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もう姉妹には戻れない  作者: キノハタ
第7章 はるとくろえとみんな

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第78話 私とお母さん―②

 過去は変わらない、一度犯した過ちは決して消えない。


 10代か、20代にでもなれば、嫌でもそんなことを誰しも学ぶ。


 一度何かを失くしてしまったら、どれだけ代わりを見繕おうと、失くしたという事実は決して消えない。


 それが信頼や愛情なら、尚のこと。


 私が親として、はるから奪ってしまったものは、きっと数え上げればキリがない。


 記憶が失われたことは、辛かった。忘れられてしまうことは、悲しかった。


 ようやく、ちゃんと仲直り出来始めたのに、それもなかったことになってしまった。


 零した涙は、一体どれほどかもわからないけど。


 でも、不思議と私の心は、その痛みに飲み込まれることはなかった。


 だって、どれだけ不器用でも『母親』だもの、娘たちを守らないと。今度こそ、あの子たちを独りにするわけにはいかないから。


 そして、何より、きっと。


 はるが記憶を失って、誰より悲しんでいるのは、私のもう一人の娘なのだから。


 私との記憶は、わずかだとしても残ってる。たとえ糸が千切れてしまっても、残っているなら結び直せる。


 でも、もしその糸が、繋がりが、まったくどこにも存在しなくなってしまったら。


 大切な人の中から、そんなきっかけすら、奪われてしまったら。


 その痛みは、いったいどれほどのものになるのだろう。いったい、どれだけ涙を零せば、その欠落は埋まるのだろう。


 わからない、結局、それはくろえだけの痛みだから。


 そして、そうやって痛みを抱えているのは、きっとはるも同じ。


 自分の中から、大切な何かが失われたことに苦しんでいるのは、あの子だって変わりない。


 だから私は、空元気だろうが、何だろうが、揺らいでなんていられない。


 夜の嵐の中で彷徨う我が子二人を、今度こそ、見捨てるわけにはいかないから。


 そうやって決意すると、胸の内から、じわりと熱い何かが沸いてくる。


 母親なんて向いてないと想ってたけど、案外、実はやれるのだろうか。


 それとも、私も少しずつ変わってきてたりするのだろうか。


 『綺麗』な何かを見るのが、第一。その信条は、何も変わってはいないような気もするけれど。


 背中にはるの重みを感じながら、なんとなく、そんなことを考える。


 変わっているとしたら、誰のお陰だろうか、はるかな、くろえかな。


 それとも―――。


 そんなことを考えながら、また一歩、足を踏み出す。


 私も、少しは頑張ってきたのかな、なんて。


 そんな言葉を、思考の片隅で呟きながら。















 ※


 「とうちゃーく!」


 ふーっと勢いよく手をあげて、山肌を駆けあがる。多少息は切れたけど、まだ全然余裕、このままフィールドワークだって出来ちゃうぜ。


 なんて考えながら、にぃってはるの方を振り返る。出来るだけ笑顔で、心配させないように、少しでも明るくなれるように。


 そうすると、はるは困ったように頬を赤らめて視線をそらしてしまった。うーん、可愛い。親バカかな。親バカだな。


 そのまま見つめててもよかったけど、少し恥ずかしそうにもじもじしていたから、そっと地面に降ろしてあげた。


 はるはおずおずと私の背中から離れると、そこでようやく周囲の景色に目が行ったようだった。


 「………………わぁ」


 そこにあったのは、本当に些細な川の流れと、そのせせらぎ。


 冬場の山の、枯葉の中に、そっと流れていくような。


 綺麗で、静かで、ちょっと冷たい、そんな光景。


 寂しいと、表現するのが一般的かな。


 空気は冷たいし、冬だからお世辞にも、命が栄えている景色じゃない。


 でも、冬の朝日の中、静かに流れゆく、その透明な光の反射は。


 「………………綺麗」


 そうやって、娘の口から零れた声に、私は静かに微笑んだ。


 写真というものを生業にしておいてなんだけど、こういう生の感覚以上に、心を動かすものはそうそうない。


 風の音、木々の匂い、小鳥のさえずり、水のせせらぎ。


 写真だけでは切り取れない、この世界を構成する全てを感じるときに、人は心を動かすのだ。


 いつかの海岸線で見た、あの夕暮れの中。


 肌を撫でていく、少し寂しいあの風の感触を、私は未だに覚えてる。


 写真は結局、そんな私の感動を、少しでも切り取るための道具に過ぎない。


 伝わらない色を、感触を、音を。


 ほんの少しでも伝わればと、たった一枚の四角に封じ込めてるだけ。


 だから、本当に誰かの心を動かしたいなら。


 こうやって、一緒に、綺麗なものを見る、たったそれだけでいい。


 「………………」


 しばらくはるは、言葉を失ったように、ぼーっとその光景に魅入ってた。


 私はそんな娘の横顔を見て、思わずこっそり微笑んだ。


 「カメラ持ってくればよかったなー」


 そうやって、ぼやくと、はるは視線を動かさないまま、ゆっくりと頷いた。


 「うん……ここ凄く、綺麗だもんね」


 そんなはるに、私はううんと首を横に振る。


 「今のはるの顔が撮りたかった……」


 私は風景専門で、人を撮る趣味はあまりないけど、ちょっと分かってしまった。そして、よく運動会でお父さんお母さんが、やたらカメラ構える理由がようやく理解できた。


 「う……うぇぇ?」


 そんな私の言葉に、はるはどこか目をうろうろさせる。少し顔も紅いし、ああ、そういう表情も可愛い。やっぱり、カメラ持ってくるべきだった……。


 そのまま、しばらくちょっとあたふたするはるを見て笑いながら、あまり身体を冷やしてもよくないので、名残惜しいけど早々に退散することにする。看護師さんにも心配かけちゃうしね。


 また、行きと同じようにはるをおぶって、帰り道をえっちらおっちら歩いてく。


 下り道だから慎重にゆっくりと、だから、行きよりは、少しだけはるとお喋りする余裕があった。


 「お母さん……やっぱり、お仕事休んできたの?」


 「うん、そうだよ。でもだいじょーぶ、結構休み取れたから、しばらくは一緒に居れるよ?」


 ぽつぽつと言葉を紡ぐ。切れた糸を、一つずつ縫い直していくように。


 「………………ごめんなさい」


 「………………んー? 何がー?」


 はるの声は少し、自信なさげに揺れていた。


 「…………その、私のせいで、仕事忙しいのに…………休まなきゃいけなくなっちゃって」


 そうやって、漏らしてくれた言葉は、いつかの頃には聞けなかったものだろうか。


 「ううん、はるが悪いわけじゃないから、気にしなくていいよ…………っていっても、はる気にしちゃうかもだけどさー……」


 そう考えると、この状況を何というか、少しありがたいと思ってしまっている自分もいる。


 「でも………………」


 こんな、娘の躊躇いに、気付く機会を貰えているのだから。


 「昔ね―――」


 何気なく、言葉を漏らした。自然に、当たり前に、そう聞こえるように。


 「…………?」


 背後で、少し首をかしげるような気配がした。


 「私は、きっとあんまり、いい『お母さん』じゃなかったと想うんだ」


 ぐっとはるが私の肩を掴む手に、微かに力がこもった気がした。


 「はるをずっと独りにして、寂しくさせて、それでも仕事のせいだって言い訳して」


 こうして、口にする言葉は、今更だろうか、無責任だろうか、わからない。はるは、どんな気持ちで聞いているのだろう。


 「ずっと目を逸らしてた。ずっと気付かないふりしてた。小学校の卒業式で、はるに怒られるまで、私はずっとちゃんとした『お母さん』になれないままだったの」


 口にした言葉は、どこか告解じみていて、自分でもちょっと情けない。


 「でもはるが怒ってくれたの。くろえがそれに気付かせてくれた。ずっと、はるが我慢してたことをね、あの時、二人に教えてもらったの」


 冬の冷たい風から、背中のはるをそっと庇いながら、そんな言葉をぽつぽつと漏らし続ける。


 「それからはね、ちょっとでもいいお母さんになろうとしたの。前より多めに帰ってきたり、大事な時には顔出したり、色々するようになったんだけど。正直、罪悪感みたいなものは消えてなくならかった」


 私はいい親ではなかったのだ。普通の『お母さん』にはなれなかったのだ。この子の胸の中に遺った呪いが、きっとその何よりの証左だった。


 「過去変わらないし、過ちは消えて無くならない。きっとね、私がはるにしたことは、一生かかったって償えないことばかりなの」


 だからと言って、その傷を代わりに背負ってあげることもできない。だってはるの人生だもの。それだけは、きっと、誰にも、許されない。


 「だからって言い方も変だけれど、丁度いい機会かなって気もしてるの」


 だからこそ、私にできることは、結局―――。


 「あの時、はるに寂しい想いをさせた分だけ、ちゃんと安心できるように」


 「あの時、大事にしてあげられなかった分だけ、ちゃんと大事に出来るように」


 ただ、それだけの―――罪滅ぼしを。


 見方によっては、あの時、見過ごしてしまった、幼いはるの心と、もう一度だけ向き合う機会を貰えたのかもしれない。


 その代償は計り知れなくて、それでも尚、犯した罪は消えないけれど。


 「だからね、もし、はるが嫌じゃなかったら、一杯、いーっぱい、大事にされてほしいの―――」


 ぎゅっと背中を、何かが掴む感触がする。少し熱を持って、震えるような感触がする。


 「あの時、寂しかった分まで、一杯ね」


 わからない、所詮置き去りにした親の言い分だ。この子の心に、どこまで届くものだろうか、わからないけど。


 「私も、くろえも、あなたが誰より―――大切だから」


 どうか、今、この子の幼い心が、少しでも報われればいいと。


 ただ、そう願うことしか出来ないけれど。


 山肌を抜けて、ふっと木々を抜けた先、少しだけ広場のような場所に出た。


 そこからは、麓の街が、広く遠くに見渡せて。


 勢いのある風が、遠く遠く、背中を押すように、どこまでも吹き抜けていく。


 「ねえ、はる、見て」


 背後で顔を隠したままの娘に、そっとそんな声をかけてみる。


 「――――綺麗だよ」


 こんな想いが、少しでも、あなたに伝わればいいのにと。


 そんなことを願ってた。


 私の背中は少しだけ、熱く微かに濡れた感触がした。

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