情を私に向けていて。なぜかついでに、琥白も私に手刀を当てていた。
「問題ない。手が足りなかったら、他の部活や委員会にも手伝わせるしな。幸い、お前が二学期に作った貸しが、あちこちに山ほどある。お前が困ってるってなったら、大体は、喜んで協力するだろうよ」
そうして言われた言葉が、まあ妥当であることはなんとなくわかる。白乃さんは、そこらへん、現実的に出来ないことは言わない人だ。この人が出来ると言ったら、多分、出来るのだろう。ただ、なんとなく、今までの自分の感覚と違いすぎて、現状を上手く理解できない。
「…………ああ、でもあれだ。打ち合わせくらい、顔出せよ。そんで愚痴の一つくらい吐きにこい。なんなら灰琉も連れてきていいしな。柿崎と川口が、多少は勉強見てやれるはずだから」
「そこは、しの姉が見るんじゃないんだ」
「そりゃあな、琥白は私の成績知ってるだろ?」
「うん、お世辞にも、生徒会長とは思えない成績してるよね」
「褒めるな、褒めるな」
「ほめてなーい」
そんな八木原姉妹のやり取りを、私は思わずぼーっと、ただ見つめてしまう。
…………事実上、私は三学期、副会長という役割を、放棄してもいいって言われてるのか。
ここ数日、その役割と今のはるとの生活を、どうバランスとるか、ひたすらか考え続けていた。だから、ありがたいことにはありがたい。
でも、本当に、そこまでの迷惑をかけていいのかが、どうしてもうまく自信が持てない。
本当に、私は、そんなに誰かに、頼っていいんだろうか。
「白乃さん……でも、やっぱり」
そう口から、声が零れた瞬間に。
「―――不安か?」
白乃さんは静かに、そう告げていた。私の眼をそっと見返しながら。
思わず、少し押し黙る。
「いつか言ったと思うが、私は今の役員は、お前をサポートできる奴らを選んでる。言い換えるなら、お前が仮にぶっ倒れても、ちゃんと代わりが出来る奴らを選んでるってことだ。でないとサポートにならんからな?」
言いながら白乃さんは、じっと半眼で私のことを見つめた後、にやっと意地悪気な笑みを浮かべた。
「それともあれか? 信頼できんか? 私らじゃ力不足だと?」
そうして告げられた言葉は、さすがにぐうの音も出ないというか。出せないように言われているというか。
私は諦めて、両の手を上に広げた。
「それ言われたら、何も言い返せません…………」
そんな私の答えに、白乃さんは満足げに頷いていた。
「そうしとけ、お前は、一回、人に任せることを覚えた方がいい、それに―――」
そうやって、何も言えない私を、脇の琥白はにやにやと笑いながら見つめてて。
「―――誰かに任せるって言うのも、結構勇気がいることだからな」
結局、その後、はるの所に行くまで、何とも居心地の悪い感じがした。
肩の荷が下りたというか、強盗のように、みんなに奪われていったというか。
いまいちの心の整理がつかないまま、はるのところに向かう私へ、二人は笑って手を振っていた。
※
病室で膝元にくるまるはるの頭を撫でながら、その柔らかい髪の感触を感じながら、ぼんやりと考える。
やるべきこと、やるべきこと、やるべきこと―――。
つい昨日まで、山のようにあったはずのそれが、馬鹿みたいに一瞬でなくなってしまった。
…………いや、もちろん、本当は何もかも無くなったわけではないけれど。肩の荷は確実に少なくなった。
重みにつぶされて転んでいたら、通りすがりの色んな人に、あっというまにそれらを追いはぎのように持っていかれたみたい。
安心感と同時に、これでいいのかなという不安も少しある。
何かをしている間は、少なくとも、自分が何者かであるという実感が確かにあった。
でも、何もしなくてよくなった時、私はそれに耐えられるんだろうか。
するべきことをしなくてよくなったときに、私は私の価値を信じられるんだろうか。
心の中に浮かぶのは、幼い頃の微かな情景。役に立たなければ、存在する意味がない……そんな親父の言葉から、独り立ちはしたはずだけれど。
心の奥では、まだ少しだけ、不安が募る。
目をつぶる、はるの頭をそっと撫でた。こうしている間は、この人に求められている間は、私の存在にも意味があるのだろうか。逆にもし求められなくなってしまったら…………。
終わりのない思考がぐるぐる回る。そんなこと、考えてもきっと何にもならないのに。
「………………黒江?」
そうしていたら、ふっとはるの目が私を見上げた。何かを窺うように、私のことを静かに見つめてる。
「…………なんでもないよ」
そう告げた。これは、今のあなたに口にするような、言葉じゃないから。
だって、あなたは記憶を失って、幼くて、不安で、心細いのだから。
私の余計な痛みを背負う余裕など、どこにもないのだから。
だから――――。
「………………ほんとに?」
「……………………」
「…………なんか、泣きそうな顔してる?」
「……………………そう……見える?」
「………………うん、なんとなく……だけど」
「………………そっか」
言葉と一緒に息を漏らした。
まだ、それをあなたの前で、晒すわけにはいかない。
だって、あなたは不安なのだから。だって、あなたは幼いのだから。
だから。
「………………泣いてもいいよ?」
「………………」
「…………記憶がない私なんかじゃあれかもだけど」
「………………」
「その…………泣いたら、ちょっとすっきりするんだ」
「………………」
「辛くて、苦しくて、悲しくて……冷たいのは変わらないけど」
「……………………」
「泣いたらね……心の中に抱えた、そういう嫌なのが、ちょっとだけ……なくなる気がするから」
「………………」
「だから……えっと、私なんかの前でよかったら…………」
「……………………」
「………………泣いてもいいよ?」
きっと。
きっと、あなたは、全てを忘れてしまっても。
もし、私たちが何も知らずに、また出会っても。
あなたはきっと、それでも、私の心に気付いてくれると想うんだ。
ねじくれて、素直じゃなくて、すぐに隠してしまう、こんな私の想いも。
あなたはきっと、気付いてしまうと想うんだ。
あなたと、言葉を交わした最後の夜。
そんなことを、二人で笑い合っていたっけね。
それはもう、この世界で私しか、覚えていない記憶だけれど。
それでもきっと、あなたは私を見つけてしまうんだ。
だって、幾ら想い出を失くしても。
あなたはずっと、あなたのままなのだから。
そうして、きっと。
私はまた、そんなあなたに恋をするのでしょう。
たとえ、あなたの心から、私がいなくなっても。
何度も、何度も。
あなたを好きになってしまうんだ。
何も言わないまま、私の頬に伸びたあなたの手を、そっと握った。
そのままその手を、抱きながら、静かにゆっくり眼を閉じる。
祈るみたいに、願うみたいに。
何も言わないあなたの腕に。
そっと静かに傅いた。
ぽつっと小さな音がする。
一粒だけ、小さな雫が、落ちた音だった。
※
そうして一か月、時間が経った。




