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もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
第7章 はるとくろえとみんな

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第80話 姉を想う―②

 夢を見た、あなたの夢を。


 抱き合って、キスをして、名前を呼んで。


 夢を見た。あなたの夢を。


 触れて、犯して、泣きついて。


 夢を見てしまった、あなたの夢を。


 あの雪の降る交差点で、あなたは、車に撥ねられて。


 もし、ちゃんと連絡をしていたら。もし、私が親父に会いに行かなければ。


 もし、私がはるを連れてこなければ。もし、私が代わりに轢かれていれば。


 こんなことには、ならなかっただろうか。


 こんな心さえぐずぐずに溶けてしまうような懊悩を、この胸に抱かずに済んだろうか。


 もし、あの時――――――。


 ぐちゃぐちゃと音がする。じゃりじゃりと音がする。


 足元からじわりと黒い何かが広がって、景色の全てを飲み込むように埋め尽くしてく。


 もし―――――。


 このまま、あなたの記憶が戻らなかったら――――。


 ふっと、足元が抜けるような感覚がする。


 暗闇の中、何処までも落ちていくような。もし、そのまま地面に叩きつけられたら、当然死んでしまうような墜落感が。


 全身の神経が、下から吹きあがる風に、悲鳴をあげていくような。


 そんな感覚に思わずただ、私は叫んだ。


 そんな声は、何処にも届くこともないままに。


 もし、神様がいるというのなら。


 もう、何を差し出しても構わないから。


 どうか、あの日に戻してください。


 あなたが私に笑いかけてくれていた、あの時に。


 どうか、どうか。


 それ以外、何を望めばいいのかすら。


 もう、何も、わからないから。



 ※



 音がした。


 忙しない音、ぼやけて滲んだ意識を、無理矢理揺らしてくるような。


 身体をどうにか、持ち上げる、頭は痛くて目は熱い。


 身体中が、ずっと走ってたんじゃないかってくらい、重さと疲労感で満たされている。


 血が回らないまま、ぼーっとしばらく、そのなり続ける音を聞いていた。


 …………ああ、インターホンだこれ。


 もぞもぞと、身体をベッドから這い上がらせて、そのまま、べちょっと床に身体をずり落とした。


 ふと振り返った視界に映るのは、乱れてぐちゃぐちゃになった、はるの布団。


 当たり前だけど、昨日、私がした愚行は、夢でもなく、紛れもない事実だった。


 指についた渇いた汚れと、小さな血糊が、その何よりの証明だ。


 ふぅっと重い息を漏らしながら、シーツを整えて、ぼやけた思考のまま、今度こそ通話口に顔を出す。


 「はい…………羊宮です」


 『あ!! いた!! 黒江!! 私!! 琥白!!』


 通話ボタンを押した直後に、半分くらい音割れした、そんな声が通話口から響き渡ってくる。


 思わず、しばらく呆けて、ちらりとリビングの時計を見やる。朝の八時、そして今はまだ冬休みの真っ最中。


 なんで琥白が……? と少し、思考をしたけど、ああ、とすぐに理由に思い至った。


 『開けてよ!! そんで、ちゃんと教えて!? 灰琉先輩、どうなったの!?』


 琥白の声は、少し焦ったような、心配そうな色合いに染まってた。


 そう、昨日、みんなには連絡してたんだっけね。それで返信も出来てなかったから、心配して来てくれたのかな。何というか、琥白らしいや。


 「…………中で話すから、上がってきて」


 エントランスの開錠ボタンを押しながら、口にした私の声は、酷くしわがれていて、とても聞けたものじゃなかった。


 琥白もどこか、沈痛な面持ちで、画面の向こうで黙って頷いていた。


 そうして、通話口から琥白の気配が消えてる間に、私はとりあえず、洗面所に行って、水を流す。


 冬の切るような冷たい水が、肌を濡らして、少しだけ冷静さを取り戻させてくれる。


 鏡を見ると、隈もあって血色も悪い、化粧もしてないし、髪もぼさぼさ。


 お世辞に見ても、まともな顔じゃないけれど、まあ、琥白相手に取り繕っても仕方がないか。


 顔を水で洗って、とりあえずタオルで拭いた。今できるのはこれくらいかな。丁度、ドアベルが鳴ったから、琥白も部屋まで上がってきたみたいだ。


 「……おはよ、琥白」


 「…………おはよ」


 ドアを開けて、改めて向き合った琥白の顔は、酷く不安そうで、ともすればすぐに泣き出してしまいそうにも見えた。はるの記憶喪失という事実がそうさせているのか、私の今の表情が琥白の不安を煽っているのかは……わからないけど。


 「とりあえず……入って」


 少し低くなって、しわがれた声で、そう呟いて琥白を部屋に招き入れた。


 そんな私を、琥白はじっと、揺らいだ瞳で見つめてた。














 ※



 「…………コーヒーと紅茶、どっちがいい?」


 「…………じゃあ、紅茶」


 お湯を沸かしながら、リビングの食卓についた琥白を見る。ちょこんと座って、どこか緊張したような面持ちだ。


 私はそんな彼女を、視界に収めたまま、自分の分のブラックと一緒に、飲み物をコップに注いだ。


 カタンと音を立てながら、琥白の前にカップとミルクを置いた。そのまま、彼女の正面に腰掛けて、私は自分の分のブラックに口を付ける。苦い……でも、今はその苦さが、私を現実にぎりぎり留めてくれる。


 「…………大事なことは、昨日メッセージで送った通りだよ。返事はごめん、ちょっと眠ってて返せてなかった」


 コップを置きながら、そう呟くと、琥白の眼がじわっと滲む。口元は震えて、マグカップを握ったまま、飲むこともできないでいた。


 「…………じゃあ、ホントなの? 灰琉先輩の……記憶がなくなっちゃったって」


 震えて、少し涙で濁った声。私はそれに何も言えないまま、そっと首を縦に動かした。それくらいしかできないでいた。


 「………………」


 「……………………そんな」


 いつも明るくて、元気な声ばかり響かせている琥白から、しぼむような、掠れた声が漏れてくる。変な話だけれど、そんな琥白を見ていると、今がどれだけ悲劇的なのか逆によくわかってしまう。


 そう、ずっとわかってはいたことだけれど。


 はるは、私を―――私たちとの記憶を、もう失くしてしまってるんだ。


 沢山の大切なこと、重ねた想い出、交わした言葉、その全部を。


 もう、失くしてしまっていたんだ。


 琥白を鏡にすることで、そんなもう分かりきっていたはずの事実を、今更思い知る。


 少し、お互い、何も言えないままの時間が流れた。


 暖房もまだちゃんと動いてない、冬の冷たいリビングは、言葉まで凍ってしまうみたいで。啜ったコーヒーは確かに熱いはずなのに、どこか遠い世界の物のようにも思えた。


 「………………」


 「………………で、でも、記憶はずっと忘れてるわけじゃないんでしょ?! いつかはきっと戻るよね?!」


 琥白ははっとなって顔を上げた後、まだ泣きそうな表情のまま、無理に笑ってそう口にする。それはお母さんとは、もちろんそうだよと言葉を交わしたこと。


 そうなればいいと、私も願ってやまないこと。


 でも、同時に―――。


 「―――わかんない」


 そんな保証は、どこにもないこと。


 「………………っ」


 琥白の表情が、震えたまま明確に揺らいでた。


 「頭の傷が、脳を傷つけてたら、戻る保証はないんだって…………だから、はるがこれから、どうなるかは……正直、何とも言えない」


 告げた言葉は、冷たくて、無機質で、まるで機械が喋っているみたいだ。心無いことを言っているな。誤魔化して、そうだよって笑っていればいいはずなのに。


 「じゃあ…………」


 「もしかしたら……ずっと、想いだせないままかも」


 どうしてか、弱音のような言葉が漏れてしまった。


 …………昨日、疲れて取り乱したからだろうか。それとも琥白の前だからか。なんだか、上手く仮面を被れていない気がする。


 琥白も案の定、言葉を失って、どこか泣きそうな表情のまま、口元を震わせていた。


 ああ……ダメだな。やっぱり。こんな、ただ事実だけを告げても何にもならない。嘘でもいいから、もうちょっと気の紛れることを言わないと。


 何を言えばいいんだっけ。大丈夫? すぐ戻る? はるのことだし、明日には想いだす? 琥白の顔見たら、なんかきっかけができるとか―――。


 そういうことを言えば……いいんだっけ?


 いつもの羊宮 黒江なら、『副会長』なら、要領のいい私なら、そんな耳触りのいい言葉くらい。


 いくらでも言えてたはずだよね…………。


 「ねえ……黒江――――」


 はら、琥白が心配そうにしてるじゃん。もっと、ちゃんと口を動かさなきゃ。親父の前であんな啖呵切ったんだ。お母さんの前でだって強がれた。はるの前で、ずっとお姉ちゃんのフリできてたみたいに―――。


 もっと、ちゃんと―――。





 「あんた…………大丈夫なの?」





 がちゃんと。


 

 指からコップが零れ落ちてた。



 飲みかけのコーヒーが、机の上にゆっくりと広がっていく。



 黒く滲んだ雫が机を伝って、ぽつぽつとフローリングに小さな水溜まりを作ってく。



 しっかり……しろ。



 零したなら、拭け。ちゃんと、笑え。



 大丈夫って、いつもみたいに、口に出せ。



 でないと――――。



 車輪は、進み続ける限り、転がり続ける限りは倒れない。



 逆に言ってしまえば、止まってしまえば、いとも簡単に、不安定になって、あっという間に崩れてしまう。



 だから、私は進み続けないと、この役を演じ続けないと――――。



 「黒江…………」



 でないと、私は――――。



 「黒江っ………………」



 はるを――――――。






 「―――――黒江ッ!!!!」






 …………………………あ。


 視界を上げた。


 泣きそうな顔のまま、じっと私を睨んでる、琥白がいた。


 「…………ここに来る前、しの姉と、話してきたの」


 「…………灰琉先輩も心配だけど……多分、今、一番やばいのあんただって」


 「…………私もそう想う。てか、今日、顔見て確信した」


 「あんたのことだし……、どうせ、自分のこと責めたりしてんじゃないの?」


 「わかるわよ、伊達にずっと、あんたと灰琉先輩の隣に居ないっての…………」


 「…………無理に責めるななんて言わないし、後悔すんなとも言わないけどさ…………それくらい、苦しいことだってのは……私でもわかるもん」


 「だから……大したこと言えないけどさ」


 「………………ちょっとわけてよ、その苦しいの」


 「一応…………友達でしょ? …………私達。…………だから」


 「――――そんな、独りぼっちみたいな顔しないでよ」


 そう言って、琥白は泣きそうな表情のまま、じっと私を見つめてた。


 じっと、じっと。


 まるで、何かを悼むような眼差しで。


 何も言えないままの私を、ただ、見つめてた。

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