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もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
第8章 わたしとあなた

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第85話 私と誰か

 目が覚めると、そこは10年後の世界。


 6歳より後の記憶を全て失って、私だけが何も知らない。


 そんな、物語でありがちな出来事を経て、およそ一か月の時間が流れた。


 事故から二週間ほどたった辺りで、退院の許可が下りて、それから私は学校に通いだしていた。


 初めて行くときは、どうなるんだろう、なんて思われるんだろう、怖くて怖くて仕方がなかったけれど。


 実際、蓋を開けてみれば、HRで事情の説明をして、その直後に多少クラスメイトに話しかけられただけで、起こった出来事はそれくらい。


 クラスのみんなは、私がいてもいなくても、大して変わった様子も無いみたいで、私はそんな現況になんとなくほっとしてた。


 だって、幼稚園の頃、散々見てきた光景だから。きっと、高校生になっても、私は大して友達もいなかったのだろう。


 交わされる会話は、たまの世間話と、教科書のわからないページを聞くくらい。


 少しがっかりはしたけれど、同時に妙な安心感も覚えてしまう。まあ予想通りってかんじだったからかな。普通未満のいつもの私だ。


 ただ、少し予想と違ったのは、私が文芸部の部長なんてやっていたこと。そして、そこに元気な後輩がいたことくらい。


 琥白ちゃんというのが、そのくりくりした髪の後輩の名前だった。


 初めて会ったときは、えらく泣かれて、困って黒江に助け舟を求めてしまったっけ。


 それからは、一応、文芸部に顔は出しているけれど、何をしていいのかは正直よくわからない。昔の私は、小説か何かを書いていたようだけど……。


 一度、昔のデータをちらっと見たけど、自分が書いていると思うと、なんだか急に恥ずかしくなって、まともに見られなかった。黒江も琥白ちゃんも、いい話なのに……なんて言ってたけれど、果たしてそんなにいいものでしょうか。投稿サイトのブックマークは、お世辞にも大した数字じゃなかったけどなあ……。


 後は偶に、黒江と一緒に、生徒会に顔を出したりする。


 黒江は実は、生徒会の副会長らしくって、その打ち合わせとかがあるんだって。私は、勉強の分からないところを、ついでに見てもらいに行ってた。


 川口さんも、柿崎さんも、同級生とは思えないくらい大人で親切で。木瀬くんは、いつも無言でお茶を出してくれる。琥白ちゃんのお姉さんで、生徒会長らしい白乃さんはいつも奥の椅子でにやにやしてるけど。


 生徒会での黒江は、少し肩の力が抜けた感じで、年相応の女の子のように見えた。…………逆に言えば、私の前では、多分、気を張って頑張ってくれているのかもしれない。


 家では、お母さんがたまに帰ってきて、その度に、ご飯をいっぱい作ってくれる。


 いつも、私も黒江も食べきれないような量を作って、ちょっと困ってしまってるのは二人だけの秘密。


 え、10代だしこれくらい食べるでしょ? って言って、お母さんは、不思議そうに首を傾げるから。私たちは苦笑いを浮かべることしかできないでいた。


 そんな風に、日常は続く。


 たとえ10年という、あまりに長すぎる時間を失っても。


 昨日が過ぎて、今日が来て、やがて明日になる。


 淡々と、まるで、歯車を回していくように。


 ………とはいっても、10年前の私から見れば、これは手に余るほどの幸せな時間のはずだ。


 学校ではあまり友達はいないみたいだけれど、それでも、気に掛けてくれる人はいて。


 家に帰れば、家族が温かく笑ってる。夜眠る前には、誰かとおやすみを言い合える、そんなずっと望んでいたはずの情景。


 これは、確かに6歳の私がずっと夢にまで見たような日常、それそのもののはず。


 そのはずだけれど。


 どうしてか、胸の奥では、ずっとどこか大事なピースが欠けているような、そんな微かな寂しさばかりが募ってた。


 おやすみ、とお母さんと言い合って。


 おやすみ、と黒江に手を振って、


 独り、ベッドに入った中で、なんとなく両の手を、ぎゅっと握った。


 喉のあたりに小さな穴が開いてるような、冷たさと、微かな痛み。


 何もかも足りているはずなのに、何かが足りない。


 それは、私が失くした10年の中に、あったはずの何かのせいなのだろうか。


 それとも、17歳の私も持っていなかった、何かせいなのだろうか。


 満たされているはずの、今の時間に、それでも足りない、そんなぼやけた何かを。


 私は、少し冷たい布団の中で、いつも宛てもなく探してる。


 まるで、本当は、そこに握っていたはずの手が、どこかにあったみたいに。


 自分が、何を失くしたのかすら、知らないまんま。


 胸に空いた、微かに欠けたような痛みを。


 ただ、感じることしか出来ないでいた。















 ※


 「はる、お待たせ、帰ろ」


 放課後の文芸部の部室、琥白ちゃんと一緒に、部の備品の小説を読んでいた頃。


 扉が開くと同時に、そんな風によく通る声がして、私ははっと顔を上げた。


 部室の入り口には、黒江が鞄を手に、私に向けて微笑んでいた。それを確認して、私はそそくさと、帰る準備を始める。


 とはいっても、読んでいた本が一冊あるだけだから、あまり片づけるものもない。文芸部にいるのも、ただ独りで帰るの心細いから、いつもこうして黒江を待っているだけの側面が強い。


 そんなふうにしていると、なんだか昔、田川さんの迎えが遅くなったときに使ってた、託児所みたいだ。琥白ちゃんは後輩とはいえ、今の私よりはしっかりしてるから、実質、面倒を見てくれてるようななものだし。


 「あー、黒江きたの? って、もうそんな時間か。結構、読みふけっちゃった」


 「そーだよ、琥白。今日、何か変わったことあった?」


 「んー……、いや多分ない、灰琉先輩と一緒に本読んでただけだし」


 「そう、了解。いつも、ありがと」


 そんな二人のやり取りを聞きながら、私は鞄を抱えたまま黒江をじっと見る。


 そうして、黒江の視線がこちらに向いた段階で、そっとその手を握った。


 …………高校生としては、多分、子どもっぽいことだと思うけど。


 なんとなく、こうした方が安心するから。


 細くて柔らかい、黒江の指を重ねるように、ぎゅっと握る。


 そんな仕草が、尚のこと子どもっぽいかなとは、思うんだけど。上手く止められない。


 だけど黒江は何気ない表情で手を取ると、改めて琥白ちゃんに手を振った。


 「よし、じゃあ帰ろっか。ばいばい、琥白」


 「ん、ばいばーい。灰琉先輩も、さようならー」


 「………………さようなら」


 なんとなく、ぺこっと頭を下げると、琥白ちゃんはちょっと苦笑いを浮かべてた。


 …………本当は、年上なのに、変だったかな。そう思ってみるけれど、どうしたらいいのかもわからない。先輩ってどんな顔をしていたらいいんだろう。そんなことを、考えかがら、部室を後にする。


 そうして、一段と冷える廊下の中、黒江と二人で、こつこつと音を立てながら歩いてく。


 「はる、今日はどうだった?」


 くろえは半歩だけを前を歩きながら、そんなことを尋ねてきた。


 「…………いつも通り、かな。授業分からないから、ノートだけ取って。後は放課後、本読んでた」


 そうやって返す自分の言葉は、なんだか酷く内容がなくて薄っぺらい。まあ、高校生が集う学校に、一人だけ幼稚園児が混じっているようなものだから、そりゃそうだけどさ。


 学校の勉強は、あまり分からないし。話す人も黒江や、琥白ちゃん、生徒会の人くらい。


 そんなみんなとのやり取りさえ、本当はわからない話が多くて、いつも困惑してばかり。


 何も分からないし、何もできない。


 そんな今更なことを、ただぼんやりと、確認するだけの日々。


 「………………そっか」


 黒江の、そんな返答も、どこかやるせない。


 わかってる、だって、誰が悪いわけでもないんだから。


 強いて言えば、私が記憶を忘れてしまったことが、大きな間違い。


 それに、みんな自分のことで忙しくって、私なんかに構ってられないのだ。


 だから―――。


 「でも…………大丈夫」


 だから、いつも通りの顔をしてればいい。


 「…………慣れてるから」


 それだけは、得意なはずだから。


 そう思って、少し目を閉じたら、ふっと隣の黒江が立ち止まるような気配がした。


 なんだろうと気になって、横目でそっと観察すると、じっとどこか細めた黒い瞳が私を見ていた。


 「ねえ、はる」


 そうして、少し怒ったような調子で、黒江は私を見つめてる。


 「………………えと」


 「言ったよね? 『大丈夫』禁止だって。はるが大丈夫って言う時、大体、大丈夫じゃないんだから」


 「…………………………」


 思わず口をすぼめて、言葉に詰まる。


 この一か月で、嫌でも気付かされたことなのだけど、私が隠し事をしたり誤魔化したりすると、黒江はすぐに気づいてくる。目敏く、確実に、エスパーか何かのように。……これが10年来の義妹の勘というやつなのでしょうか。


 「わかんないとこあるんなら、今度、また生徒会室で教えてもらお? それか、担任の先生にはる向けの課題出してもらえるように、相談しよ?」


 なんだかむずむずとむずがゆいような、そんないたたまれなさを感じながら、私はそっと顔を伏せた。手を繋いでいるので、そこから結局、動揺は伝わっている気はするのだけれど。


 「………………うん」


 正直、あまり人に迷惑を掛けたくないから、そうやって誰かに頼るのは気が引ける。……はずなんだけど。


 「困ったことがあったら、ちゃんと言って? 口にしないと、私も助けてあげられないから」


 そんな黒江の言葉に、おずおずと頷いた。そしたら、黒江は優しく笑って、ほら行こって私の手を引いていく。


 高校生になったことや、お母さんが家に帰ってくること、10年間で変わったことは山のようにあるけれど。


 どう考えても、この義妹の存在が、私の人生にとって一番、予想だにしない変化だったのだろう。


 ゆっくりと手を引かれる感触は、温かくて、むずがゆくて、なのにどうしてか心地がいい。


 「ねえ、はる。今日の夕ご飯、何がいい?」


 そうして、先ゆく彼女の、そんな言葉に私は顔を伏せながら、少しまごついたまま口を開いた。


 「………………オムライス」


 そう口にした一瞬、黒江の手が微かに震えた気がしたけれど。


 「…………そっか、好きだっけ?」


 気のせいだろうか。気のせいだよね。


 「…………うーん、そんなに好きでも嫌いでも、ないんだけど」


 「………………」


 「…………なんとなく?」


 そうやって言葉を零すと、黒江はそっと頷いていた。こちらのことは振り向かないままに。


 「そう……じゃあ、卵、薄いのがいい? ふわふわのがいい?」


 冬の凍り付くような寒さの中、夕暮れの日も、もう落ち始めてる、そんな渡り廊下の道すがら。


 「…………薄いの、かな」


 黒江と二人を、手を繋いだまま。


 「…………だよね、知ってた」


 そんな、言葉を交わしてた。


 まるで、普通の姉妹みたいに。

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